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セルゲイ・ロズニツァ『ジェントル・クリーチャー』ある寡黙な女の孤独な闘い

2017年のカンヌ映画祭コンペ選出組は本作品を除いて全て劇場公開されたことが話題となった。そうして私は漸くロズニツァの名前を知り、最も有名であろう本作品から彼の作品を巡るマラソンをスタートさせることにした。ドストエフスキーの同名小説『やさしい女』をベースにしていると言われるが、内容的にはカフカ『城』のほうが近いように感じる。また、これは後から分かったことだが、前作『In the Fog』や前前作『My Joy』とは決定的に異なることが冒頭の荘厳で絵画的な畑のロングショットから既に浮かび上がる。

ふくれっ面のリース・ウィザースプーンのようなヒロイン"優しい女"が直面する現代ロシアの闇を丁寧に描いた重厚なドラマであり、ソ連を飛び越えて帝政時代から未だに脈々と受け継がれるロシアの闇の歴史を浮き彫りにする。犯してもいない殺人罪で服役する夫に送った荷物が理由も聞かされずに送り返されたシーンから映画は幕を開け、女はそれを直接届けに行くがそれすらも"ダメだからダメ"と追い返される。人は彼女を見て慣れたように"父親か?夫か?息子か?"と訊き、荷物の受取拒否にも"よくあることさ"と受け流す。

ロズニツァは居心地の悪い空間を創造するのが非常に上手い。オストルンドの冷笑的なそれ以上に対象を突き放しているのだ。例えば、激混みのバスの中で喧嘩する人々や電車で酒盛りする人々の側に女を配置し、カメラは執拗に混乱を描いた後に仏頂面の女を画面にパッと入れることで、彼女が当事者であると同時に我々やロズニツァと同じ観察者であることも提示する。ブラックジョークに塗れた批判を一気に現実に引き戻す役割すら負っている。女は決して"その他大勢"に迎合して今の状況が普通であると諦めないし、状況に麻痺して暮らす人々に対しては冷静な目を向けている。だからこそ、人権活動家の事務所で万策尽き果てた時に動揺する姿は心動かされる。しかし、居心地を悪くする映像にしては色彩感覚は非常に繊細で、アンドリュー・ワイエス『クリスティーナの世界』のような錯覚を覚える冒頭から美しい映像が連なる。ロングショットの使い方が非常に上手い。

女が降り立った刑務所の最寄り駅の広場にはレーニンの胸像がデカデカと残っている。この駅の名前はOtradnoeと書いてあり、英語訳するとJoyfulとなるのだ。そんな駅名は存在しない。この辺で我々は気が付く。この映画は"リアリズム"と"メタファー"の映画ではなく徹頭徹尾"メタファー"の映画なのだ。その後もメタファーの描写は通りの名前にマルクスやジェルジンスキー(ソ連秘密警察の初代長官)を冠していたり、人権活動家の部屋にスターリンの肖像画飾ってあったりすることで、持続していく。そして、その気味の悪いブラックジョークの中心にいるのは仏頂面で世界を破壊していく"優しい女"である。

★以下、多少のネタバレを含む

刑務所では無下に扱われ、無理に宿泊した家ではどんちゃん騒ぎに参加させられ、ポン引きに絡まれと散々な目にあった女は、行く当てなく駅に戻って眠ってしまう。そして、全員が眠りこけた駅で、女は突然起こされる。短編ドキュメンタリー『The Train Stop』でも同じように眠りこけた人々を撮っており、自己引用とも言える。警察の馬車に乗せられた女は、これまで出てきた人々がソ連時代風の宴会を開く豪邸に導かれる。古き良き思い出を懐かしむ歌『長い道』が流れて幻想的な夜が強調される。それぞれが、今の生活や考えを述べるが、我々は同じ人間で国家の宝だと煙に巻かれる。共産主義とは原理的には人類平等という側面があり、ソ連としては対外的にはそうしていたが現状は違うということを示すシーンであり、その実ソ連時代の排除の歴史は現在とも陸続きであり、対外的な制約が取り払われた今となってはより過激化しているという事実を我々に突きつける。

"優しい女"と呼ばれた女は果敢にも国家に対して孤独な闘いを挑んだ。それがどういう結果を結ぶものであっても、ロズニツァの手によって、その記録は永遠に残されたのである。

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