忘れないから書く(追悼文)

9月のはじめ、恋人から借りて久しぶりに『ちびまる子ちゃん』を読んだ。5巻。家族でフランス料理に行く回や、花輪くんがのど自慢に出て、みんなでそれを応援しにいく回などが収録されている。好きな巻だ。
主要キャラよりやたら描き込まれているおっさんとかブサイクとか、家庭での妙な言い回しやしきたりだとか、「あるなぁ」と思わせられる描写に、昔と変わらない笑いがこみ上げてきた。
しかし、昔とは違う悲哀もたしかにそこにあるのだった。それはさくらももこさんが、すでにこの世に亡いという事実である。
8月27日、報道があった。そのとき僕は帰省していて、家族でなごやかに食卓を囲んで一息ついたところだった。
兄が無言でスマホのニュースを見せてきた。15日にさくらさんは、約7年間闘病してきた乳がんにより亡くなったとのこと。当然僕は彼女が長らく患っていたなど知らなかった。新作だって出していたし、毎週放送される『ちびまる子ちゃん』は、彼女の存在を当たり前にあり、これからも永い間あり続けるものなのだと思わせてくれていた。だからこそ、衝撃は大きかった。
人はいつかいなくなる。そんな当たり前のことを僕はいつも忘れてしまう。だが、だからといって常に「心の準備」をしておけるほど人間は強くはない。なんにせよ、彼女の死はあまりに早すぎた。
僕は急激に覚めていく頭を抱えて、深く沈んでいくようだった。さっきまでの呑気な酔いに腹を立てるようでもあった……
僕にとって死者に対する弔いとは「忘れないこと」である。そして、できるのは書き留めておくことくらいである。酔いになど任せない、ありきたりな言葉で書くことである。

きょうだいがいると、性格的にも文化的にも、なにかと影響を受けるものだ。本や音楽、ゲームにスポーツ。彼彼女の趣味を、末っ子の僕は否が応でも受容した。
幼いころ、家の本棚にあってずっと読んでいたのは『クレヨンしんちゃん』と『ちびまる子ちゃん』だった。このふたつで、僕の「笑い」というものははっきり形作られた。それは多くの人にとってそうだろう。漫画でなくとも、アニメには触れていたはずだ。つまり、幼いころから自然とあった「笑い」である。
中学になると、僕は新潮文庫ばかりを買い集めて読んでいた。カバーについているマークを集めると、腕時計などのプレゼントがもらえたからだ。
最初は文学作品を読んでいたのだが、だんだん退屈になってきた。そしてさくらさんのエッセイ集を買った。初めて触れる彼女のエッセイは読みやすく、馴染み深い挿絵も入っていて、すぐに魅了された。とくに熱心に読んだのは旅行記だった。旅好きのさくらさんは、その都度新しい土地の人々や食べもの、買い込んだ趣味のお茶や健康食品について書いていた。
僕にとって彼女が大きい存在になっていったのは、そのころからだ。プレゼントのことなど、すでにどうでもよくなっていた。出ている文庫を買い集め、00年頃に彼女が編集長となって出していた「富士山」もヤフオクで手に入れた。
優れた文章家は、食べものをとてもおいしそうに書く。さくらさんはその点でも、ずば抜けていたと思う。「富士山」には彼女のよく作る料理のレシピが載っていて、その中にあったチャーハンは、中学の夏休み中、毎日のように作っていた。

そして、なによりさくらさんは僕に文章を自発的に書くきっかけを与えてくれた。
2年生の夏休み、宿題などする気は起きなかったので、ノートに日記を書き始めた。日記といっても、エッセイという体で。もちろん彼女の文体を真似たものだ。毎年家族で行く熊本旅行にも、ノートを持っていった。
そして、彼女の文章を真似るのがこんなにも難しいのかと、愕然としたものだ。ユーモアのある言い回しをしようと思っても、どうにも恥ずかしくなって思いつかない。一行ごとに詰まる。書けたとして読み返したらなにひとつ面白くない。その繰り返しだった。それでも、中学卒業時の文集の、「将来の夢」欄には「エッセイスト」と書いたのだった。

いまこの文章を書いている時点で、さくらさんの死からもう2か月が経っている。大きい書店ではまだフェアが行われている。面出しで、多数の著作が置かれている。どれも懐かしい表紙ばかりだ。
高校になってからは、行動とお金の自由が増えたから、よく学校の帰りにいちばん大きい書店で単行本を買って、ミスドでドーナツを食べるのが楽しみになった。さくらさんのエッセイが置いてあったのは、ジュンク堂2階の、薄暗い場所だった。いまでもありありと思い出す。でも、もうあのころから10年は経った。
僕は高校も大学もとっくに卒業した。住む場所も、状況も変わった。いろんな人に出会って、いろんなことを教えてもらった。音楽、本、映画、思想、人生の経験。それらの影響を受けて、文章を書いたり、読んで評価してもらったりもした。それはいまでも続いている。
そして、その始まりはやはりさくらさんだったのだ。
文章自体は、昔から作文の課題とかいう形で書いていたろう。だが、エッセイというものを初めて意識的に書いたのは先述したように、彼女に憧れてからだった。
創作の原点としての模倣。そして挫折。もっともそれは「挫折」なんて大げさな、拙い子どもの真似事だっただろう。しかし、いまに確かにつながっている萌芽でもあったと思う。

あのころの僕は、さくらさんみたいな面白い文章な書きたいと思っていて、そしてろくなもんができなかった。それはきっと「面白おかしく」書こうと意識しすぎた結果だと思う。
しかし、さくらさんのエッセイの魅力とはなんだったか? それは「面白おかしく」書くことではないのではないか。
もちろん話のオチのつけ方や、言葉選びのセンスは素晴らしい。でも、その根底にあるのは見過ごしてしまいがちなものを書き留める能力だったのだと思う。つまり「こんなこと書いたってしょうがないよ」なんて思ってしまわないこと。それを素直に書き留めていったからこそ、「現代の清少納言※」は生まれたのだろう。
そして、そのことが僕がさくらさんから教えられた中で、もっとも大きかったことだと思う。大学を卒業してから、僕は毎日なにかしら文章をノートに書き続けている。書くことがないと思った日でも、きっとなにかがある。「こんなこと書いたってしょうがないよ」と思わないこと。だからこそ続けられているのだと思う。

さくらさんから始まった、書くということ。僕は書き続ける限り、忘れないだろう。彼女のこと、彼女の作品に出会ってから過ごした時間を。
このあいだ、恋人から手が荒れないようにと、NIVEAのハンドクリームをもらった。そこにはさくらさんの描いた、家族のイラストがあった。こんな風に、彼女の作品はささやかに、けれども確かに生き続けるのだろう。
ありがとう、さくらさん。僕は、僕たちは決して忘れない。そしてそれはいつまでもいつまでも続いていくはずだ。

※『ひとりずもう』より 小学館, 2005

#さくらももこ #エッセイ #追悼

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