ジャズの体験、『JTNC』あるいはささやかなジャズ・ガイド

ここ数年離れていたジャズを、最近また聴き始めている。
きっかけは批評家の柳樂光隆氏が発行しているムック『Jazz The New Chapter(JTNC)』の影響だ。
これは現代のジャズシーンを、何本ものインタビューを元に、そこから見えてくる「ジャズ」というものをいくつもの文脈から繙いていったものだ。この本が与えた影響はかなり大きいものだろう。
ジャズ雑誌といえばいまだに「ピアノベスト100」など銘打って同じような5.60年代のアルバムを毎年特集するばかり。つまりいまのジャズの情報は全くない、もしくは雑誌の隅にポツンとあるという状況だった。
いまのジャズってどんなものなのか、ロバートグラスパーなんかはよく聞くけど……といったリスナーの良い導き手になっていると言えよう。
さて、「JTNC」のおかげでジャズ熱が僕の中で再燃しているわけだが、併せて自分自身どういうきっかけでジャズを好きになっていったのだろうと最近思い出している。今回はそういったエッセイも交えつつ、これからジャズを聴いてみたいという方に向けてのささやかなガイドになればいいなと考えている。

そもそもジャズを普段聴かない人にとって「ジャズ」とはどういうイメージだろう。オシャレな? 大人の音楽? バーとかで流れてそう? 敷居が高い? もしくは吹奏楽でもよく演奏されるビッグバンドの形式を思い浮かべるだろうか。というか、僕自身がそういった印象を持っていた。
僕がジャズを意識的に聴き始めたのは大学4年のときだった。きっかけは卒論のテーマだった中上健次。彼はジャズが好きで、とくにジョン・コルトレーンを傾聴していたようだ。
中上の生まれは1946年。彼が20前後の頃はジャズの人気は絶頂と言っていいだろう。文章にも「ジャズ喫茶」なる場所がよく出てくる。彼と同じ世代でジャズ好きでも知られるタモリ、ちょっと遅れて村上春樹などを見ても、それは頷ける。
「ジャズ」の持つ漠然としたイメージは大体この「黄金期」の影響がいまだに強いのである。春樹が書くジャズ・エッセイに出てくる人物もせいぜい70年代まで。それ以降はほぼないのである。街中でBGMとして流れているのも大方50〜70年代のものだ。
少し話が逸れたが、中上の文章にはコルトレーンという人物が散見された。僕自身も「黄金期」から聴き始めたというわけだ。CDを友人に借りて聴いた。
その瞬間世界が変わった、なんてことはない。10枚組のボックスセットで一曲ずつ聴き込むという感じではなかったし、それまでサンボマスターとかを聴いてた僕には何がすごいのかよくわからなかった。
しかし、何回か聴くうちに変わっていったものも確かにあった。そのひとつはまずリズムと低音。つまりベースとドラムの重要性だ。技術的なことは全くわからなかったが、「ジャズのベースとドラムなら、これだけで永久に聴いていられる」と思ったのだ。確かに言えるのは、この後別のジャンルを聴くときも、低音とリズムにどんな音が鳴っているのか、に意識を向けるようになったことだ。ジャズは音楽の聴き方を変えてくれた。

当時はサブスクを使っていなかったので、あらかじめアルバムのタイトルを下調べしておいて、新品/中古のCDを買って聴くというやり方をしていた。
もちろんコストはかかったものの、いまとなってはよかったと思う。というのも、ジャズはアルバム文化みたいなところがあり、「ブルーノート」や「インプレッション」などレーベル単位で語られることが多い。また「ブルーノートの1500番台」といった言葉もある。これはブルーノートの中でもとくに名盤の多いナンバリングという意味で、ファンの間ではよく知られている。
プレイリスト文化が全盛のいま、当時からサブスクに染まっていたらおそらくアルバム単位というジャズの基本的な部分になかなか気付けなかったと思う。ジャズ雑誌のそれこそサックスベストなんたらを見てから買いに行ったのだが、当時はお金もあるわけではなかったし、そこに掲載された一枚一枚が宝物のように見えたものだ。そして買ったアルバムを何回も聴き込む。そこにあるコルトレーンを始めとしたモダンジャズ界隈のひりつくような緊張感にどんどんのめり込んでいった。一音一音が自分の血肉になっていくような感じだった。

そういった状態が一、二年続いたのだが、2015年の暮れ、僕はいったんジャズから離れる。というのは現在進行形の音楽のほうに興味が寄ったからだ。
音楽に詳しい友人たちと話していてもついていけず、自分は国内もさることながら海外のポップミュージックについて全く知らないんだという自覚があって、いまの音楽をしっかり聴きたいと思った。
そして友人のひとりに元「SNOOZER」編集長の田中宗一郎氏のやっているウェブマガジン「sign magazine」を教えてもらった。ちょうど2015年のベストアルバムが発表されていたので僕はそのレビューを読み、気になるアルバムを買い始めた。それから僕は最先端のポップミュージック、とくにヒップホップに傾倒していくことになる。現在進行形の音楽がこんなにも楽しく素晴らしいのだと感動した。

