偶然性に賭けてみるのもいいんじゃない?
今までイラストを描くときは紙に1ミリボールペンで絵を描いて、写真をとってPCにいれてトレースして、、、という手順をとっていた。ペンタブもなかったのでなかなか手間のかかることをしていた。
それが一昨日に!ついに!iPadが我が家にきて!今はapple pencilで、iPadに直接下書きから仕上げまでやるという方法がとれるように。うまくトレースできなくてイラストレーター上でちまちま作業していた時間は非常に手間であった。。。
・・・
そこで気づいたこと。使う道具が変わったことによって、その時に自分が描いてみたいと思う絵柄がゆらぐこと。そしてそれは人と人が関わり合ったときに、自分の反応や心境がゆらぐことと一緒だなと思った。
・・・
iPadで使えるソフトの中に収容されているあまたのブラシをこの手中に収めた私は、色々なブラシを片っ端からためしていた。(今の所「水彩ブラシ(リアル)」が使いやすくて気に入っている。)
そのブラシを使ってみたら「あ、こんな感じの雰囲気の絵が描けそうだな」と思って、途中から急に方向転換しようとする自分がいた。私の中に既に「こんな絵を描こう」という確固たる意図があったわけではなく、そのような行動をとろうと思ったのはそのブラシを使って手を動かしてみて、その線を観察して感じ取るものがあったからである。
思い返すと、こういうことは今までもよく思っていた。描く紙や使うペンがかわると、それぞれに描きたくなるタッチ、描きにくいタッチが発生して、うまくかみあわさっていいものが出来るときもあれば、ミスマッチで失敗におわるようなこともあった。
これはそのまま人間関係にもいえることのような気がした。会話をする相手、その時の自分の心の状態などによって、自分が考えること、相手への対応、その時に生まれる会話は変わってくる。それに似たようなものを絵を描いているときに感じた。
・・・
何が言いたいかというと、「自分の絵柄はこれだ!!!」って決めつけすぎるのはよくないな、というかもっと自由に変わりうるその場の偶然性に賭けてみるのもいいな、とおもったこと。それは「自分はこういう性格のこんなことを大切にしている人間だ!!!」ということもそれはゆらぐものであるということと同じ。
描く方法や、描く内容、その時自分が摂取しているいろいろなものによって、自分の絵柄なんていかようにも変わりうる。しかも私なんてまだちゃんと絵を描き始めてまだ全然期間も短いペーペーである。
決めつけすぎず、その時に描いてみようと思えたものを、その感情を取りこぼさずに描いていきたいなと思った話でした。
2019年7月13日(土)01:02
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?