見出し画像

最近ちょっと生きづらくないですか?

全方位に対していろんな配慮が必要になってきた。
人の数だけ価値観があって、そのひとつひとつを大切にする世の中。誰にとっても生きやすい社会。ノーマライゼーションとかダイバーシティとかいうなんとなくしか理解できない横文字も一般的になってきて。

ただあっちとこっちが共存するのはそれほど簡単ではなく、それは人種や国籍や宗教、性的指向とか年齢、出身地、障害の有無などなどなどなどなどなど、あっちを立てればこっちが立たずってことが多すぎて、世の中少してんやわんやしてると思う。

配慮って、何だろうって思う。こういう言葉を使うなとか、逆にこういう言葉を使えとか、なんか言葉狩りっぽいなあと思わざるを得ないような配慮も多く、何かを禁止したり強制したりするってこと自体が配慮を欠いてて本末転倒な気がするんだけど、そうじゃないのが配慮っていうものらしい。

いろんな人、もの、こととの共生が求められるようになってきて。
自分から歩み寄って一緒にやっていきましょう、とするならそれはいいことだろうけど、共生を強制されるのは違うんじゃないかなあって気がするのも、配慮が足りないって言われそうだけど。

なんだろうなあ、誰かしか生きやすくない世の中に慣れすぎたせいか、誰もが生きやすい世の中ってこんなに生きにくいのかなあって思ってしまうんですよね。長年しみついた習慣、たとえば箸の持ち方を大人になってから矯正するように、治ってしまえばきれいなものなんだろうけど、それまでが大変ですよ。

でも。矯正を強制してまで共生することに意味があるんだろうかなあ。

今のところ未熟な私はそこまでの価値を見出せずにいるんだけど。
いや、理想を言えばそうよ。誰かが窮屈に感じる世界なんて望ましくない。全員がニュートラルでいられるってことは素晴らしいと思う。でも、たぶん生物学的に、とか、よくわかんないけど、世界はそういうふうにできてないと思う。それを社会学的になんとかしようとしてるのが今の動きなのかなあ。わかんないけど。

過渡期なんだろうなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?