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【翻訳】THE BAG By SAKI/「獲物袋」著 サキ

 「小佐がお茶をしにいっらしゃいます」ホーピントン婦人が姪に向かって言った。
 「先ほど馬を馬小屋に連れて行ったのですぐ来るでしょう。明るく元気に愛想よく振舞うのですよ。暗いと貧相に見えるのだから」

 パラビー少佐は癇癪持ちで些細なことにもすぐ腹を立てる。そんな彼でもペクサドル・ハウンズ狩猟協会で人気のあった男を引き継いで会長となったことには理由があった。協会で約半数以上がキツネ狩りについて反対しており、残りの賛成派を懐柔することには彼の機転と気立ての良さが大いに役立った。キツネは罠にはまったり、乱獲により急速に減り始めて、その為に会費も落ち始めていた。少佐は、この窮状で理にかなった弁解を訴えることができた。

 パラビー少佐と近日中に結婚をすると決めていたホーピントン婦人は、彼に味方して反キツネ狩猟の影響を受けた。彼へ送られてくる批判に対して、彼女は一年で三〇〇〇もの意見書を返した。結婚に関して少佐は消極的だったが、彼も彼女の熱意には感心していた。
 「彼は昨日、再び荒れ果てた草原を見回って来たばかりなのよ。あなたがどうして馬鹿な狩猟好きなロシア少年と一緒にいるのか、とても理解できないわ」
 「ウラジミールは馬鹿じゃないわ。彼は私が出会った中でも最高の人よ、叔母さんの狩猟好きな部下たちと一緒にしないで」とノラはウラジミールを庇った。
 「それにしても、彼は乗馬できないんでしょ」
 「ロシア人は鉄砲を使うの」
 「そうだったわね。彼はどんな獲物を撃ったのかしら? 昨日、獲物袋にはキツツキが入っていたみたいだけど……」
 「ええ、でも彼は同様に三羽のキジと何匹かのウサギも撃っていたわ」
 「それでもキツツキだけが獲物袋に入っていたことに変わりないじゃない」
 「外国の人は、英国人みたいに袋に色んな獲物を入れないの。ちょうど英国人たちがノガン(アフリカ大陸、ユーラシア大陸に分布する渡り鳥)に忍び寄らなければならないのと同じくらい慎重に、彼らはハゲワシをビン詰めにするのよ。とにかく、特定の鳥はハンターとして尊厳を持って扱わなければならないと、私はウラジミールに説明したのよ。彼はわずか一九歳だし、そのことが彼のプライドに訴えたのは確かよ」
 婦人は鼻で笑った。ウラジミールに会った多くの人々は彼の気高さに感心していたが、彼女はそうでなかった。
 階下で扉の開く音が聞こえ、婦人は「彼が入って来たみたいよ」と述べてから「私は、お茶を準備しに行ってから、それをホールに持って来るから。私が下に行く前に彼が入って来たら、少佐の相手をしてもらって。くれぐれも身ぎれいにして失礼のないようにね」と念を押した。
 ノラは生活の為に叔母の資産に依存している上に、田舎の保守的な家ではロシアの若者が入って来ることに良い印象を与えていなかったので、彼女は心配していた。しかし、そのうら若い紳士はどんな嫌味も全く気に掛けないように堂々とホールに入って来た。いつもより、疲れた顔で汚れたままの姿だった。彼の獲物袋はいっぱいに見えた。
 「何を撃ったか、当ててみて」ウラジミールはノラにいたずらにほほ笑んだ。
 「鳩、うさぎ……」とノラが応えると、「違うよ、もっと大きな獣さ、僕は英語で何て呼ぶのか知らないけれど、茶色で黒っぽい尻尾を持った……」と彼が続ける。
 「それって、木の中に住んでて木の実を食べるんじゃない?」彼女が“大きな”という彼の言葉は恐らく言い間違いと見越して質問する。ウラジミールは笑いながら「リスじゃないよ」と彼女の答えを遮る。
 「じゃあ、泳いでいて魚を食べる?」ノラはそれがカワウソであることを必死に心の中で祈りつつ返した。
 「違う」とウラジミールは獲物袋の肩ひもをいじりながら、「森に棲んでいて、うさぎや鳥なんかを食べるやつさ」と自慢げに言った。
 ノラは突然座り込んで、両手で顔を覆った。
 「ああ、なんてこと……キツネを撃ったのね!」と彼女は泣き叫んだ。
ウラジミールは驚愕して彼女を見返した。動揺した彼女は恐ろしい事態を説明しようとしたが、うまく説明できなかった。彼は何もわかっていなかったが、何かいけないことをしたことだけは感じ取っていた。
 「隠して、早く!」ノラはまだ開かれていない獲物袋を指差しながら言った。「おじさんが来るわ、棚の一番上に仕舞って。そこなら多分見つからないわ」
ウラジミールは獲物袋を投げ入れたが、肩ひもが壁のに引っかかって悪いことに紅茶ポッドのすぐ隣に落ちてしまった。その時、ホーピントン婦人と少佐がホールに入って来た。
 「少佐は明日狩場に赴きます」と婦人はたいそう満足気にアナウンスし「私たちが楽しめることは間違いないでしょう。今週は森で三回もキツネを見たそうですから」と言った。
 少佐は「だと良いのだが、まあ、そうなるだろうね」と仰々しく頷きながら「急がなければ。聞くところに拠るとキツネが居ついてから、まだ幸運にも捕らえられていないそうじゃないか。私はごく最近、彼女の森でやつを見かけたところだから、もう少し遅れたらきっと私たちが行く前に撃たれているか罠にはまっていただろう」
 「少佐、もし誰かが私たちの森で狩りをやっていたりしたら、軽くあしらって下さいね」とホーピントン婦人が言った。

