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「アカペラをやるのが苦しい」状態から抜け出すためにやった5つのこと


「アカペラ」が好きだ。

かつて「ハモネプ」というテレビの企画で一斉を風靡したこの「人の声だけで成立する音楽」は、今の自分にとっていちばん大切な趣味と言えるだろう。

特にここ最近は演奏だけでなく、編曲をしたり、社会人サークルの運営に携わったり、アカペラ愛好家(いわゆる「アカペラー」)同士が繋がりあう場を作ったりと、より幅広い角度からアカペラに携わろうと動いている。

そんな自分でも、「アカペラをやるのが苦しい」と感じる時期があった。

空回りしていた学生時代

ちょうど6年前、大学2年生の夏頃。

アカペラサークルに所属していた僕は、常にネガティブな思いを抱えながら活動していた。

①何のためにアカペラをやっているのかがわからない
②自分のあらゆることに自信が持てない
③自分の声を好きになれない
④活躍しているアカペラ仲間が憎くてしょうがない
⑤なんでもいいから認められたい

一言でいうと、空回りしていたのだ。

どうして変われたのか

ちなみに現在はどうかと言うと、先ほどの①〜⑤と比べて、随分と心情が変化したことに気づく。

①何のためにアカペラをやっているのかがわからない
 →現在:自己の表現手段の一つとしてアカペラをやっている
②自分のあらゆることに自信が持てない
 →現在:持とうと思わなくても自信がついている
③自分の声を好きになれない
 →現在:大好きとは言えないが、自分の声のいい部分を理解している
④活躍しているアカペラ仲間が憎くてしょうがない
 →現在:活躍しているアカペラ仲間を心から尊敬できる
⑤何でもいいから認められたい
 →現在:何について認められたいか・共感されたいかが分かっている

では、どうして変われたのだろうか。①〜⑤のようなネガティブな思いに対し、どのようなスタンスで向き合った結果、楽しくアカペラを続けることができているのだろうか。

思いつくままに書いてみる。

①「何のためにやっているのか」を考えることをやめてみる

「何のためにアカペラをやっているのか」と聞かれた時、当時の自分はこう答えていた。

「高校の時は合唱をやっていたんですけど、最後の年に全国大会に出場できて、『もう合唱はいいかな』って思ったんです。でも歌は好きなので、少し違う分野で大会にチャレンジしたいと思い、アカペラをやっています!」

しかし思い返してみると、これは本音ではなかったと思う。

当時の僕は目的を持たずにアカペラに取り組むことをどこかバカにしていて、「いつか全国の舞台で活躍したい」などと、それらしい夢を語っていただけだった。そしていざ大会にエントリーし予選落ちに終わった時は、「もっと上手いメンバーとバンドを組めていたら」と、自分の実力不足を棚に上げるどうしようもない人間だった。

そもそも、今も昔も自分にとってアカペラは「大切な趣味の一つ」であり、「何かの目的のためにやるもの」である必要性はない。

そして、目的も考えず純粋に楽しんでいたその先で、「こういったことを目的としてもいいかな」ということに出会うことがある。

それがある人にとっては大会で上を目指すことかもしれないし、ある人にとっては自分の技術を磨き続けることかもしれないし、またある人にとってはいつまでも仲間と歌い続けることかもしれない。

そういったものにたどり着けば、素直な気持ちで「自分はこういった目的でアカペラをやっている」と語ることができるのだろう。

ちなみに僕の場合、「演奏や編曲を通した自己表現」のためにアカペラをやっている。と言っても、あくまで、「今のところはそのためにやっている」にすぎない。ライフステージが変わったり、置かれた環境が変わったりすれば、目的も変わるだろうし、変わっていいと思っている。

②自信は「持つ」ものではなく、後から「ついてくる」ものだと捉える

大事な場面で不安を感じているとき、「自信を持って!」と声をかけられた経験は誰にでもあると思う。

しかし、「持って」と言われてひょいっと持てるほど、「自信」がその辺に転がっているわけはない。

だから、初めのうちは自信なんて持っていなくてもいい。

自信がなくても、練習で大きな声を出してみる。自信がなくても、ライブに出演してみる。自信がなくても、交流会に参加して他のサークルにいる人たちと話をしてみる。

そういったことを繰り返しているうち、ふと気がつくと、自信がついてきていることが分かる。

僕自身、今年でアカペラを始めて8年目になるが、ようやく、本番の演奏中に周りのメンバーの歌声に耳を傾けたり、お客さんの顔を見て演奏したりすることができるようになってきたと感じる。

