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史跡・博物館見学 #1橋牟礼川遺跡(鹿児島県指宿市)

 こんにちは。
 歴史好きの私は、博物館や史跡を見るのが好きで、先程、指宿市の橋牟礼川遺跡と、その横にある指宿市考古博物館(時遊館COCCOはしむれ)を見に行ってきました。
 橋牟礼川遺跡は、指宿市十二町にあり、縄文~平安時代の重層遺跡です。
 実は、この橋牟礼川遺跡は、今では当たり前となり、教科書にも記される縄文時代と弥生時代の関係がはっきりするきっかけとなった遺跡なんです!今回は、そんな歴史の教科書を変えたといっても過言ではない橋牟礼川遺跡についてまとめます。

1. 縄文と弥生の時代関係が明らかに

 上記にあるように、橋牟礼川遺跡は、縄文時代と弥生時代の時代関係が明らかになるきっかけとなった遺跡です。そもそも、大正時代までは、縄文土器と弥生土器は異なる民族が作ったという説が主流でした。しかし、1915(大正4)年に旧制志布志中学校の男子生徒が、2つの土器のかけらを発見し、それがきっかけとなり、1918(大正7)年に京都大学の濱田耕作教授らの発掘調査が行われました。
 この調査で、開聞岳の噴火による火山灰の層の下から縄文土器、上から弥生土器が発掘されたのです。これにより、縄文土器がより古く、弥生土器がより新しいことが確定しました。


2. 縄文時代と弥生時代の大まかな違い(土器を含め)

 縄文時代と弥生時代の大まかな違いは、多くの人が中学校や高校で習いますが、ここに記しておきます。
 縄文時代は、実は農業は多少行われていたといわれているそうですが、狩猟・採集がメインの生活でした。弓矢を用いて狩りを行い、漁に出て魚や貝を採ったりする生活が営まれていました。
 しかし、縄文時代の後期になると、大陸から西日本に農耕が伝わり、農業中心の生活へと、人々の暮らしは大きく変化しました。つまり、採る生活から育てる生活へと変わったのです。農耕が発展するとともに、石包丁などの道具が開発されていきました。
 縄文土器はその名の通り、縄の文様があり、形も全体的に派手です。一方、弥生土器は、シンプルなデザインでしかも、薄くて丈夫です。

3. 隼人について

 隼人は、古代九州南部に居住した民族です。彼らは、山野で自然とともに生活を営んでいました。しかし、大和朝廷は当時、律令制度を九州南部にも整えようとしていました。7世紀末、隼人は大和朝廷へ定期的に牛や鹿の毛皮などを貢物として献上していました。
 701年、大和政権は大宝律令を定め、土地や人民を朝廷のものとし、各地に国や郡を設置しました。702年に日向国から分かれ唱更国(はやひとorはやと、のちの薩摩国)が、713年には大隅国が設置されました。これらの政策に対し、隼人は不満を抱き、720年、大隅国の国守を殺害し、反乱を起こしました。しかし、隼人は敗北し、完全に律令制の中に組み込まれました。しかし、大和政権は隼人を従属させるのに苦労し、なんと100年がかりで服属させたそうです。
 その後、隼人には、畿内(近畿地方)へ移住させられた者がおり、彼らは、都の防衛を任されました。

4. 開聞岳大噴火

 橋牟礼川遺跡は、縄文~平安時代という長い期間、人々が暮らした村でした。その間に何度も開聞岳の火山災害に悩まされてきました。
 そして、平安時代の874年3月25日の噴火で、村は火山灰により完全に埋もれ、消滅してしまいました。この時の被害の様子は、「日本三代実録」に記されています。そして、この火山灰の下には、隼人の謎に包まれた生活や文化が眠っていると言われています。

5. 感想

 橋牟礼川遺跡は、現在では当たり前となっている縄文時代と弥生時代の関係が明らかになるきっかけとなった遺跡ではありますが、私の身近な場所で、歴史の通説、そして学校の教科書が変わるきっかけが生まれたということには驚きました。この村は、縄文時代から平安時代にわたる長い期間、人々が生活を営んでおり、874年の開聞岳の噴火により埋もれてしまいましたが、現在でも、周辺は指宿駅が近くにある住宅地であり、人が生活しやすい場所なのかなと思ったりもしました。
 ここには古代隼人の生活をしる手がかりも埋まっていると考えられており、まだ分かっていないことがたくさんありますが、楽しみです。

6. 参考資料

橋牟礼川遺跡|火山噴火の威力を伝える重要な遺跡【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】薩摩半島 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト https://serai.jp/tour/12924) (2024年3月8日閲覧)

見逃せない日本史の注目ポイント! 縄文時代と弥生時代の違いとは? | 家庭教師のノーバス https://www.nohvas.com/column/post/?c=201702032776)(2024年3月8日閲覧)

大隅国建国1300年と隼人の反乱 | 霧島市観光協会 (https://kirishimakankou.com/news/2013/10/post-204.html) (2024年3月8日閲覧)

古代隼人のいきざま (http://www5.synapse.ne.jp/shinkodo/thistimeimg/kodaihayato.html) (2024年3月8日閲覧)


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