権利と権力(七尾旅人とハインズから)


 こないだふと七尾旅人のインスタグラムを見返していたら、二年前の投稿が目に入り、あったなあと思った。
 その投稿にはインスタにしては長い文章が書き連ねられている。内容はある特定のライブ客に対するお願いだ。曰く、いつも早くから席取りをして、いちばんいい場所から、リハの時点からじっと見てくる。大体どのライブにもいる。そういった振る舞いは演者にとってはあまり気持ちのいいものではない。
 何より、そういった場所は子どもとか、前に人がいてはステージの見えないお客に譲るなどしてほしい。震災にあった宮城県七ヶ浜でもそれは起こった。
 来てくれるのはありがたい。しかし、どこでも同じ顔ばかりが前列を占めて、毎回そういったことを目の当たりにさせられるのでは暗澹たる思いになってしまうと。
 その投稿にはたくさんのコメントがついていた。中には粘着的なユーザーもいた。「金を払っているのだから」とか「出禁にするなり子ども用にスペースを区切るなり」お前がちゃんとしろ、といったものも。
 それはそれで「正しい」反応なのかもしれない。しかしまずそれは運営側のすることで、旅人に言うことではない。ただ運営がそういった措置をとろうとしても、旅人は納得しないだろうが。
 七尾旅人のライブは小規模なものが多い。千人を超える会場は滅多にないはずだ。だから、客の顔もよく見えるのだろう。もちろん上記のような常連が嬉しいというアーティストも多いはずだ。旅人本人も、同じ投稿内で、いつも周りのことを考えてくれている「分別のある」客についても言及している。小規模だからこそ何回かくれば覚えてしまうし、ある程度の自由は利くわけである。だからこそ客一人ひとりの配慮は重要になってくるし、子どもたちや地元の人たちを押しのけて前列を占めてしまう連中がいればそれだけ目立ってしまうのである。
 つまりジャニーズだとか大規模な公演のように全席指定するようなライブではそもそもないし、わざわざスペースを分けるといったことは良くも悪くもしたくないのだろう。

 七尾旅人は自分のステージを自分だけのものにはしない。有名なとこでいえば音楽性の異なるアーティスト、または音楽以外の(たとえば哲学者)アーティストと「即興演奏」を行なう「百人組手」と題したライブ。その他地元の子どもたちをステージに上げたり参加させることもあるし、昆虫を演奏に加えていたこともあった。この間は犬(と飼い主)相手にライブを開いていた。
 要するに、あくまで推測の域を出ないが、旅人にとって、ライブとは自身の「絶対王政」ではない。お客を均質化せず、あくまでひとつひとつの個性として見ている。だからこそ、とくに被災地など、その土地で演奏を行なう意義、そしてその土地ごとの人々や子どもたちをよく見ているのだろう。

 ただ、「個性」とは当然のことながら悪目立ちするという意味ではない。意識的にせよ無意識にせよ、一部のファンというのは往々にして「個性」を発揮してしまう。それが彼らにとってはアーティストへの「愛」であるのだから厄介なものだ。
 わかりやすい例が握手会のためにCD何百枚買ったとか、何時間前から並んでいたとかライブに何十回行ったとか、要するにオタクなのだが、数字でその「愛」を可視化してしまうことである。
 旅人が言及した客も、頻繁に来ているのだからよっぽど好きなのだろうが、いくら何回も最前列を占めようが、それが好意的に受け取られるとは限らないし、実際本人が不快に思ってわざわざ文章にしているのだからよっぽど嫌だったのだろう。「愛」は容易に偏執的なものになりうる。

