見出し画像

[短篇] OJTという名の放置プレイ

本来、OJT(On-the-Job Training)とはとても有効な教育手法であるが、一方で教育施策の一例として気楽に発言できる言葉でもある。

「当社の教育施策の基本はOJTです」みたいなことは採用面接や入社オリエンなどで割とふつうに出てくる話なのではないかと思う。それは全然よいのだけれど、実際にはいきなりプロジェクトにアサインされ、見よう見まねでやってみよう!とほぼ同義になっていることが散見される。というかよく聞く。

そもそも自分自身も納得できるOJTを過去に受けたことがあるかというと、あまり記憶がなく、且つ、どちらかというと右往左往しながらプロジェクトで苦労して経験してきたことは、それなり以上に自分の血肉になっていることが多いと感じている。

が、「苦労した分はあとで活きる」的な話と、OJTはまったく別モノであり、OJTの効果はコーチの質に掛かっている。上手く行っていないOJTの90%は、上司などのコーチ役の人間が、育成対象者の仕事ぶりをちゃんと見ておらず、何の役にも立たない思いつきを言い放つだけになっているのではないだろうか。そんなものはOJTではなく放任であり、上司としての機能や役割を全うできていない。偽OJTである。

その要因はさまざまで、上司自身の能力不足の可能性、その上司にOJTをやらせるための役割を与えていない組織(上の上司)の能力不足や判断ミスの可能性、そもそもOJTが何かをよく理解していない可能性(上司本人はOJTだと思い込んでいる)、などが考えられ、たぶん複合的なケースが多いと思われる。

ただ、OJTは有用な教育手法のひとつであることは確かで、ちゃんとOJTをやれば短期間で成長させられることもまた事実である。にもかかわらず、採用面接などで教育施策がOJTだと言われると、「ああ、この会社は放置なんだなあ」「自分で学べってことだなあ」と思う人がいるのだろうと想像すると、残念な気持ちが強い。なんとか有用なOJTを実施して、組織も個人も効率的に成長していくことを目指していきたい。

励みになるので気に入ったら気軽に「スキ」していただくとうれしいです。また、本記事は筆者の個人的な見解であり、所属する組織や関係する団体・個人の意見を代弁するものではありません。