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はてなダイアリー終了に思うこと

2月いっぱいではてなダイアリーの全ての機能が終了したという。

2004年、ブログなんて言葉があったかなかったかあやしいころから利用していて、IDを変えながらもちょこちょこ日記を書いていた。
やたらにはてなブログへのインポートをすすめられはしたけど、それはそれでもう振り返らない過去として置いておくことにした。

私の15年間。自己顕示欲との戦いだった気がする。
身バレを恐れず言えば、はてなハイクでは私のヲチスレが当時の2ちゃんねるに立つくらい私のそれは強烈で、嘘をポストしたつもりはなかったけど、今思えばかなりの誇張、脚色、演出が入っていたなあと思う。

それでも、はてなダイアリーはちょっと違った。誰にも侵略されることのない私だけのスペースとしてあるがままを書いていたし、和解を望んだ自己顕示欲についても考察したり、私の承認欲求のもととなった出来事も赤裸々に綴った。そこだけは、日記としてのちのち読み返したときのためにと思って素直に書き連ねた。

長い間、私は自分から言葉を発することを辞めていた。
ヲチスレがあったという事実を知らされたショックも大きかった。
私は少し大人になって、ウェブという自分の意思とは関係なく広がっていく大海に自分の主義主張を残すことがこわくなったのかもしれない。

当時の記述は今でもある意味でおそろしくて、まだ振り返ることができない。
というよりもはや振り返る気はないけど、それでもまたこうして文章を書こうと思えるようなったのも、文章書くの好きだったなあとか、今この時代にこの年齢で生きる私だから残せる記述があるのかなあとか、いくつか理由はある中で、はてなダイアリーの終了をネットニュースで知ったという動機は大きかった。

長いブランクのおかげですっかりSNSが向かない人になっちゃったけど、はてなダイアリーの終わりは本当に寂しくて、たとえばSMAPが解散したときのように、安室奈美恵が引退したときのように、私の中ではひとつの時代が終わったなあという感じなんだ。

ブログというものが今後のネットの中でどういう形で残っていくのかわからないし、はてなの最近の情勢なんてまったく知らないけど、はてなダイアリーが果たした役割は大きかったなあと思う。
私にとっても、たぶん、ネット社会においても。



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