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【ブックレビュー】鶴岡義彦編著『科学的リテラシーを育成する理科教育の創造』

鶴岡義彦編著『科学的リテラシーを育成する理科教育の創造』(大学教育出版、2019年)

概要
STS(Science, Technology and Society/科学技術社会論)は理科教育でどのように扱われてきたか、STSを理科教育でどのように扱うべきか、という話。理科教育が「純粋科学」に偏っていて、STS的内容を充分に扱えていないという問題意識がある。2019年出版だが、著者らが昔書いた論文をまとめたもので、全体的に話題が古い。
 
「科学的リテラシー」と「STS」
「科学的リテラシー」は、科学者と非科学者の意思疎通が不充分であるとの問題意識から、「ノン・サイエンティストに求められる科学的素養」として1950~60年代のアメリカで提唱された。その具体的内容としては、Pella et al.(1966)による6項目への分類がよく知られているが、ここではよりシンプルなKlopfer(1968)による3分類を取り上げる。すなわち、
➀主要な概念及び原理(科学の所産)
➁科学的探究の過程(科学の過程)
➂科学と一般文化との相互作用(科学と社会)
の3つだ。理科教育➀を丁寧に扱う一方で➁や➂が手薄だったのではないか、というのがこの本の問題意識である。
Pella et al.(1996)によれば、そもそも科学教育は以下の3つの目的がある。
(1)科学の諸分野の学者を準備すること
(2)個々人に、技術的な職業ないし専門職に就くための素養を与えること
(3)全ての者に、市民としての豊かな資質の育成を目指す一般教育の一部として、科学の素養を与えること
さらに、「科学者やエンジニアは、アメリカの総労働力の5~10%を構成するに過ぎず、「90%以上の労働者は、直接科学に関係しない職業に従事する」ことに触れ、科学教育の最重要の目的がすべての個人にかかわる(3)であると力説した。
日本の理科教育についても➁や➂、あるいは(3)が手薄だったのではないかという指摘がある。坪井(1994)は「専門家としての科学者あるいは技術者養成のための教育、つまり科学や技術〈の〉教育が主であり、したがって科学や技術〈について〉の教育は、少なくとも理科においてはほとんど行われていなかった」「科学者や技術者になるための教育ではあっても、科学や技術を対象化してそれを外から評価するための教育ではなかった」と指摘している。
もっとも、STS教育は「科学者・技術者になるための教育」対比されるが、理系の生徒には不要な「文系向けの初等的な理科」という訳ではない。第4章では、大学1年生を対象とした純粋自然科学の知識とSTSリテラシーの相関を調査する実証的な研究が紹介されているが、結論として純粋自然科学の知識とSTSリテラシーはほぼ独立であることが明らかにされている。純粋自然科学の知識があればSTSリテラシーもあるとは言えず、純粋自然科学の優れた教育を受けている生徒にも別途STSリテラシーを陶冶するための教育を受けさせる必要がある。
 
STS教育への挑戦と挫折
「科学的リテラシー」を育成するためのSTS教育は1980~90年代に盛んに教育プログラム化された。アメリカではAAAS(アメリカ科学振興協会)が1985年に開始した「プロジェクト2061」が、イギリスでは1998年に提出された報告書“Beyond 2000”を具体化した「21世紀科学」が、明確にSTS教育を取り入れた。
日本では1978年告示の高等学校学習指導要領によって設置された共通必修科目「理科Ⅰ」がSTS的内容を含んでいた。理科Ⅰは(1)力とエネルギー、(2)物質の構成と変化、(3)進化、(4)自然界の平衡、(5)人間と自然、という5分野から成り、このうち(5)がSTSと対応していた。
筆者らが1989~1991年に大学生と高校教員に対して実施したアンケート調査によると、理科Ⅰは共通必修であったにもかかわらず非履修者が2割近くいた。「(5)人間と自然」を履修した者は3割にとどまった。さらに教師対象のアンケートでは「人間と自然」に10時間以上の授業時間を割いたと答えた割合は5%に満たなかった。一方で、理科Ⅰにおける「人間と自然」とそれ以外の単元の学習価値を相対的に比較させた質問に対しては、「それ以外の単元より価値がある」と答えた割合は学生の37%、教師の58%にのぼった。さらに、理科教師の多くはこの内容を(社会科や他教科、学校外教育ではなく)理科で取り上げるべきだと考えていた。
では、なぜ「人間と自然」は軽視されたのか。教師対象のアンケートでは、「時間不足」「受験に関係ない」が1位と2位であったが、3位が「教える側の準備ができていなかった」であること、「生徒が理解できない」「生徒が興味を示さない」「理科にふさわしい内容でない」を選択した教師がいなかったことに注目したい。
 
感想
  社会科教育学が伝統的に「政財界の権力者に対抗する市民を育てる」ことに主眼を置いて“専門的職業”に従事しない“90%”のための教育に注力していたこと(逆に言えば専門家になる“10%”のための教育が手薄であったこと)は、理科教育と好対照をなしている。もっとも、現実の社会科教育は理科教育と同じように受験の制約を受けるため、市民がどうとか専門家がどうとかいう目的意識とはあまり関係のないものになっているが。
現行の指導要領では、理科は旧理科Ⅰの後継科目である「科学と人間生活」をやるか「物理Ⅰ/化学Ⅰ/生物Ⅰ/地学Ⅰ」をすべてやるかの選択必修方式となっている。地学教員を充分に確保できない学校(自治体)や受験戦略の都合で物理と化学を集中的に学習させたい学校は前者を選択するだろう。そしてそれが物理・化学の純粋自然科学的内容に解体されるのも、前世紀からお約束…。

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