タイタンの学校一般コース修了(6期生)

この一年、「タイタンの学校」に通っていて、昨日修了式を終えた。タイタンは漫才師・爆笑問題が所属する事務所で、そこの社長である太田光代が「校長」という肩書きで開いている養成所が「タイタンの学校」である。

金が余っていた。月に最低でも10万貯金できる程度の稼ぎがあった。はじめは自分が作った借金返済に充てていたが、それを完済してからは貯まる一方だった。ファッションに興味がないから高い服などを買うことはないし、風俗にも興味がないので性処理に大枚をはたくこともなかった。生活レベルであげたことといえば毎日の食事を外食にしたり、赤坂にある「スナック玉ちゃん」に通う頻度を上げた、という程度の贅沢をしたが、それ以上の金の使い方を思いつかなかった。

習い事にでも通ってみようか、という考えが浮かんだ。当初は英語力をあげたかったので英会話教室を調べてみたが、よくよく考えたら仕事で使うわけでもないし、習ったところで英会話圏の人たちと話す機会もそうそうないだろうからそれはまたいつか習うことにして、別のものを探した。

タイタンがお笑い養成所を開いていて、一般コースもあることはニュースなどで知っていたからネットで検索してみた。期間半年で一番安い「カルチャーコース」に通おうかと思って一番近い2022年後期の募集を待っていたのだが、どうやらコース自体なくなってしまったようだった (ページ自体はまだ残っていて、検索すると出てくる)。仕方がないので期間一年の一般コースに応募した。通おうと思いついたのが2022年の6月くらいだったから、ほぼ一年待ったことになる。

生徒募集がはじまったので、まずは見学に行ってみた。その日やっていた講義は洛田二十日先生の「文章の書き方」で、わたし以外にも何人か入学希望の見学者がいた。その日の入学希望者は一人ずつ呼ばれ、採用担当者と思しき人と軽い面接をした。残念だったのは「学校」といっても国の認可を受けているわけではないので、学生用の定期券を購入したり学割が使えるわけではないということだった。生徒になったからといってAdobe製品が安く買えないことを知ってちょっとがっかりしたが、そこは本筋でないのであきらめた。

面接を受けたのは10月終わりくらいで、学費は諸経費込みで22万かかるということだった。4月に始まるのだから3月あたりに請求がくるのかなと思っていたら、面接をしたあと届いた合格通知に含まれた連絡事項として「つきましては金を払え」ということが書いてあったので一括で振り込んだ。ローンも組めたので「分割払いで通った方が学生っぽい」という気持ちも浮かんだが、利息が勿体無いのでそれはやめた。

年末、M-1でタイタン所属のウェストランドが優勝した。これを呼び水として入学希望者が増えるのかなと思いつつ年末年始の旅行に出かけ、その道中でRadikoで聴いたTBSラジオの年末特番「ハライチのカウントダーーン!!」で、「タイタンの学校の一般コースに通うかどうかなやんでいる」という投稿があり、投稿者は電話越しに「タイタンの学校にかようぞーっ!!」と誓っていた。ああ、この人同級生になるんだなと思いながら聴いていたが、実はその放送を聴いて「私も通おう」と決めた人がいたことはその時点では知る由もなかった。

授業は2023年の5月からはじまった。通う時点で決めていたのは、同級生とある程度の距離を取ることだった。もちろん話しかけられれば答えるし、講義の中でチームを組めと言われればそのなかでコミニュケーションを取ることはやぶさかでないのだが、性格的に思ったことを口に出してしまうので、不用意に敵を作っても意味無いなということでおとなしくしていることにした。高校生の頃は授業中にふざけてウケを取るタイプのわたしだったが、クラスの半分はそのふざけたことでメシを食いたいと思って来ているのだから、悪目立ちすることは避けようと考えた。出された課題に対してそれなりの評価を得続けることができれば、そのうち勝手にステルスで目立つ人になるだろとうとも思っていたし、結果的に事実そうなった。

入学したら芸人コースに歌人の枡野浩一さんがいてまいった。彼とは10年ほど前にとあるサークルで知り合い、またとあるきっかけで絶交していたので、一年間一緒の空気を吸うのはつらいなーと思ったが、途中までは知らないふりをして通うことにした (その後エピソードトークの授業で「ブロック解除してよ、枡野浩一さん」とカミングアウトするかたちで知り合いであることを他の生徒が知った)。

