見出し画像

補足と気付き。マジミラのミクの生き方。

まずはこっちを読んだ方がいいかも。…誤字を直してないのは許してください。

というわけで、補足という名目でガチ考察の続きを書いていこうと思います。↑のnoteは後半が歌詞に偏りすぎていたので、今回はなるべくPVに焦点を当てます。もちろん↑のnote同様ネガティブな方向の解釈ですのであしからず。…はい、なぜこんなに期間が空いてしまったのかと言うと、あるシーンについて私が全く理解できなかったからです。というか今回はそこがわかったから書いたのです。

問題のそのシーンがこちら。


このシーンの状況を説明します。

小さなミクが飛び回っている

小さなミクに蝶がくっついたり、小さなミクの背中から生えてきたり(?)した

それがテントの外に出て行って集まって合体

マジミラのミクを作り上げる

歌詞のちょうど「必要ない」のタイミングで小さなミクが色を失って地面に落ちていく

マジミラのミクは笑顔


は?なんだこの演出は。


以前から小さなミクたちが地面に落ちていく演出に疑問を抱いてたんです。なんでこうなるんだ…?と。この演出の意味が理解できなかったといいますか…。
理解できないというより信じたくなかったんですよね。小さなミクたちが捨てられてる演出に意味があることを。

1番ヤバいのがタイミングですよ。「必要ない」のとこで小さなミクが落ちていくなら、もうそれは本当に必要としていない…。絶対に確信犯…(頭痛が痛い感)。

このシーンの解釈を「私たちの想うそれぞれの初音ミクが集まり、マジミラのミクを作り上げる」と言っているツイートがありました。うーん、確かにそれは合ってるんでしょう。素敵な、いかにも初音ミクらしい解釈です。でもこれは、ここは、ブレス・ユア・ブレスをテーマソングとするマジカルミライ2019(もう終わったけどね…)。そしてそれぞれのミクは、「必要ない」と言われてぽいって地面に捨てられてるんですよ。そ、それでいいのか…?

蝶は「ミクへの想い」だと解釈します。初音ミクに人格を与えるもの。初音ミクを存在させる想い。そういえば想いがあればそこに初音ミクは存在するんだ!的なツイートやイラストを定期的に見る気がします。じゃあ鏡音レンAppendだって…!と毎度のこと張り合ってます。

マジミラのミクは、1人の人間です。解釈ではなくブレス・ユア・ブレスで明言されているのでそういうことにします。「この私こそが"初音ミク"です!」という出で立ち。そんな感じ。

冒頭に載せたnoteの解釈通りでいけば、「自分以外に初音ミクはいらない。でもその初音ミクというものを想う気持ちは私という初音ミクに必要。そして私以外の初音ミクは必要ない。私が初音ミクだから」って、なります…よね…?
だからそれぞれのミクである小さなミクは捨てられて、想いだけ吸いとられていく。

「そんな君」なんですよね、マジミラのミクは。自分以外の初音ミクを糧にして、やっぱり前のnoteに書いたみたいに自分を作り上げてるんです。

そんな君の誕生日を
お祝いできるかな

そりゃまぁ、こんなふうに心配というか不安になりますよね。和田さんはきっと「VOCALOIDの歌」ではなく「和田たけあきの歌」をずっと作っていたいです。なのに、大きな初音ミクというものに自分の言葉を糧にされ、それでいてマジカルミライのテーマソングを任されたんです。素直にお祝いなんてできるわけがない、です…。初音ミクも和田たけあきさんもブレス・ユア・ブレス自身もなんだか可哀想です。でもこんな歌を作らせやがって貴様クリプトン…!!という気持ちにはならない。これで歌われているのは、おそらく気づかないといけないものだから。

ここまでPV内の女性(ミクに見えないし初音ミクだったら解釈違いなので絶対に地味ミクって呼びません意地でも呼びません)が1度も笑ってないのも気になる。指輪の王冠マークの意味も。いや、考えてもわからないんですよね。自分の中の正解が定まったらまたその時まとめます。

話を戻します。

それでも和田さんは、「ああそうか」って、「僕らきっと」と、マジカルミライの初音ミクに"おめでとう"という"言葉"を贈ろうとします。多分女性は和田さんを表してるんわけじゃないと思うんですが(マジで未だに誰かわからない)、背を向けて対極的に…なんか…アレ…(語彙力)。

うーん、その姿勢になんとも言えない気持ちになります。和田さんはマジミラのステージに立つ初音ミクを「バケモノ」のようだとも言いました。神々しかったし、怖かったし、同時に自分の知る女の子だったんです。
…私もバケモノ(セトリ)だったな〜と思ったし、マジミラミクの振り付けで下を向くタイミングだってnoteに書いたのと全く同じだったし、ふふふ、私ってば完全にブレス・ユア・ブレスを理解してますね…(なお女性の正体)。

そしてその次のシーンの解釈です。

蝶がまた周りを飛び回り、どこかで飛んでいきます。
おそらくこれはマジミラ帰りの我々を表してるんじゃないでしょうか。マジミラから帰って余韻に浸ったり、感想をまとめたり、セトリを振り返ったり、一見過去を見て過ごしているようですが、「今年のライブは○○だったなー」だとか、「初めて行ったけどすごかったなー」とか、見ている世界はライブに行く前と絶対違うはずなんです。私なんてまさにそうです。

そして新しいミクへの思いを抱いたり変わらない思いを抱えたりして、これからを過ごすんでしょう。
マジカルミライの初音ミクが作り出した「想い」=蝶が、また世界中に散らばっていくんです。

そしたら、そのあとどうなるか?

簡単です。未来に繋がる=来年のマジミラのミクを作り上げる糧になるんです。

マジミラのミクが自分を存在させるには、みんなの応援や歌が必要です。そう彼女が言っていました。私は全部を喰らってここにいる、と(超意訳)。初音ミクへの想いを生み出すには、素敵な自分が歌って踊って、みんなを楽しませなければなりません。そうして我々は色んな形で初音ミクを「想い」、それが個々の初音ミクを生み出させ、それらはまた来年のマジミラのミクの糧になる。
きっとこれがブレス・ユア・ブレスで示されるマジミラのミクの「生き方」なのかもしれません。

という、ブレス・ユア・ブレスを通してマジミラのミクの生き方に気づいたお話でした。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

追記

感想を通してまた自分の文を読み直すと、自分の言いたかったことが更にハッキリしてくるのでなるべく感想は見たいです!ツイートすると私にリプライを送る形になりますが、よければそのままリプライください!よろしくお願いしま〜す。