 ノラは不意にテーブルに近づき、サンドウィッチの皿に乗ったパセリをせわしなく動かして飾り直した。ぼんやりと少佐の気難しい表情が目に入り、恐ろしくなってウラジミールに悲壮な目を向けた。なんと忌々しいことだろう。彼女はテーブルの上から目を上げることができず、キツネの血が白いテーブルクロスの上に滴り落ちないことを願うだけだった。叔母の「愛想よくいなさい」という忠告をノラは思い起こし、歯を見せて笑顔を作り続けた。

 「今日はどんな獲物を撃ったの?」ホーピントン婦人は、柄にもなく黙っているウラジミールを不審に思い、尋ねた。
 「な、何も、なにも話せるような獲物は見つからなかった、ですね…」ウラジミールはどもるように答えた。ノラは心が痛んだ。
 「そう。なにか話の種にでもなる獲物が見つかれば良かったのにね」婦人の言葉だけがむなしく響き、その場にいた全員はまるで舌を失ったように黙りこくっていた。
 「きみが最後にキツネを見かけたのはいつだったのかな?」少佐が尋ねた。
 「昨日の朝です。黒っぽい尻尾をもった活発なオス狐だそうで」ホーピントン婦人が応えた。
 「なるほど。我々は明日、その尾っぽと最高の追っかけあいができるだろうな」少佐はユーモアたっぷりに話したが、砂糖をかき混ぜるティースプーンがカップソーサーにカチカチとあたる音を除いて、再びテーブルの周りを沈黙が覆った。沈黙を破ったのは、ホーピントン婦人の飼っているフォックス・テリアで、空いた椅子の上に飛び乗り、テーブルより高い場所を用心深く、くんくんと冷めたお茶菓子よりもなにか興味を引くものがある様子だった。

 「何に興奮してるのかしら?」婦人は怯えた様に鼻を鳴らし、走り回りながら突然騒ぎ出した犬を見た。「どうしたの? あれはウラジミールの獲物袋じゃなくて? 一体何が入ってるの?」婦人は犬の鼻先にウラジミールの獲物袋を見つけた。
 「どれどれ」少佐は立ち上がった「すこし温かいぞ、何か入ってる!」
ほぼ同時に、少佐とホーピントン婦人はこれまでの経緯から同じ考えが浮かんだ。彼らの表情がみるみる青ざめていき、悲壮な声で「キツネを撃ったんだな!」と叫んだ。

 ノラはウラジミールを見つめる二人の非難の目から彼を守ろうと試みたが、ますます彼らをいかがわしく思わせただけだった。少佐は激怒し、街に買い物に行って試着した洋服の上にさらに洋服を着る女性のように半狂乱となった。罵って、残酷な運命と全ての不条理に文句を言い、悲しそうに涙を流し、あまりに自分自身が可哀想に思え、これまでにない、癒えることのない重い天罰を嘆いた。もし、タマゴテングタケ(猛毒キノコ)が1週間彼に貸されたら、すぐに食べて死んでしまっていただろう。
 彼の嵐のような喚きの中でも、ホーピントン婦人の不満げな声とフォックステリアの吠えている声は聞き取ることができた。煙草をなでまわしながら、紫煙の合間で彼が語彙に力をこめて、ずいぶんと古くさい英国の形容詞を繰り返していて、ウラジミールは(言われていたことの十分の一も理解できず)座っていた。古いロシアの民話で魔法をかけられた鳥を撃った狩人のように、彼の心は、青春期へ戻って道に迷ったようだった。
 一方、少佐は閉じ込められたサイクロンのようにホールのまわりを歩き回って、電話を見つけると、それに飛びかかって、秘書に電話し、ただちに会長職の辞任を発表するように言いつけた。
 使用人は少佐の馬を玄関に連れて来て、すぐにホーピントン婦人の草原に放った。しかし、少佐の発表の後、彼女の必死の努力は、その目的を完全に逃した――まるでワグナーのオペラが激しい雷雨の音にかき消される様に――。
 彼女の厳しい攻撃が段々と尻すぼみとなり、ホーピントン婦人は突然、涙を拭って部屋から出ていった。そして、彼女の出ていった後は沈黙と混乱だけが残っていた。

 「一体ぼくに何ができるっていうんだ?」ウラジミールは最後に尋ねた。
 「埋めるのよ」ノラは言った。
 「ただ埋めるだけ?」ウラジミールは目を丸くした。彼は火葬して墓を建てなければと思っていたのだ。

 とある11月の午後、ロシアの少年はわずかな参列者とともに教会で祈りをささげた。大きなヨーロッパケナガイタチの遺体がホーピントンの庭のムラサキハシドイの木の下に埋葬された。

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