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ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

新たな道を模索したハンガリー映画界はドキュメンタリーという分野から多くの手法を吸収することで、新たな黄金時代を築き始めた。今回は共産主義政権が崩壊する前夜にもう一度花開いたハンガリー映画二度目の黄金時代についてご紹介!例の如く長くなってしまうので分割してお届け!遂にタル・ベーラ登場!

・新たな語り口

映画と同様に文学の80年代も1979年に始まった。実際の出来事や人物を題材とした長編映画が初めて公開された年でもあった。これら題材となった出来事や人物が共産主義政権時代全てを象徴することになるとは思ってもみなかったようだ。このような映画は、概して常時危機的な状況を生きていかねばならなず、人間としての勝ちを失ったことに苦しまざるを得ない人或いは人々の悲しく物語を客観的な目線で描く作品だった。

イェレシュ・アンドラーシュ(Jeles András)の初長編作品『A kis Valentinó (Little Valentino)』(1979)は"人類学的には最悪の映画"と呼ばれている。一見無意味そうな物語の中を、金庫に仕舞っとくべき大量の金を携えた一人の青年が街を歩き回る。彼はタクシーに載ったり降りたりを繰り返し、金を湯水の如く使って普段は出来ないことをやり遂げていく。しかし、どれにも面白味は見いだせないし、誰とも関係を築こうとしない。イェレシュによくこの作品は、適切な過去や背景を持たない大部分の人間は時が経っても成功することはないという教訓を初めて示したものだった。尚、同作はハンガリー映画20世紀ベスト、通称"ブダペスト12"に選出されている。

ゴタール・ペーテル(Gothár Péter)の『Ajándék ez a nap (A Priceless Day)』(1979)はドキュメンタリー映画的な手法を用いたもう一つの長編映画だ。この映画は同時代が実際にはどのような姿をしていたかを白日の下に晒した。生活の質は公式に認められていた"おとぎ話"からはかけ離れていたのだ。映画には互いに自信の問題を語り合う二人の女性が登場し、夜通し酒を飲んで、生活の上で解決できない問題がどれほどイライラするかを語り合うのだ。

これら二つの映画で、カメラはまるで出鱈目のように、人物の周りを回って観察しているようにも見える。そして、観察する人間すらも困惑するような状況も、劇中の出来事に含められ、奇妙な角度から部外者として眺めさせられているような気分にさせるのだ。当て所ない放浪の自発的描写と同時に起こることは無いだろうがそれでも正確で信頼に足る心理的・感情的カオスの登場。これは新しいことだった。

Rényi Tamás『Élve vagy halva (Dead or Alive)』(1979)やLugossy László『Szirmok, virágok, koszorúk (Flowers of Reverie)』(1984)の二作は、1956年に起こった悲劇的なハンガリー動乱を想起させる内容は衝撃的だった。人々はその出来事を半ば忘れかけており、理想のためになにかを犠牲にすることなどほとんどなしに自分の人生を構築していたからだ。また、この両監督がロマンチックな歴史物語にメッセージを隠していた頃、マック・カーロイはレズビアン恋愛というドラマチックな物語を語っていた。『Egymásra nézve (Another Way)』(1982)は、他人の責任を大胆にも問い詰め、満たされない約束と不透明な未来を積極的に知りたがる数少ない人間が、失墜していく様を提示したのだ。

★ゴタール・ペーテル

ゴタール・ペーテルの『止った時間 (Megáll az idő / Time Stands Still)』(1981)は80年代を象徴する映画だった。モノクロでドキュメンタリー映画を思わせるような冒頭、主人公の父親は1956年に家族のもとを去って西側へ逃れ、一瞬にして映画は1963年に飛ぶ。そこでは、15歳になった主人公が世界を知ることで、自身のいた環境が機能不全に陥っていることを知る。失望が増すにつれ、生き延びるために人は嘘をついたり妥協したりすることを学び、彼らは無意識ながらベタついて停滞した現状に沿って生きることを実感する。力強い物語に加えて、コルタイ・ラヨシュによる素晴らしい視覚的世界が、同作を世界的に有名な作品にしたと言っても過言ではない。ゴタールは後の多岐に渡る映画たち(下記)でも、環境に適応できなかった人々の悲劇的な対立を提示し続けた。環境は歴史に留まらず、自宅でも引いては縮小を続ける世界にも目を向けていた。
『Idő van (Time)』(1985)
『Tiszta Amerika (Just Like America)』(1987)
『Melodráma (Melodrama)』(1990)

