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セカンドキャリア

前回のnoteで、「いつかサッカー中心の生活に終わりが来る」と書いた。


ならば、終わりが来た時にどうするのか?よく耳にする「セカンドキャリア」について考えてみる。

まず、自分自身のこと。私はサッカー中心の生活を終えたら次に何をしたいか、どういう生活をしたいかのイメージはある。今はその内容に触れないが、その時が来たらまたnoteに書けたらなと思う。

私はリスクを考えてしまう性格だ。だから、和歌山に来る前から選手を終えたあとのことをなんとなく考えていた。

サッカー中心の生活をするのに、終わりが来る前からその先を考えるなんて覚悟がないんじゃないか?と思われてしまうかもしれない。

「退路を断つ」

かっこいい生き方だと思うし、私もこんな風に思い切りよく行動できたらな〜と憧れたこともある。でも、リスクを考えてしまうのは私の性格であり、良く言えば、見通しを持てる・計画性がある、ということだ。

そんなリスクを考えてしまう私が、将来のことも何も考えずにサッカーをしているとどうだろうか。

漠然とした不安に襲われ、余計な心配ばかりしてしまい、集中すべき今という時間を無駄にしてしまうかもしれない。

前回のnoteに、「同期を見ても焦りはない」と書いた。それは今が充実して幸せだからということもあるが、将来のビジョンがなんとなく見えているというのも1つの理由だろう。

サッカー中心の生活を始める時にその先のことを考えていたのは、「将来への不安を軽減させ、余計なことを考えず、最大限のパフォーマンスでサッカーをするため」の私なりの「覚悟」だった。

チャレンジしたい、環境を変えたいと思っている人の中には、「やってやる!!」と勢いよく1歩を踏み出せる人もいる。一方でリスクを考えると1歩をなかなか踏み出せない人もいるし、私も後者だ。

そんな人たちは、1歩を踏み出したあとのビジョンも明確に持つことで、「意外といけるかも?」と思えるのではないだろうか。

「退路を断つ」ではなく「退路を持つ」

決して逃げるための退路を持つのではなく、自分を安心させるために退路を持っておくのだ。

先は見えないけど
確実に退路があると分かっている洞窟

そんな洞窟であれば、リスクを考えてしまう人でも「ま、なんとかなるか?」と思える気がする。

セカンドキャリアを考えること、チャレンジした先にある次の選択肢を早くから考えることは、一見「覚悟がない」と思われるかもしれないが、むしろ「今に全力を注ぐため」の一種の覚悟なのかもしれない。

スポーツ選手のセカンドキャリア問題はよく話題になるだけに、選手を終えたあとの人生プランがより描きやすくなれば、選手としてチャレンジする人も増え、スポーツ界がより活気づく気が私はしている。

数年後、数十年後、今のチームメイトは何をしているんだろうな〜笑

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