はがれる


先日、学生時代から八年間住んだ部屋から引っ越した。
 長年暮らした部屋を出ていくとなると、いろいろと思い出すことはある。毎日毎日帰ってきては変りばえのない部屋だなあと思っていても、少しずつ日々の澱は溜まっているものなのだ。
 それは単純な経年劣化だったり汚れだったりする。そういったものに感傷的になることはない。むしろ部屋を出ていく際の忌まわしい足枷のようなものだ。擦ろうが拭こうが全然取れない。それは自己責任だから仕方ない。こまめに掃除をしていなかった僕が悪いのだ。
 引っ越すとなると部屋の物をすべて持っていくという人は稀だろう。僕も八年で部屋に積み重なった本とかCDとかたくさんの物を処分した。僕は物が捨てられない性分なので、捨てるとなるといちいち感傷的になったりしてしまう。十八で一人暮らしをはじめた頃からあった本とか、金ないときにブックオフで買ってきた百円のマンガとか。
 また僕の部屋の壁にはよくわからないものが多く張り付いていた。重ね貼りしたガムテープ、渡辺謙の顔がデカデカ載った新聞広告、ボブ・ディランのステッカー、『コインロッカー・ベイビーズ』文庫本の数ページ、ノートにびっしり書いたエッセイの上に描きなぐった赤い花の絵。
 それらは年とともにはがしたり新たに貼ったりして姿かたちを変えてきたわけだけど、当然引っ越すとなると一切を処分することになる。そういったものですら、思い出があったりするものだ。
 人から見ればどうでもいいもの、いや自分にとってすらどうでもいいと感じるものたち。それらをはがしていくとき、大げさに言えば部屋を完全に漂白し、殺していくことは、走馬灯の疑似体験のようなものなのかもしれない。
 壁に貼られたいろいろな紙やテープ。それらを貼ったあの頃の僕が感じていたこと。あの頃の僕は何かを表現したかったのだ。といってもアーティストを目指したのでもアーティストを気取って悦に入りたかったわけでもない。とにかく何かを吐き出したかったのだと思う。
 大学に入って一年ほど経ち、僕はサークルだとか研究だとか制作だとか、何かに所属も従事することもなくただダラダラと過ごしていた。それに不安を感じていた。好きな人がいたけど、まるで人と接してこなかったため気持ちの悪いコミュニケートしかできなかった。金もなくてろくに店にも入れなかった。要するに居場所がなかった。
 いま思えばそれらはどれも下らない自意識に苛まれていた、と一言で片付くわけだけど、当時の僕はそんなこともまるでわからず、動き出すこともできず、ただ汚い部屋で眠るばかりだった。そういった頃だ、僕が壁にいろいろ貼り付けていたのは。
 以前、yogee new wavesの角舘氏がこんなことを書いていた。ずっと東京に住んできて、いまでも住んでいるけど、すごく嫌いな、クソみたいな街だって。でも、矛盾するようだけど、これを読むあなたには東京に住んでみてほしいんだ、と。
 僕は東京に住んでいるわけではないし、いま住んでいるところも都会というには微妙なところだ。でも、角舘氏の書いていたことはわかる気がする。昔から何人ものアーティスト、バンドに歌われてきた“東京”、“都会”という場所は、その多くが「居場所がない」ということの裏返しだった。
 はっきり言って地元からどこかへ出てきても、親には心配かけるし、金はないし(どんだけないんだよ)、怠惰になるし、不健康だし、帰っても迎えてくれる人はいないし、ありふれた自意識に苛まれては自分が世界で一番不幸だと思い込むばかり。いいことなんてまるでない。
 でも、そうしなければいけなかったのだ、僕は。僕らは。
 地元に残って健康に、ゆるやかに死んでいきたくはない、とあの頃本当に思っていたのだ。
 そして、自分の闇を思う存分吐き出させてくれるのは、八年間住んだ狭くて汚い部屋だった。
 物はどんどんなくなっていく。壁の“表現”ははがれていく。部屋は死んでいく。でも僕はまだ生きている。大切な人たち、大好きな人たちとまだ生きたいと思っている。ここで生きてきたことになんの後悔もない。そして、少しずつ変わりながら続いていく生活をまた生き始めるのだ。



#エッセイ #生活

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