★タル・ベーラとフェヘール・ジョルジ 空間と時間

イェレシュ・アンドラーシュやBódy Gáborと同じく、タル・ベーラは、70年代後半から80年代にかけて発生した、ポーランドの"連帯"のような巨大な社会集団が失墜し、ある種の価値を失う過程を描いた。『Szabadgyalog (The Outsider)』(1980)はアマチュア俳優を使ったモキュメンタリー映画だった。社会の片隅に生まれ、家族も安心できる後ろ盾もないが、類稀なる音楽的な才能と感度に恵まれた男の話だが、彼の努力は最終的に悲しい失敗に終わってしまう。

次作『Panelkapcsolat (The Prefab People)』(1982)は、ドキュメンタリー映画によく見られるような架空の状況を基に、プロの俳優を使って製作された。ロングテイクを用い、プレハブの下の会福祉を謳う巨大ポスターの裏に隠れて暮らす金銭的にも精神的にも貧しい人々の生活をグロテスクなまでに克明に綴ったのだ。そして、キャリア唯一のカラー映画『Őszi almanach (Almanac of Fall)』(1984)でも再びプロの俳優を使い、一つの場所に集った5人の人間の心理戦争を通して、人間の行動と相互作用を描き出した。

続く『Kárhozat (Damnation)』(1987)で、タルは新たな語り口をマスターした(勿論、その前にテレビ映画『マクベス (Macbeth)』で60分長回しに挑戦していた)。この映画において、全ての事物は"終わって"いて、全てが散らばった欠片のようになっている。モノクロの画面の中、雨が降りしきる痩せた土地を、カメラは一見して終わりのないテイクの中を動き続け、Breznykという目的も仕事もない男の話を見せつけ続ける。終末のような雰囲気は"タイタニック・クラブ"の壊れたネオンランプによって増幅される。このようなネオンサインはイェレシュ・アンドラーシュ『A kis Valentinó (Little Valentino)』(1979)のラストで"タイタニック号のオーケストラは沈むその瞬間まで演奏を続けた"というフレーズを思い起こさせる。

クラスナホルカイ・ラースロー(Krasznahorkai László)の小説を基にした7時間半の超大作『Sátántangó (Satantango)』(1994)では、時間が神話的な実体を持って独立し始めなような感覚に陥る。ほとんど動かない"Moving Picture = 映画"という独自で完全無欠の映像スタイルを確立したのだ。時間と空間の普通でない扱い方の裏で、映画は聖書的な名前(イリミアーシュ→エレミヤ、ペトリナ→ペトロ)と聖書的な出来事(エスティケの死とその昇天)を扱っている。他にも、トルコ統治時代から取り残された男など、アルカイックな要素を使った部分も多くある。これら多くの要素を通して、地域社会の不運な人々についてのドキュメンタリー映画的な物語は普遍的なものとなったのだ。

タル・ベーラが社会の片隅に暮らす人々を我々に見せようとしたのに対して、時間と空間を同じ用に扱っていたフェヘール・ジョルジ(Fehér György)は、観客を人間の魂とそこで起こりうる過程へと導いた。『Szürkület (Twilight)』(1989)では二つの全く異なる種類の探索が衝突し、『Szenvedély (Passion)』(1998)では三人の人物たちの甘美な戦いを描いている。

・90年代、タルとフェヘールの追随者たち

形而上学的な態度と壮観な視覚世界を持っていた90年代の何人かの映画作家たちは、タル・ベーラやジョルジ・フェヘールの足跡を辿り、その起源であるイェレシュ・アンドラーシュ『A kis Valentinó (Little Valentino)』(1979)にまで肉薄した。

Janisch Attila『Árnyék a havon (Shadow on the Snow)』(1991)は、偶然犯罪を犯してしまい、娘と共に警察から逃げ回るという話だ。

サブカルのミリューを扱った『Hótreál (Damn Real)』(1987)に続き、サボー・イルディコー(Szabó Ildikó)は『Gyerekgyilkosságok (Child Murders)』(1992)を撮った。同作は両親のいない子供の悲劇的な数ヶ月の話で、最終的に殺人にまで発展してしまう。

サース・ヤーノシュ(Szász János)の『Woyzeck』(1993)は、現代化されたゲオルク・ビューヒナーの戯曲の映画化作品だ。ある普通の男がその自由を証明するため、自身の不実の愛に対して復讐をするという話である。

社会の片隅で生きる人々にとって、犯罪を犯してしまうこととは、しばしば全くの偶然として起こりうるが、その環境や状況から避けられないものでもあるのだ。客観的に提示される色のないミリュー(マンションのブロック、土手、橋、液、禿山、冬の丘など)は、その場で題材に変わり、彼らの行いを示すものとなるのだ。

