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ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

今回は敗戦によって凋落したハンガリー映画が徐々に復活していく時代を追っていこう。

・遂に政府介入

1925年になって、政府が解決に乗り出した。国営の映画製作会社を復活させ、映画製作基金(The Film-Industry Fund)と代理店(The Hungarian Film Agency)を設立した。基金は破産したコルヴィン撮影所を1927年に買い取った。翌年、The Hunnia Film Studio Companyが設立され、長編映画を製作するようお達しが下る。製作資金は外国映画を配給する際に1メートルにつき20ペンス(後に40ペンス)の税金を課したことで1年に100万ペンゲー稼ぎ出すことに成功した。しかし、このような体制が敷かれた直後、世界恐慌とトーキー映画の波がハンガリーに到来する。トーキー映画は無声映画に比べて製作にお金がかかるので、余計に映画製作が困難になってしまう。

・トーキー映画時代の到来

1929年9月20日、ブダペストのフォーラム・シネマがロイド・ベーコン『シンギング・フール』を上映し、翌年にはブダペスト中の映画館がサウンド・システムを導入、更にその翌年にはハンガリー全土の映画館がサウンド・システムを導入した。これに乗っかって、1929年にはマイケル・カーティスが自身の作品『The Noah's Ark』にマジャル語のイントロをつけて上映したり、1930年にはUFAが『Sunday Afternoon』でヴィリー・フリッチがマジャル語で歌う場面を付けたりしていた。国産映画では、Gaál Bélaの『Csak egy kislány van a világon (There is Only One Girl in the Whole World)』がレコーディング機器をフォックスから借りて撮影された。この映画はマジャル語の歌と少量の会話を含んだトーキー映画であり、1930年5月12日に上映された。

無声映画は無声であるがゆえに普遍性を勝ち得たが、トーキー映画の到来によってその普遍性も消滅してしまった。当初、製作者たちは何種類かの言語を当てた別バージョンを作っていた。例えば1929年、パラマウントがパリに持っていたジョアンヴィル・スタジオでアメリカの大ヒット映画のマジャル語版が再撮影されていた。
ビクター・シャーツィンガー『The Laughing Lady』
ウィリアム・C・デミル『The Doctor's Secret』
である。これらの映画はパリのスタジオでハンガリー人俳優によってリメイク(と言えばいいのか)されており、ブダペストでは冷静に受け入れられていた。これに対してHunniaは1931年にトーキー映画の基盤を一新した。

・ハンガリーのトーキー映画

ハンガリー初のトーキー映画は、1931年9月25日にプレミア上映された『A kék bálvány (The Blue Idol)』であるが、これはあまり成功しなかった。ハリウッド・スリラーの薄味な模倣に過ぎなかったからである。そこで、ベルリンにいたSzékely Istvánを故国に呼び戻し、ハンガリーで最も人気だったジャンル"中産階級向けコメディ"を作らせた。

これがHyppolit, a lakáj (Hyppolit, the Butler)である。

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この映画はお馬鹿な成金プチブルとその自惚れた妻を描いた作品で、2000年にハンガリーの批評家が選出した20世紀ベスト12(通称"ブダペスト12")に選出されている。このジャンルは再び人気を得て、この後数多く製作されることになる。

・アート系映画の成功と失敗

アート系映画として最も名高い映画が翌年製作される。ハリウッドに渡って戻ってきたパウル・フェヨシュがフランスの資金援助を受けながら故郷で2本のトーキー映画を監督したのだ。これが
『Tavaszi zápor (春の驟雨)』
『Ítél a Balaton (The Verdict of Lake Balaton)』
である。前者は棄てられたメイドが聖人になるまでを描いた作品、後者はロミジュリ的ロマンスを含む漁師一家のバトルを描いた作品である。2本とも国際的な成功は収めたものの、ハンガリーの観客達には冷遇された。結果として、フェヨシュは深みのあるストーリーを描くのを止めてしまい、プロデューサーたちも成功モデルから逸脱するのを嫌って、芸術的な試みには援助をしなくなり責任を負うことも拒否するようになってしまった。


ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代 に続く

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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