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この気持ちは「どこ」から?

もしあなたが孤独を感じているなら、それは少し「思い込み」があるかもしれない。あなたも私もひとりじゃない。どこかの歌のフレーズではなくて、本当に私たちは「私」という「単体」では生きていないのだ。

「あなたは一人じゃないよ。私がいるし、みんなだっているじゃない。」よく聞くこれは目に見える3次元のオハナシで、だってそんなん言われたって自宅に帰ったらやっぱり一人で、寂しくご飯を食べながら「ああ、本当にただの綺麗ごとだよな・・」という風に、やはり3次元という世界は辛い。

そうではなくて、4次元5次元の世界に行こう。
実は「あなた」は「あなた」だけで構成されてはいない。寂しいなあと食べているのがみそラーメンだとして、なぜそれを食べているのか?それが好きだから?食べたかったから?ではなぜその瞬間に「食べたい」と思うのか?その「キモチの出どころ」に関して不思議に思ったことはないだろうか?

私はちなみにお酢が嫌いでチョコレートが好きだ。理由は?分からない。なぜ?というキモチの出どころが不明なのに私は今まで「自分は100%私という意思で作られている」と思っていた。けれどそれなら「自分はなぜお酢が嫌いなのか?」の根本からの説明ができるはずなのだが、それがうまくできない。生まれた時からなんとなく、嫌いなのである。

コントロールできていたと思っていたものが実はそうでは無かった。つまり「自分のコントロール外の力」というものに私は気づいてしまった。例えば私がみそラーメンを食べる時、その意思決定は「他の何者かが介入している」ことがありえるのだ。

『♪あなたには私がついてる、みんながいる。』3次元世界のよくありげな応援ソングを聴いて、家に帰れば「なんだ、結局誰も一人じゃん。」と寂しい気持ちでラーメンを食べていると、ふと思い出す。

「あれ、ラーメンといえば、そういえばうちのじいちゃん、すごいラーメン好きだったよな・・あれ?今日ってじいちゃんの命日じゃね?すっかり忘れてたわ」

驚くことはない、じいちゃんはフツーに君に介入している。君のキモチの中に入り込んで、ラーメンを食べたいと思わせて、それを通して命日を思い出してくれよ孫よ、とただ言っている。そしてついでに、「アンタは一人じゃないよ」とメッセージを送ってくれているのだ。

私も、祖母が他界してしばらくは無性にお菓子が食べたくなった。特にアンパンは好きだったから、気づいたら滅多に食べないアンパンを美味しい美味しいと食べていた。気がついたらアンパンに手を伸ばしていて、「買いたいな」と思っていて、気がつけばフツーに食べていた。
私はこの時悟った。祖母は、いや、あらゆるご先祖そしてあらゆる私が意識する霊体の方々はいつも私の肩の上にぴったりとくっついていて、何かあると私のキモチの中に入り込んで来る。それは良くも悪くも。つまり、自分のキモチ次第である。

この世から親も友達も仲間も消えた空間に居たとして、それでもあなたも私も一人には、永遠にならない。

あなたのそのキモチはどこから?
ノドから?鼻から?社会常識から?親から?あるいは、何かフシギな「なんとなく」から?
例えば肩の上にいる「誰か」を意識して、そして無性にアンパンを食べたくなったのなら、あなたは控えめに言って、一人じゃない。

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