③自分の声とまっすぐに向き合い、「いいところ」を見つける

アカペラをやるからには、「自分の声」という楽器からは逃れらなない。

声は、人により音色も、出せる音域も、耐久度も違う。調子が悪いからといって部品を手入れすることは(医者でない限り)難しいだろうし、楽器そのものを買い換えることはできない。

だから、自分の声を好きになれなくても、まずは自分の声のいいところを探すことから始める。

僕の声は艶がなくぼやっとしていて、説得力が弱いように聴こえる声だ。一方で周りのアカペラ仲間からは、「伸びやかさや親しみを感じられる声」だと言われることがある。

そういった周りの意見にも耳を傾けながら、自分の声のいいところがわかってきたら、できるだけそれらが活きる曲を選んで歌うようにする。

そうすれば、自分の声の魅力をより実感できるようになり、自分の声を少しだけ好きになれるかもしれない。

人を好きになるためには、ある程度の期間その人と向き合わなければならない。同様に、自分の声を好きになるためにも、まっすぐに向き合い続けることが必要なのだと思う。

④「誰のためにアカペラをやっているのか」を自問する

「あの人は自分より多くバンドを組んでいるから注目も浴びるし、その結果先輩からのフィードバックも受けるからもっと上達して、そしたら結果も残すだろうからまた注目されてしまう。それに比べて自分は…。」

このように自分と他人を比べ妬んでしまう思考回路には際限がなく、また、自分を貶めて卑屈になることにはある種の中毒性がある。だから余計にやめられない。

しかし冷静に考えて、他人を妬んでいる時間は自分にとってプラスになっているのだろうか。

妬むのではなく、まずはその人の活躍ぶりを称え、「自分にも盗めるものはないか」と考える方が、ゆくゆくは自分が楽しめることに繋がらないだろうか。

だから今も、こういった妬みの感情が出てきた時には「自分は誰のためにアカペラをやっているのか」と自分自身に問いかけることにしている。そうすれば、自分と他人を比べることの呪縛から逃れ、自分がよりアカペラを楽しむことに時間を使うことができる。

⑤「最も喜びを感じられる瞬間」を探してみる

①の話と繋がるが、一言に「アカペラ」と言っても、関わり方は本当に多様だ。

・プレイヤー:ライブやイベントで演奏する
・アレンジャー:楽曲をアカペラで歌うために編曲をする
・イベンター:ライブの企画、運営を行う
・プロデューサー:バンドコンセプトや演出など、「いかにそのバンドの魅力を引き出せるか」を考える

※これらはあくまで僕なりの定義だから、異論はあるかもしれない

上記の他にも、サークルを立ち上げて歌う場を提供したり、アカペラの魅力を何らかの形で発信したり、といった関わり方もありえるだろう。

また、人によっては「アカペラ×デザイン」「アカペラ×日本酒」など、仕事や他の趣味とアカペラを掛け算することもできるかもしれない。

大切なのは、「アカペラとの関わりにおいて、自分が一番喜びを感じられる瞬間はいつなのか」を知り、そういった瞬間が最大化するような関わり方を模索することだと思う。

僕の場合は人前で演奏して拍手をもらうことよりも、自分が作ったものや発信したものに共感してもらえる瞬間の方が喜びを感じる。

だからこそ今は、アカペラ編曲の依頼を受けて楽譜を作ったり、このようにnoteに自分の考えを書いて発信するという活動に力を入れているつもりだ。

ここまで書いてみて思うこと

社会人になり、アカペラに費やせる時間は学生時代よりも格段に減った。

しかし、それでも今のほうがずっと楽しい。

その理由はおそらく、ここまで書いてきたことを実践してきたからというのもあるが、それ以上に、考えるヒントや苦しい状況から抜け出すチャンスをくれたアカペラ仲間のおかげだと思っている。

だから、今度は自分が、noteや普段の活動を通じて、苦しんでいる誰かに手を差し伸べられるような存在になりたい。




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