東京のスキマ

東京のスキマ

2年ぶりに東京へ行った。彼女も一緒だった。僕の当初の予定は渋谷で行なわれるライブだったが、東京都美術館で開催されているムンク展に彼女が興味あるとのことだったので、せっかくだからとふたりでの旅行となった。

小さいのに大きい東京は、電車ですぐどんなところでも行ける。華やかな街も、オシャレな街も、生活の街も。
旅行といっても、僕たちは観光地を巡っていたわけではない。渋谷や上野公園なんかは行ったけど、あくまでそれはライブ会場と美術館という、目的地のある場所だった。
とはいえ、少しだけ歩いた渋谷や新宿や池袋といった、きらびやかな街のエネルギーにはいつも圧倒される。添加物たっぷりのゼリービーンズをずっと食べさせられている気分だった。

それよりも僕は、生活の匂いがある場所のほうが好きだ。大山町の居酒屋、江古田の喫茶店、駒込の六義園。ただ静かで安心できるというだけではない。それらの場所には何かしらの「影」がある。東京という華やかな都市の裏側で、別に富とか権力なんて持っていないけど
たしかに日々を生きている人たちの気配。

東京と聞くと、思い起こすものがある。こうの史代さんの漫画『長い道』だ。
グータラでどこかズレた若夫婦ふたりの生活を綴った作品。ただそれだけなのに、何回も何回も読み返してしまう。単調に見えてそこには生活、季節、関係性、風景、過去、いくつもの繊細な機微が描かれている。しかしあくまでユーモアを忘れずに。

この漫画が連載されていたのは2001〜03年頃。東京という街も、いろんな場所がいまでは変わってしまっているだろう。けれど『長い道』のふたりはいまでも東京の片隅に生きている、そんな気がする。

東京にはいくつものスキマがある。華やかな場所がいくつも屹立していれば、それだけその間間を埋める場所が。『長い道』のふたりも、きっとそんな場所に住んでいる。
こうの史代さんは、そんなスキマを描く作家だ。彼女の描く時が止まったような瞬間の景色は、とても美しい。
それは決して「絶景」とか言われるような場所ではない。どこにでもある花とか、看板とか、買い物をする人々とか。
ありふれた風景、しかし生活の中でふと立ち止まったときに見える感情の表象。それは立ち止まれば肩がぶつかり舌打ちをされるような“華やかな”速度だけに生きていては見えない、居場所のない者たちの居場所だ。

もちろんそれは、都市という街の速度があるからこそ際立つ瞬間でもある。だからこそ、その速度にすべてを飲み込まれないために、スキマはあるのだと思う。そして、今回の東京でそのことを感じられてよかった。
「東京」と一口に言っても、あまりに多様だけれど、僕は僕の好きな「東京」を見つけられたと思う。




#エッセイ #東京 #こうの史代 #長い道 #都市

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