【映画感想】アベンジャーズ/エンドゲーム

"正義"とは何か。
いわゆる「ヒーロー映画」、まあ「ヒーローアニメ/マンガ」でも「ヒーローもの」でも何でもいいんですが、ヒーローは基本的に「正義の名の下に」「悪を懲らしめ」ます。
「懲らしめる」というのも度合いがあって、「二度とするんじゃないぞ」と口頭による警告で済むものもあれば、「これだけ肉体的/精神的にひどい目にあわせたんだからもうしないだろう」という仕打ちをするもの、一番楽な手段である「死ね、そして殺した」という結末になるものがあります。
基本的に"暴力"で解決されます。
何故か。
単純に「気に入らない対象をブン殴るのは気持ちが良い」からだと思います。あれだけ主人公たちにマウント取ってたやつがいま動けないでやんの。メソメソしてやんの。精神的もしくは肉体的に命の危険を感じてやんの。死にやがった、ざまぁ。ダッせえなぁえーおい、というところに我々がカタルシスを感じるのは、所詮動物だからです。
クライマックスで悪いヤツが死ぬのはスッキリする。なんたって、悪いヤツだからな。
話し合いによる解決なんて、金を払ってヒーローアクション映画を観に来た俺たちは俺たちは端から求めてないんだ。
しかし、そうやって「コイツは常識的に考えて絶対悪い」と思うスクリーンの向こうの悪役を唯一守れる神がいます。「レイティング」ってやつです。
ふつう、ひとは誰かから、または何かしらの武器をもって殴られると傷つきます。ひどい場合には皮膚が擦れて血がにじみ出ます。もっとひどいと皮膚は裂けるし、もっともっとひどいと骨が折れたり大量の出血を帯びたり内臓が露出したり最悪その場で死に至ります。そういった「理不尽かつ過剰な暴力」から守ってくれるのがレイティングです。
成人向け映画であれば、人はあっさり死にます。えっこんなことで死ぬの? ともの足りなくなるくらいの演出で死んだりします。しかし「アベンジャーズ」はお子さんも観に来るヒーロー映画なので、(肉体が損壊するという描写の扱いに関しては)安心して観ていられる演出が施されている一本です。
結果どういうことが起きるかというと、どれだけの怪力で殴ろうと、どんな武器を叩き付けようと、あるいは銃弾・レーザーの類をその体に受けようとも、「攻撃がヒットした」以上の意味はなさないものになります。RPGやっててHPメーター満杯の敵に渾身の攻撃や呪文を唱えても、実はそのメーター以上にHPが設定されていたので見た目全然減らない感じ。
殴られたから顔の向きが変わる、足払いをされたから転ぶ、投げ飛ばされたから飛んで行く、ということはあっても、それらが如実に相手の息の根を止める手段たりえない。口から血を垂らして頑張るくらいはオッケーだとしても。ヒーローの部位欠損描写をなんて(ドラマを盛り上げるために極たまに例外はあっても)とんでもないことです。
予め決められたルールがありつつも「どっちが勝つんだろうか、まぁヒーロー側が勝つんだろうけど」と緊張ながら心のどこかで感づいている動物的な胸の高鳴り、「殺せ、殺して良い」という気持ちを正当化するために必要なのは、主人公側の「理」だと思うんですよ。
「今度はお前らが指パッチンで消し飛ぶ番だ」
何これ。邪魔するヤツは指先ひとつでダウンなのか。
映画「クラークス」劇中で「"スターウォーズ ジェダイの帰還"でデス・スター破壊するのはひどいよな。あれ工事中だっから帝国と関係ない土方のおっさんとかも中にいただろ」と話してたのと同じで、「俺はアイアン・マンだ」と豪語するトニー・スタークは特に何の考えもなく、おそらく「サノス軍を全部消し去る」という指パッチンをしたと思うのです。
ざまあみろ、これでお前も、その目的も、お前を助ける軍団も、全部終わりだ。消えてなくなれ。
「サノス軍」とひとくくりにされた集団の中にどんな事情を抱えたヤツがいようと知るか。お前らは「悪」だ。
死ね。
周りで自軍の宇宙船が、兵士たちが灰と化していくなか、サノスはドッカと腰を下ろしたまま、自分がそうなるのを待ちます。まるで「これが定めで、宇宙がそれを望むのなら、自分はここで終わりなのだろう」と悟ったかのように。
最終的にこの映画からは「盗人にも三分の理」ということは理解できましたが、「これが正義だ」という安堵はついぞ得られないままでした。
それは仕方がないのです。何故ならば、それぞれのマーベル単独タイトル映画が今後も続編を作るためにこの話をまとめることが最重要課題だったからです。うまい言い訳が思いつかんやったんやろな、と思う程度には失望しました。
またアイアンマンに関しては、以前「アイアンマン」から身を引きたいと宣言したロバート・ダウニー・Jr.を最大限引き立たせる演出だったのだと思います。代役が考えられないハマリ役の功労者の幕引きは、MCUのなかでトニー・スタークとして死ぬという選択肢以外無い。
今回、それぞれの役者がCGIで若返ったり、老いたりしています。しかし、当たり前ながら、彼らは本当は単なる人間で、いつか死ぬのです。「エンドゲーム」という区切りは、これからも続くであろうMCUのロードマップの中のマイルストーンに過ぎません。それは、9部作完結と謳っていたスター・ウォーズが続く理由にしても同じことが言えます。悪が滅びては商売にならないし、月日が経つにつれ老いていく俳優たちをどこかのタイミングでリフレッシュしなければならない。
