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長崎の78年、私の23年。

2023年8月9日。長崎原爆から78年目の夏がやってきました。

私が生まれてから23回目の8月9日です。

8月9日は間違いなく特別な日だけど、平和や戦争について考えるときに8月9日だけを意識するのは違う。
かといって8月9日を日常のようにスルーしてしまうのも違う。
そんなことをもやもや考えながらこのnoteを書いています。

長崎市で生まれ育った私は、小学校から高校卒業まで、12回の8月9日を学校で過ごしました。

夏休みの中、「登校日」という名で午前中に学校へ行き、平和記念集会に参加します。

小学生のときは、数日前から運営委員会の一員として学校独自の平和宣言を大きな紙に筆と墨で書いて準備をし、当日体育館で発表して、
中学生のときは、爆心地から500mの場所にある校舎で、制服の麦わら帽子を被りながら夏空の下、被爆校舎跡地の中庭に立って千羽鶴をクラス単位で集め、
高校生のときは、中学と同じ場所で黙祷をしたあとには、平和学習部の活動としてたくさんのイベントや集会などに足を運んで対話を繰り返し、

こうやってせわしない8月9日を過ごしてきました。

大学生になって長崎を離れましたが、1年生(2019年)の夏休みは帰省をして長崎にいたので、家で式典の生中継を見た後に平和学習部の後輩の活動を応援しに平和公園・原爆資料館方面へ向かい、カメラを持って2019年の8月9日の長崎の街を撮影したり。

2年生(2020年)は、コロナ禍真っ只中で世界が閉ざされていた時期でしたが、それでもオンラインを使って所属していた学生団体の中で戦争や平和を考える企画を作り、長崎と縁もゆかりもない大学の仲間たちと一緒に平和を願う時間を過ごすことができました。新しい輪を自分の力で広げられたことに満足した記憶。

3年生(2021年)は、はじめて8月9日を長崎の外で迎えました。一人暮らしの埼玉の家にいた私は、すっかり11時2分をスルー。それでも、当時のインスタストーリーにこんなことを載せていたみたい。

4年生(2022年)は、インターン先の業務の一環として、中高時代からともに平和活動に励み、若き平和活動家としてアクティブに活動している尊敬してやまない友人の団体のクラウドファンディングのサポートをしました。
https://syncable.biz/campaign/2788

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さて、2023年の夏。
社会人1年目の私は、大学3、4年生でインターンとして働いていた会社の正社員となり、日々、社会課題の解決に挑む非営利団体を「寄付」という側面からサポートする仕事をしています。
この会社で今の仕事をする道を選んだことの背景には、間違いなく私のアイデンティティの一つになっている、長崎で培った平和への想いに繋がっています。

ただ、私はときどき、いや最近はよく「自分は何もできていない」と感じてしまいます。
がむしゃらにただただ「行動したい」という想いから動き続けていた学生時代の私と比べて、今の私は「ぬるいな」と悲しくなってしまいます。

何かしなきゃ、動かなきゃ、でも・・・何ができる?何がしたいの?
「平和を創りたい」と言葉にするのであれば、それ相応の努力と行動をしなくてはいけないと、自分自身を煽って、それでも学生時代のようにフッ軽に動けない自分に悲しくなって。

そんな中、ふとある言葉を思い出しました。

「人の痛みがわかる心を持ちなさい。それが平和の原点です。」

ある被爆者の方が繰り返し私たち長崎の子どもたちに伝えてくださっていた言葉です。

ああ、これだな。今の自分が大切にしたいのはこの言葉だな、としっくりきました。

と同時に、何かしなきゃ、行動しなきゃ、と焦っていたけれど、
行動することだけがすべてではない、ということにも気づきました。

もちろん、今すぐ行動できることは素晴らしいし、今すぐ、早く動かないと手遅れになってしまうことだってたくさんある。
明日が必ず来るとは限らない。
1時間後に今と変わらない自分がいることの保証はない。

だけど、大切だなと思うことを大切にすること、忘れないでいることが
今の私にとって必要なことであり、それだけでも十分じゃないのかな、とちょこっとだけ思えるようになりました。

小学生のころに夏の暑い体育館の中で硬い床に2時間体育座りをしながら、「暑いな、早く終わらないかな」という気持ちがちらつきならがも
おじいちゃんおばあちゃんから聞いていた言葉が、今でも自分の中に生きている。
とても大切な時間とことばを被爆者の方々からいただいてきたことを、改めて今、強く実感しています。

・・・・・

学校での平和集会は、11時2分の黙祷で締められます。
(ちなみに広島は8時15分なので、黙祷で集会や式典が始まるのだとか。)
人々は、1分間のサイレンの中で、目を閉じながら何を考え、何を願い、何を決意するのだろう。

私はいつも、耳からサイレンの音が入りながら、頭の中で1945年の8月9日を想像します。

そして、目を開けると周りには学校の友達たちや家族がいて、平和な日常がそこにあります。

絶対に1945年の8月9日を繰り返してほしくない、絶対にそんなのいやだ。
この「絶対にいや」という感情をどのくらいの人々と共有できるのだろうか。
現実の今の世界とのギャップに無力感を感じることも多々あります。

今、自分が生かされていること、そしてこれからも生きること。

私は何を考えながらこれからどんな歩みをしていけるのか、毎日ぐるぐると頭を駆け巡ります。

2020年の8月9日に私が綴っていた言葉が、我ながらいいメッセージだったので
全然まとまっていないけれど、過去の自分に甘えてここで再掲して、
2023年の8月9日を締めることとします。

75年前(78年前)の惨事はただの「歴史」ではなく、
まぎれもない「事実」であり「現実」
75年間草木も生えないと言われていた長崎の街は
こんなにも美しい街へと生まれ変わりました。
でも、この街に眠る悲しい過去と辛く苦しい記憶は
今なお息づいています。
人間が体験するにはあまりにもむごすぎる原子爆弾の悲劇を体験し、
決して同じ出来事を繰り返してはならないと
訴え続けてくださっている被爆者のいない時代が
一刻一刻とせまっています
それが何を意味するのか
知らないうちにまた悲劇を繰り返してしまうのがとっても怖い
未来を創っていくのは私たちだから。
創りたい未来をいっしょにつくっていきたい

稲佐山から見える長崎市内の夜景とともに


P.S. このnoteを読んでくださり、「何か行動してみたいな」と思った方へ

文中にも書いていたように、私は今「寄付」に関わる仕事をしています。
「寄付」って、自分の気持ちとほんのちょっとのお金さえあれば、誰でも社会に参画することのできるとても尊い営みだな、と最近やっと気づいてきました。

宣伝みたいになってしまうけど、私が日々頑張って運営している「Syncable」というオンライン寄付プラットフォームでは、2000弱の非営利団体へ誰でも300円から寄付をすることができます。
もし、何かちょっとでも行動してみたいな、創りたい社会を創るために一歩進んでみたいな、と思う方がいらっしゃいましたら、ぜひ自分の想いに合致する団体や活動を見つけて寄付をしてみてください。
寄付したいけど、どの団体がいいか分からない、という方は気軽に私に相談してください!あなたの想いを託せる先を見つけるお手伝いができます。

「寄付」が、この先のいつかの行動の選択肢の一つになることを願っています。
https://syncable.biz/


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