・ドキュメンタリー映画と実験映画の要素を様式化

イェレシュ・アンドラーシュは『Álombrigád (Dream Brigade)』(1983)で、階級全体を見渡した偽の"自画像"を破壊することで、労働者層の公式なイメージや主張を突き崩した。同作は編集も書き直しも出来ないため、当局が許容し難いとして上映禁止となり、共産主義政権が崩壊した1989年になって漸く一般公開された。映画で描かれる"工場旅団"が労働者層、つまり理想的な共産主義社会で本来支配者層となるべき人々を指し示していた。しかし、実際には彼らは自発的に知識を欲することもなく、精神は混乱しており、未来にいかなる願望を持ち合わせていなかった。満足に会話することすらままならず、ちぎれちぎれになった文章の破片を発するだけなのだ。中でも最も残酷なシーンは、工場の視察に来たレーニンが出ていく度に、警備員がアタッシュケースの中身を確認するシーンだ。

イェレシュはハンガリー映画で描かれた社会主義者の抱く労働者のイメージを積極的に壊していった。そして、他の映画のような物語る形式や物語そのものをも破壊していき、視覚的な壮観に新たな意味を与えることにした。次作『受胎告知 (Angyali üdvözlet / The Annunciation)』(1983)では、19世紀の古典劇ながらキャスティングは全員子供を使って構造・視覚の両面からこの時代の希望のなさを表現した。この視点は非常に悲観的なもので、大きな問題となった。そのため、長い間映画製作には関わらず、代わりに劇場で様々な試行を繰り返した。久しぶりの作品『Senkiföldje (Why Wasn't He There?)』(1993)は、トランシルヴァニアの寒村で暮らす少女の日記を基に作られ、痛々しく自虐的にホロコーストと正面から向かい合った作品だった。

★ソミアス・ジョルジ

ソミアス・ジョルジ(Szomjas György)はその良きパートナーと呼ぶべき撮影監督Grunwalsky Ferencは、80年代に入ってそれまでの実験的な作品
『Vörös Rekviem (Requiem for a Revolutionary)』(1975)
『Talpuk alatt fütyül a szél (The Wind is Whistling under Their Feet)』(1976)
『Rosszemberek (Wrong-Doers)』(1978)
『Kopaszkutya (Bald Dog)』(1981)
から、自分たちの主張を全面に押し出した作風にシフトする。ボロボロのアパートや近くのパブなどブダペスト市内で典型的なキャラクターと物語を展開していった。監督と撮影監督は素人俳優を使ってドキュメンタリー映画風に撮ることで、色の変更や繰り返し、ジャンプカットなどの実験的手法と釣り合わせた。彼らはアマチュア作家にみられるような粗悪な編成や映像を故意に使うこともあった。そして、ソミアスとGrunwalskyは『Könnyű testi sértés (Light Physical Injuries)』(1983)に始まり、
『Falfúró (The Wall Driller)』(1985)
『Könnyű Vér (Fast and Loose)』(1989)
『Roncsfilm (Junk Movie)』(1992)
『Csókkal és körömmel (Kisses and Scratches)』(1994)
という一連の作品群を生み出した。
また、ソミアスが80年代の終盤に親しくなった実験作家のSzőke Andrásは、同じく市井の人々を中心に据えながら、物語は次第に馬鹿げたものになっていき、最終的にシュールなパロディに落ち着くというのが彼の得意分野だった。代表的な作品に以下のようなものがある。
『Vattatyúk (Cotton Chicken)』(1989)
『Európa kemping (Europa Camping)』(1990)
『Kiss Vakond (The Little Mole)』(1993)

ソミアスの作品に携わっていたGrunwalsky Ferencは、独立して映画監督となり、ハンガリー映画史に名を残すような作品を手掛けた。顔の超クローズアップや攻撃的な照明を多用し、観客を俳優の顔を部分の関係、特に眼に注目させるのだ。
『Egy teljes nap (A Full Day)』(1988)
『Kicsi, de nagyon erős (Little But Tough)』(1989)
といった作品では、社会の底辺に生きる人々にカメラを向けた。或いは、
『Utolsó előtti ítélet (Last Judgement But One)』(1979)
『Goldberg Variációk (Goldberg Variations)』(1991)
では、拠り所を失くして精神が不安定になった人々に寄り添って彼らを理解しようとした。

Balázs Béla Studioで短編映画の製作や編集をしていたTímár Péterは、その長編デビュー作『Egészséges erotika (Sound Eroticism)』(1985)で非常に有名になった。俳優が後退を続けるシーンが、ミロシュ・フォアマンの『火事だよ!カワイ子ちゃん』のようなバーレスク・スタイルを作り出したのだ。ちなみに、物語は杜撰な管理から火事が発生する箱工場の話である。


ハンガリー映画史⑬-E につづく

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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