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キズナアイ問題から考える先人の言葉と物語

10月16日は英国を代表する文人、オスカー・ワイルドの生誕日です。彼は『サロメ』など数多くの作品を残していますが、それ以上にその生き様や名言が後世に与えた影響は大きいでしょう。彼の言葉に以下の様なものがあります。

 善人はこの世で多くの害をなす。

 彼らがなす最大の害は、

 人びとを善人と悪人に分けてしまうことだ。

彼の死から100年以上が経っていますが、この言葉は現在でも私たちの社会の核心を突くものではないでしょうか。今年、本庶佑特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞したことを受け、設けられたNHKの特設サイト『ノーベル賞まるわかり授業』に起用されたバーチャルユーチューバー「キズナアイ」の衣装やサイト内での役回りについて、批判の声が起きTwitterなどのSNSで炎上する騒動がありました。彼らの主張は「女性の身体は女性のもの」と言った、「女性の身体が、キャラクターが男性の価値観によって一方的に性的消費されている」(大意)もので正直、私的にはそういった趣よりは世界的にも人気のあるキズナアイを起用することでより多くの人の関心を集めようとした意図の方が大きかったように思うのですが、NHKという組織とノーベル賞という権威的なものに対する反発の部分が大きかったのかなと考えています。昨今はライトノベルの表紙に巨乳のキャラクターが描かれていることに対する批判など、SNS上での表現に関した議論が盛んになった気がしますが、同時にそうした批判に表現の自由を守る側は直ぐに折れて炎上鎮火を計る傾向が強いと思います。そんな問題を今一度考えるのに、私は安部公房の『箱男』(新潮社)を推薦したいと思います。

安部は、1951年に短篇『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞を受賞し、その後も『砂の女』や『他人の顔』など代表作を発表したほか、自身の演劇集団「安部公房スタジオ」を立ち上げ世界的にも彼の演劇は評価され、晩年はノーベル文学賞に最も近いと言われる程でした。『箱男』は、1973年に安部が書き下ろした長編小説で段ボール箱を被って生活する男の手記を中心に“箱男”が関わる人物たちの視点や寓話、新聞の切り抜き記事や写真などを含む実験的な構成で、普段私たちが日常的に読む小説とは一線を画す作品です。匿名的に生きる箱男の視線を通し、人間の尊厳や存在意義を問う哲学的な一面もあり、非常に読み応えのある一冊です。とは言え、斬新な構成や独特のエロティシズムを含む表現でスラスラと読めるので秋の夜長や旅先での読書にうってつけだと思います。

ここで、キズナアイの問題に対して大変示唆的だと感じたこの小説の一部を紹介して、この文を締めたいと思います。

――見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。――

――現実の裸に想像が追い付いたり出来るわけがない。見ている間だけしか存在してくれないから、見たいと思う欲望も切実になる。見るのをやめたとたんに消えてしまうから、カメラで撮ったり、キャンパスに写したりしなければならないのだ。裸と肉体は違う。裸は肉体を材料に、眼という指でこね上げられた作品なのだ。肉体は彼女のものであっても、裸の所有権については、ぼくだって指をくわえて引退るつもりはない。――

今だからこそ、もう一度彼らが考えて来た表現や社会の在り方について想いを巡らすことが大事なような気がします。

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