そうやって聴き込む間、僕はジャズからは離れた、と思っていた。しかし「JTNC」を読んでいくうち、それは単に離れていると思い込んでいただけなのだと知った。
先の「sign magazine」の2015ベストはケンドリック・ラマー「To Pimp a Butterfly」だった。この永年語り継がれていくであろう金字塔的アルバムこそが、僕が最先端の音楽に触れた最初のアルバムだった。
このアルバムに参加しているアーティストには次のような名前がある。カマシ・ワシントン、サンダーキャット、ロバート・グラスパー、テラス・マーティン。どれも現在のジャズシーンにおける最重要人物たちだ。
それらの名前は聞いたことはあった。しかし彼らがどれだけ重要な存在であるかは「JTNC」によって知ることができた。そもそも上に挙げた名前はスヌープ・ドッグのアルバムにも以前から参加していたメンバーなのだ。中でもシーンを引っ張り続けているロバート・グラスパーは、ヒップホップのビートをジャズのアコースティックバンドに持ち込むことによって、新たなジャズの可能性を開いた。

それは「クロスオーバー」などとも言われるが、僕はこの言葉には違和感がある。
というのはジャズの歴史を今回改めて辿っていくことで見えてきた普遍的な事実があったからだ。
もともとジャズはニューオリンズで生まれたとされている。この街は当時から様々な人種が入り乱れていた。当時流行っていた主に白人のブラスバンド、黒人のブルース、カリブ系のラテン音楽。人種、ジャンルがボーダーレスに交わることでジャズの土壌は育まれていった。
マイルスやコルトレーンといった面々が有名なこともあって黒人音楽のように思われることもあるようだが、最初のジャズ録音とされるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドは白人のバンドだった。そのバンド名も元々は「ジャズ」ではなく「ジャス(Jass)」だったという説もあり……と定説はいまだにないのである。
しかしはっきり言えることは、繰り返すようにジャズはその始まりから様々な音楽の混合、そして、人種の混交だったということだ。
アフロ・キューバンへの憧憬、エレクトリック・マイルスに代表される電子への傾倒、ビートルズに影響され8ビートを持ち込んだリー・モーガン、キャッチーなメロディにジャズの複雑なリズムを乗せたフュージョン、そして現在に至るロバート・グラスパーとヒップホップ……「クロスオーバー」とはあくまで便宜的な言葉だ。それはごく普遍的な現象なのだ。

そして僕にポップミュージックへの扉を開いてくれたケンドリック・ラマー。前述のとおりそこにはジャズの第一線たちが息を吹き込んでいた。それはポップミュージックへの入り口であったと同時に、無意識的な現在進行形のジャズへの扉でもあったわけだ。
それはつまりひとつのジャンル、コミュニティとは一見関係ないものからでも思わぬ接続があるという事実だ。それは音楽に限った話ではない。
オタク的にひとつの場所だけに安住するのでなく、それ以外から様々な視点を獲得する。そういう意味で「JTNC」は従来のジャズ雑誌、50〜70年代のジャズを延々ループしているようなものとは一線を画していたし、僕を含めたリスナーに「いまジャズに何が起こっているのか?」という視点を提供した。
そしてそういった事実はいま、ジャズは聴いたことがない、ジャズはなんか敷居が高そうだし自分には関係ないと思っている人にも充分に起こりうることである。一見無関係だと思っていたものには、土地・歴史・人種その他の、多くの文脈から繋がりが見えてくる。それに気づき、繙いてみたいと思ったのなら、あなたの耳は必ず豊かになるはずだ。

追記: もしあなたがジャズに踏み込みたいと考えるならもちろん柳樂氏の「JTNC」をお勧めする。が、まずは「ジャズらしい」ジャズ、つまり僕たちが普段BGMとして耳にする5.60年代のモダンジャズを聴きたいという人には、アニメ『坂道のアポロン』のサントラを勧めたい。本編も素晴らしいが、劇中の演奏は松永貴志、類家心平ら日本の第一線のプレーヤーたちによるものだ。
それらをまとめたサントラの曲目はいわゆるジャズのスタンダードナンバーであり、聴きやすくとてもいい選曲だ。サブスクにもあるが、できればCDがいい。中のブックレットには曲目ごとの詳しい解説があり、そこに載っているプレーヤーの名前から知識を広げてみてもいいだろう。


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