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【ブックレビュー】『リヴァイアサンと空気ポンプ』

スティーヴン・シェイピン、サイモン・シャッファー
[監訳]吉本秀之 [訳]柴田和宏、坂本邦暢
『リヴァイアサンと空気ポンプ』
名古屋大学出版会、2016年

概要
科学史家のシェイピンとシャッファーによって1985年に出版され、「クーンの『科学革命の構造』以降もっとも大きな影響力をもった書物」とも評される”LEVIATHAN AND THE AIR-PUMP”の邦訳本。「空気ポンプ」という実験装置を用いて自然哲学から“実験科学”を独立させたロバート・ボイルの思想と実験科学コミュニティの実態について、敵対者であったトマス・ホッブズとの論争を切り口に解き明かす。科学理論を専門家コミュニティの社会的産物とみなす「SSK(Sociology of Scientific Knowledge:科学知識の社会学)」を科学史に適用した一種の事例研究として高く評価された。

内容

トリチェリの水銀柱実験と実験装置「空気ポンプ」
1643年、自然哲学者のトリチェリは、一端を閉じたガラス管に水銀を満たしたのち、開いた一端を水銀が入った別の容器につけると、ガラス管の上部に「水銀によって満たされていない空間」が存在することを発見した。現在の常識では、この空間は大気圧が水銀を760mmしか押し上げることができないために生じる「真空」であるとわかるが、当時流布していたアリストテレスの自然観は真空の存在を認めていない(空間は充満していると考えていた:充満論)ため、この空間をどう解釈するかが自然哲学上の一大問題となった。
ロバート・ボイルは、「空気ポンプ」と呼ばれる実験装置を使ってこの現象を解明しようとした。「空気ポンプ」は密閉された空間から空気を吸いだす機械で、気圧が低下した空間を作り出すことができる。ボイルは、空気を吸出すごとに水銀柱が下降することや、大気圧下では落下しない「密着した大理石の円盤」が空気の吸い出しに伴って落下することをもって、真空の存在を示そうとした。
 
実験の“成功”と“失敗”
2枚の密着した(間に空気が入り込んでいない)大理石の円盤は、片方を支えればもう片方を支えなくとも(下向きにしても)落下しない。これは「空気のバネ(気圧)」によるものだから、排気された空気ポンプの中では支えられていない円盤は落下するはずである。そう考えたボイルは、排気された空気ポンプの内部で円盤を落下させる実験を行ったが、実験は“失敗”した。円盤は落下しなかったのである。『新実験』において、ボイルは考えられる“失敗”の原因をいくつか提示した。
一方で、真空の存在を否定し、円盤の密着を「自然の真空嫌悪」によるものだと考えていたホッブズにしてみれば、円盤が落下しなかったことは実験の“成功”を意味した。
この事例は、科学に「決定実験」などというものが存在しないことを表している。「成功した実験とは、成功したとみなされた実験のことだった。ある実験が成功したという判断は、その実験が実際問題としてすべての期待をみたしたという判断にほかならなかった」(p.191)とあるように、科学者は自説に反する実験結果を“失敗”として片づけてしまうことが可能だったし、ボイルは実際にそうした。科学とは、実験によって決着がつく世界ではなかったのである。
 
“事実”を生み出す3つのテクノロジー
  実験結果の解釈の仕方が複数通りあるとしたら、科学はどのように科学理論(真理)を積み上げていけば良いのか。ボイルが実際に頼ったのは、「組織された専門家コミュニティ」による「制度化された合意」だった。
  実験・観察とはつまるところ自然現象についての目撃証言である。この目撃証言の信頼性を確保するために、ボイルは3つのテクノロジーを用いた。一つ目は、「空気ポンプ」という物理的なテクノロジーであり、“事実”を生み出すことに貢献した。二つ目は、実験の方法と結果を記述する文章上のテクノロジーであり、再現実験を可能にしたり、文章を読んだ人に「実際にそれを見た」かのような感覚を与えたりすることで、“事実”の目撃者を増やすことに貢献した。三つ目は、実験の“失敗”をも報告する謙虚さという社会的なテクノロジーであり、目撃者の社会的信頼性を高めることに貢献した。こうして、錬金術師らが秘密裏に(私的に)行っていた実験は、実験科学者らによって公開の場で行われるようになり、さらにその結果を記述するにあたっては「信頼に値する人物」がその場にいたことが強調された。
 
実験科学コミュニティと論争のルール
  さらにボイルは、“事実”の目撃者としての資格を持つ専門家コミュニティを組織した。実験哲学コミュニティへの参加資格は“事実”を生み出して報告することと、共有された“事実”そのものや“事実”を生み出す手続きを否定しないことだ。一方で、“事実”の原因に関する意見の不一致は認められた。17世紀中盤のイギリスでは正統な知識を巡る対立は重大な政治問題であったから、仮に原因に関して意見が不一致に至ることはあったとしても、少なくとも“事実”をもとに知識を獲得する手続きそのものについて強固な合意があることが、実験哲学コミュニティの正当性と威信を高めるのに役立った。
  ホッブズは、ボイルが定めた論争のルールを守らなかった。すなわち、“事実”そのものや“事実”を生み出す手続きを否定した。ホッブズは、ボイルの空気ポンプが漏れていることを再三指摘し、空気ポンプが生み出す“事実”の価値に疑いの目を向けた。さらに、自然哲学の目的は自然現象の原因を探究することにあるとし、原因に関して意見の一致に至らない(原因に関して不可知論を取る)ボイルの方法論は「自然誌」に過ぎず、哲学としての資格を満たさないとした。その上で、形而上学的言語を排除するのではなく、むしろ形而上学的言語を適切に定めることによってしか自然哲学は為しえないとした。
  ホッブズにとって、知識を生み出す資格は政治上の権力の問題だったのである。聖職者と実験科学者は共謀して専門家コミュニティによる知識生産の正統性を主張したが、ホッブズはこれに対抗して、世俗的な統治権力が排他的に「真理」を決定する権利を有すると主張したのだ。

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