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『Local Natural Environment』を伝え・考える Vol.3(自然に生かされている)

僕の暮らす宮崎県。海も山も渓谷も街もあり、無いジャンルを探す方が難しいのかもしれません。
そんな宮崎県の歴史は、神話の舞台にもなっていますが『今の宮崎県』となったのは比較的最近の出来事のようです。
昔は、日向の国と呼ばれており美々津県(みみつけん)と都城県(みやこのじょうけん)となっていたようです。

1871年そして1873年に初期宮崎県となる

1876年に鹿児島県に合併される。鹿児島、熊本は戦国時代から武将、お城があり街としては栄えていました。その頃の宮崎県は、県北(延岡市)に内藤藩、県南(日南)に伊東氏・飫肥藩、県西(都城市)に島津藩がありました。各藩は、時代にほんろうされ近隣藩の影響を受けながらまとなることなく、1883年に再置(さいち)され今に至ります。

これは、すべて人間の歴史の話です。
宮崎県は、古くから『陸の孤島』と言われています。これは、交通網が普及していなかったためであると思われます。
地形的にも、太平洋側に面する海岸線は景観もよく美しい海となっていますが、一度荒れると太平洋からのうねりによりフェリーも欠航してしまします。陸路については、近年になりやっと東九州道の開通により、大分県側か高速道路が繋がり、今まで熊本県から分岐している、一択の九州道との選択肢が増えたのも最近の出来事です。
これらは、大分県側は、急峻で硬い岩盤の祖母傾山系の山々が連なり、熊本県側からは、山深い九州山地の一端である九州脊梁。比較的平坦な鹿児島県側からの霧島山系の火山帯。とにかく地質学的には、変化にとんだ、一筋縄ではいかぬ地質の為でしょう。

宮崎県北部の地形図
宮崎県中心部から南部の地形図

因みに人類が、この大地に出現したのは地球の歴史からするとほん最近の出来事です。この途方もない年月を経てできた大地で進化し、営み、反映してきた人類。

この僕の暮らす宮崎県においても以前の記事にも掲載しましたが、今、目に見える景色は、本当にここ最近の変化で作られた景色ではないでしょうか。

今、僕の暮らす宮崎県では、この地球規模で言うと本当にちっやな話題で、一部の地域が騒然としております。

この宮崎県の素晴らしいフィールドで数々の遊びをさせていただいていますが、海で行うサーフィン。山で楽しむ登山、トレッキング。岩峰でチャレンジするクライミング。本当に奇跡の地質地形の恩恵を受けていますが、こう手の遊びが成熟してくるとよくある話が、【利権】です。
一昔前のバブル世代では、よくある話。近年では、企業として役所として利権より、【環境主義】なのでなないでしょうか。
そもそも、今回の投稿の中段に記載したように地球規模で出来た環境を『景勝』といい人が集まり楽しみ、営みを育む。
正直、僕たちの活動で出来る環境保全や環境保護は、結果的に何も変えることが出来ずに、環境破壊を止めることができないかもしれません。
せめて、子供たちに大人たちの自然の利権の争いを見せてはいけないのではないでしょうか。
人間の小ささを理解し、この環境に行かされていることを理解しないといけません。
以前記事にも書きましたが、大人たちが自然を利用し楽しむことは良いことです。それを見た子供たちがやりたい、この自然を守らないとと感じてもらえてバトンが引き継がれます。

今年は、年始から能登半島地震があり、自然の恐ろしさと、人間の営みの貧弱さを感じていました。その中で自分の暮らしている環境のありがたさを感じ、周りの人の出会いに感謝していましたが、自然利用に関してあまりにも寂しいニュースが有ったので今の感情を忘れないようにnoteに綴ってみました。
読みぐるしいてんは、御容赦願います。

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