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生まれた感情に理由はない。


写真が撮りたい。髪色を薄くしたい。気持ちを吐露したい。

このやりたい思いはどういういきさつで生まれたのかわかりません。突然頭に浮かんできたといったら大げさかもしれませんが、そのくらい自然と沸き立つものです。

たぶん、今、情緒不安の兆しが見えている。わかるぞ、この気持ち。

情報を受け入れすぎたことによる脳のショートが起こるとき、わたしは急激にすべてを吐き出したくなるんです。それは「表現」という言い方でも言い換えられると思うのですが、それだと何かアーティスティックな感じがしてむずむずしてしまうので簡単に、「難しいことを考えないで吐露したい。とろとろしたい。」と言っておきます。

でも、同時に世の中に表現者がたくさんいることが理解できる。そしてその表現者たちの大半が自分の人生をかけて表現しつづけていることもわかる気がしてくる。自分の中の「自分にしかないと信じている何か」を出してしまいたい気持ちがわかる。

承認欲求とか自己顕示欲とか、人は言うけと、そんな漢字ばかり並べないで言ってしまいたくなる気持ちがあるし、声に出して言えないから文章にするし、文字にできないからダンスが生まれ、音楽が生まれ、絵が、写真が、ファッションが生まれるんだと思うのです。

そこに特別な理由はありません。アーティストに憧れてはじめたとしても、何で憧れてしまったのか、惚れてしまったのか、その瞬間の「なぜ」がわからないから、その瞬間(とき)に見つけた手段でアーティストたちはずーっと、ずーっと表現しつづけているんじゃないかって思います。

わけなんてないから、知らずに髪色を薄くしたくなっちゃってさ、「透明になってしまいたい」なんてわけのわからない衝動が沸き立つんだけど、べつに目立ちたい、自己主張したいという気持ちの表れだけではなくて、生まれた感情を自分自身で受け止める一種の手だと、わたしはわたし自身の感情について理解しようとしているところです。

だって、前回と今回のnoteではあまりにも文章の色が違いすぎるじゃないですか。同一人物の書いている言葉か、って思いますよ。たまに自分を一人として考えられなくなる気持ち。これはもう、我先に自分のことを脳がショートしてしまったために情緒不安定で、感情の表し方がわからなくなっているんです。と白状しないとだめだと思いました。

そしてもしこれを書かなかったら、明日突然写真家ばりに写真をアップしてしまったときのわたしに対する読者へのちょっとした混乱と自分自身のギャップを埋めることはできないな、と思い、ある意味すっぴんを見せるような気持ちで書いています。

とはいえ・・・とはいえですよ。

こうやって気持ちを出してしまうと、案外落ち着いてくるもので。

だんだんとさっきまで錯綜していた気持ちが消えていくので不思議です。

わたしにとって書くことは、突如として生まれた感情を自分が受け止めるための手段。あとはいろんな「なぜ」を解決するため、会いたい人や見たい世界をみるための手段。だからとろとろしているうちに、何だかありがたいことに気持ちがスーッと楽になってきました。

情報が集まりすぎるとほんとうに苦しくなるんです。もしかしたらひとつの問題の「イエス」と「ノー」を一緒に受け止めようとしているたちなのか。考えすぎてしまって、何もかもがいやになる。人になるべく触れたくないので家にこもりたくなるのに、自分の中からすべてを放ってしまいたくなるので、言葉に変え、モノに宿し、身体にうつすのです。

ツイッターはそんな状態のわたしには怪物。いつもは宝箱やびっくり箱だったとしても、ミミックみたいに箱を開ければ襲い掛かってくるよう。

ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー何喚いているんだ。とりあえずやたらと「w」をつけるのをやめなさい。この人はほんとうに面白くて「w」と付けているのだろうかと真面目に考えてしまい沸き立つ感情がわたしの中でうごめきます。でも落ち着いた今はそんなツイートたちに「ごめんね。」って思ってます。そのwは意味ないもんね、とくに。

だから、自分発信は世の中に向けてだとか、お役立ちの精神よりも先に自分のため。後にそんな素敵なことになれたらいいと思うくらいの半人前だと自覚するためにこれからも書いたり、描いたり、写したりするんだろうな。

そう思うと、比較的親近感のわくyoutuberはすごすぎる。楽しいことを分け与えてくれるのはありがたすぎる。これ言うと何に対してもスペシャル感謝ゾーンに入るので言いませんが、世にでているいろんなもの、ほんとう素晴らしいよ。


ちなみにショートした原因は、かわいらしい悩みだと思ってほしいのですが、「大人の喚く声が鬱陶しくなった」だと思います。23歳手前でもこう思うのなら、きっと30歳になっても思いそうで、わたしはいつになったら世の中を見つめることができるのやら・・・。


そんな不安もありけり、これでおそらくいつものように自分の好きなことを愛した生活ができると思います。いつもはもっと言葉遣い気を付けているほうですが、今回はこのまま流します。ありけりって何語とか聞かないでください。

読んでいただきありがとうございました!


ありがとうございます!