 極端な例は別にしても、ライブに行く僕たちお客さんはどうあるべきなのだろうか。
 いや「こうあるべき」とか考えるよりただ楽しめばいいというのは確かなのだが、自由に楽しむということの中にも、ちゃんと考えるべきことはあると思う。
 僕たちはチケットを買うなりして、会場内で演奏を聴く権利を得ている。当然公序良俗に反したりその会場でのルールを破ればその権利は実質失効されるものの、どうしてもそれでは捌ききれない客もいるわけで、それが上記のような「金は払ってるしルールにも違反していない」のだから何しても自由、と考えている客だ。それに権利を持っているからと言って、アーティストより上の「お客様」という存在になるわけではないのだが、旅人のインスタのコメント欄を見ると、そうは考えない人間もやはりいてしまうのだろう。
 要するに僕らは「権利」を持っていても「権力」を得るわけではないのである。だいいち金でそんなチンケな「権力」を得て音楽を聴くなんて「音楽好き」としては一番唾棄すべきことのはずではないのか? 何回もライブに来ているし、金もその分かけているのだから、自分はファンの中でも一定の権力を持っている、と思い込んでしまうなんて。ファン内でのそういった「序列」が暗黙のうちに決まっているクラスタもあるのだろうが、少なくとも七尾旅人でそれをやる意味あるか?

先の七尾旅人の投稿は2017年の9月7日のものなのだが、その翌日にはそれの続きとして次のような文章を投稿している。

  大人になり、ある程度の年輪を重ねたら、
  自分の都合だけを優先させないで、
  他の人のことも考えて、
  ライブ空間を豊かにできるはず。

  さらに、ライブ空間にとどまらず、
  公共空間を、また、誰かの心の中を、豊かにできるはずです。

  その日の音楽は演者だけでなく、その場にいる皆で作るものです。
  これを僕はずっと言い続けてきたし、若い子も含めて、ほとんどのお客さんには、ちゃんと伝わっています。

 考えてみればこういったことは大人なのだから当たり前にできるはずなのである。
 しかし、自分勝手になったり、見て見ぬふりをしてしまう。それは僕自身への戒めでもある。
 昨年大阪でスペインのバンド・ハインズの来日公演があった。
 二年前の東京での初来日がとても楽しく思い出に残っていたので、今回も行ったのだ。
 もちろん今回も楽しかったし、行ってよかった、彼女らがまた日本に来てくれてよかったと思う。
 しかし、ライブ中こんな出来事があった。ボーカルのアナが、MCで「女の子を前のほうに来させてあげられないか」と言った。もちろん僕たち男はそれに従った。そのときは最前列はほぼ全員男が占めていたし、僕も前のほうにいた。
 ハインズの初来日の際、ドキュメンタリーフィルムとしてその様子を日本のメディアが撮影した。いまでもyoutubeで観られるが、その中で彼女らが日本の客について聞かれたとき、「なんというか、従ってくれる」「考えてみるとすこし危険かもね」と語っていた。それは的を得ていると思う。
 先の旅人の引用にもあるように、ライブというのはアーティストだけで作るものではない。だからこそ、客がアーティストより上ということではないし、同時にアーティストがその場の権力者としてあるわけでもない。
 アーティストに言われればまあ大体は従う。けど、背の高い男だとかは見えにくい人を前にさせるというのは僕らが自発的にすべきことだった。もちろん譲って遠慮されることもあるだろうが、少なくともあのときの僕はそういったアクションは特に起こさなかった。結果的にアーティスト側が従わせるという「権力行使」になってしまったのである。

 七尾旅人の二年前の投稿をわざわざ見返したのは偶然だったが、それを見たときハインズでのことを思い出したのだ。いや、ほんとに楽しかったのは間違いない。だからこそそういった心残りができてしまうのは嫌である。音楽を聴くときは普段のことは忘れてハッピーでいたい。それは音楽を好きと少しでも自覚している人間なら誰しも共通していることである。「音楽好き」の中にわざわざ権利や権力を発生させてしまわないように、僕自身がまずはそういった行動に自覚的でありたいと思う。




#エッセイ #音楽 #ライブ #七尾旅人 #ハインズ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?