講義・講師のレベルはピンキリで、「こんな程度なら家で寝てりゃよかった」と思うものもあれば「そういうことか!! 受けて良かった!!」と目からウロコのものまであったので、途中からは「たいしたことないからこれはいいや」と思うものはサボるようになった。なかでも意識的に行かなかったのは「禁煙CMを作ってコンテストに応募する」というやつで、「狙って賞を取りに行く」ためにアイデアをブラッシュアップしていくこと自体は確かに勉強になるかもしれないが、お金欲しさ(1位に10万、2位2万、3位1万)に心にも無いことを作品にするのは自分のポリシーに合わないし、どんなに素晴らしい、人の心に訴えかける、プロが見ても文句のつけようがない作品ができたとしても、それをヘビー・スモーカーである爆笑問題・太田に見せ「だから禁煙しましょう、太田さん」と訴えたところで、「冗談じゃねぇよバカヤロウ」で終わるだろう。結局意味がないものを作るのであれば、作らずに学校サボって散歩でもした方が精神衛生的にも良い。

逆に「受けて良かった」と思ったのは落語と書道だった。落語の講師である橘家文吾さんはとても丁寧に、手を抜かず情熱を持って講義をしてくれた。受講生の中には趣味で落語をする/聴くひとはいたが、ここまで本気で教えてくれるとは思っていなかったのではないだろうか。わたしは落語をほぼ音源で聴いて来た人なので、上下(かみしも)の振り方や姿勢仕草など、耳で聞く情報だけでは伝わらないものを学んだことでその後実際に寄席に行ったりyoutubeで動画を観たりした際、そこも含めて見れるようになったことは非常に有益であった。

書道には毎回お題が出されていたが、「飽きたら他のものも書いていいですよ」ということだったので、その日のお題である程度自分で納得いくものが書けたら、あとはネタ (「時は来た 橋本真也」とか)を延々書いていた。なかでも小筆を使って呪術廻戦の五条先生が綺麗に描けたことが嬉しかった。もはや文字を超えイラストを描いていたわけだが、そこも含めて赦してくれた。生徒の作品を毎年飾ることはニュースで知っていたので、どうせならとジャッキー・チェン主演の「プロジェクトA」の主題歌「東方的威風」を広東語で全部書いた。

通っている途中に仕事を辞めて無職になったが、授業料は先払いだったし失業給付も出ていたからその後も通い続けることができた。文章の書き方講座の課題で自己紹介を書いた時、今現在自分が無職であることをテキストに織り込めたのでネタにはなったと思う。2024年の2月からまた仕事に就けたので、以降はそれをネタにすることはなかったのだが。

カルチャーコースにはあった「発音・発声・スピーチ」が受けられなかったのは残念だった。講義内容はスケジュールが決まった時点で生徒に知らさせるのだが、最後のスケジュールを見たときに「ああ、ないんだ」とわかり、肩を落とした。

芸人コースの生徒たちの成長をみるのも楽しかった。上手い人はハナから上手いし下手な人は最後まで下手、という感じなのかなと思っていたが、「最初はまさに素人の状態だったけれど、一年を経て修了公演ではそれなりにかたちになっている」という、指導がありそれを改善し努力したからこそ成長した、という、一見当たり前のようだが本人がそれに向き合わなければ決して出来上がらないもの、を見る事が出来たのは本当に良かったし、芸人コースとまぜこぜで一般コースを受ける長所だと思う。もちろんまだまだ場数やスキルアップは必要なのかもしれないが、「昨日公民館の会議室を借りてネタをやっていたコンビが次の日にはテレビに出ていた」ということも珍しくないのが芸人の世界だから、同級生ながら面白いと感じた人たちがそれを叶え、「売れる (冠番組を持つ程度)」とまではいかないまでも、「食える (生活のために他の仕事をしなくていもいい程度)」ところまでたどり着きますようにと勝手に思っている。

いつも授業が終わると(酒が呑みたいので)サッサと帰っていたが、最後に有志主催で開かれた芸人コース・一般コースの打ち上げには参加した。「わたしとちゃんと話してみたかった」という人がそれなりにいて嬉しかったし、授業中必要に応じてくすぐり程度に話していた音楽などの話もじっくりできた (自慢になるが「ファンです」と言ってくれる人もいた)。また修了公演の感想を直接本人に伝えられたのもすごく良かった。

もう最後だし無礼講の打ち上げじゃないか、ということで枡野さんの隣に「おつかれさまですー」とあいさつして座ったら、「おつかれさまですー」の返事を残してプイッと他所へ行ってしまった。わたしはいまだに彼に嫌われているんだと思う。しかし修了したことでこれからは毎週感じていたあのもやもやとした感情が沸くこともなくなるという意味では、肩の荷がひとつ降りた気もする。

ところでふたたびそこそこ稼ぎのいい仕事に就けたので、また金が貯まるようになってしまった。また何か習い事を探してみようと思う。

「知るは楽しみなりと申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。(鈴木 健二)」

おしまい

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