そういうひねくれた見方をしていたわたしがMCUの中で一番惚れたのはやはりサノスでした。(根拠は知らんけど) 限界がきている宇宙を継続させるには生命の個体数を半分にするしかない、しかしそこには贔屓があってはならない。灰となる (死ぬ) 対象は完全にランダムだしそれが叶うなら最愛の娘の命も捧げる、という、狂った男にわたしは何故か涙したのです。
それが叶えば、もう暴力をふるう必要はない。自分が他人に厳しく接し、また必要に応じて殺めてきたのはその目的があったからであって、叶ってしまえばあとは自分が生きるのに必要な分だけ畑を耕して得た作物を摂取して自給自足で残りの人生を生きる、自分の人生を全うする以外に、もう特にやりたいことも欲しいものもない、しかしインフィニティ・ストーンを良からぬ目的で使う輩が出てくるかもしれないから、それは粉砕しておく、という。
そこにアベンジャーズチームは乗り込むわけですが、「まともに戦ったら勝てないかもしれない」という理由で急襲(不意打ち)をかけます。ミランダ警告的な、"正義"を執行する上での建前もありません。
殺す。
お前は殺す。
結果、サノスは感情に身を任せたソーに首を刎ねられます。「エンドゲーム」では人情パート担当なソーなので、神でありながら「全然抵抗してない相手をつい殺しちゃった」という反省からビールとFortniteに明け暮れる日々を過ごすことになるのですが、そのほかの人たちは無抵抗だったサノスを殺したことそれ自体については気にも止めません。
「だってあいつは自分たちの大事な人たちを指パッチンで消したやつだから死んで当然。でももう一度インフィニティー・ガントレットが使えたとしたら、その恩恵にあずかれるのは指パッチンで死んだ人限定な」
何故か。それは指パッチンで死んだ人たちの中に、これからもMCUで続編を作る予定のキャラクターがいたからに過ぎません。
「死んだと思った? どっこい! 生き返ったのでした!」
こうなる筋書きがエンドゲームに用意されているのであろうという予想は簡単につきます。それはスパイダーマンの続編がエンドゲーム上映前から準備されていることからも明らかでしょう。借りてきたインフィニティ・ストーン同様、それぞれがそれぞれの世界で元どおり戦える (続編が作れる) 状況に戻さなければ。
と同時に、灰となった人々を戻すための理由、サノスのやり方は宇宙規模で間違っていた、という説明も必要なのではないでしょうか。
宇宙から半分の生命が消えた、ということを、量子世界から帰ってきたアントマンが歩く風景に描写したりして、でもなんか「ゴミが多いなー」くらいの感じにしか思えませんでした。考えてみれば、宇宙から半分の生命体が消えたということは、ゴミ収集車で働く人たちだって半分いなくなってるし、他にもアマゾンで受けた注文を配達する人とか、トイレのトラブルを8,000円で修理してくれる人とかも半分になってるわけです。そりゃ汚くなるはずです。ホークアイの家族なんて自分以外は灰処理です。あんな確率をもし自分がコンビニでバイトしていたとして、自分以外のスタッフいなくなったら超ツラじゃないですか。シフト表埋まんねぇよ!! 週7で俺かよ!! という気分になるし、24時間営業やめて、看板通り7時〜23時にしましょうよ!! ってフランチャイズ本部に訴えたくなりますよ。
生き残ったけど、俺もすぐ死んじゃう!! って。
ぼくはディズニーがジェームス・ガンを解雇した際、金輪際ディズニーの映画は観ないと思い、彼が正式に復帰するまでそれを実践してきたんで、アントマンの続編とかキャプテン・マーベルとかは観ていません。
知らないキャラクターがいるなかで、3時間という上映時間は長いなと思ってたのですが、意外とダレずに観ることができました。
エンドゲームは、会社の宴会で例えたら中締めみたいなもんじゃないでしょうか。
「ダウニーさんとエヴァンスさん、お帰りになりまーす!!」
って言葉を受けてみんなでワーッって拍手して。定年パーティも兼ねてたからサプライズで花束渡したりして、せっかくだから一言とか言われてロバート・ダウニー・Jrが最後のトニー・スターク演技として、
「のっけから2回目のハルクやってノートンが降りた時には"この会社大丈夫かな?" と思いましたが、プロジェクト自体は大成功に終わったということで、"無事これ名馬"という諺を噛み締めています。映画でキレることができた分、ラファエロは我慢が続いたんじゃないかな? まあ私はまたシャーロックやるんで、今度の敵はドクター・ストレンジになるわけですが…… (とベネディクト・カンバーバッチを指差す、口元に手を添えて苦笑するカンバーバッチ)。ではそろそろ失礼。私不在でも、"アッセンブル"と言える布陣で戦うのがこれからの君たちのミッションだからね」
んでみんな涙腺ブワー!! みたいなノリですよ。
というわけで、俺の中では「インフィニティ・ウォー」が完結作。納得いかないファンのためにつくられた蛇足が「エンドゲーム」ということで、ひとつ。そんな思い入れもないので、端的な感想でまとめるなら、
「Qに対するAかと思ったら全然違ったので観なくてもよかった、インフィニティ・ウォー最高」
おわり。

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