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どんどんダメになっていく自分

こんにちは。

また、何ヶ月ぶりの投稿になるでしょうか。

相変わらずの”長い夏休み”中で、その夏休みも1年2ヶ月を迎えようとしています。

日々、子供部屋にこもりYouTubeとFX。

引きこもりと言っても週2,3回のスーパーへの買い物は行ってます。そして、生活習慣は相変わらず、朝は6時前に起床し、0時頃に就寝。ごはんも朝と昼は適当ですが、夜は父親の分も含めきちんとした食事を作ってます。昨日は豚こまが消費期限ギリギリだったので、包丁で細かく切ってシュウマイを作りました。少し下味が足りなかったですが。

先日、車の前輪に釘が刺さっていてパンクに見舞われました。免許をとって以来、25年で初めてのパンク。これ、どこに怒りを向けて良いのやらというトラブルですが、まあ仕方がないですね。自然災害のようなものです。スペアタイヤの無い昨今の車ですので、パンク修理剤を投入しようかとも考えましたが、タイヤの中がベタベタになるのも嫌だったので一旦保留。保険のロードサービスもあるのですが、ディーラーが近かったので電話すると快く修理に来てくれるとのことで援護を依頼。ディーラーが持参したスペアをつけてもらいリカバリしました。

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こういう、いわば相当”些細なトラブル”でさえ、ものすごく大きな衝撃として捉えてしまう、今、僕はそんな状態にあります。

「こんなことに遭うなら死んだほうがマシだわ」なんて、本気で何度も思ってしまいました。ただのパンクなのに、、、

結局、生への意欲がない、向こうへのハードルがメチャクチャ低くなっているので、ほんの些細なトゲのようなものへの反応がとてつもなく大きくなっているのです。積極的に向こう側へ行きたいわけではないですが、積極的にこちらにいる必要性も感じていない。そんな現状です。

まだ客観視できているつもりの僕的には、こうして積極的に向こうへ行くことの恐怖を感じているだけマシなのかもしれません。

ただ、今も自力ではなく他力で、例えば大きな隕石が落ちてきて向こう側へ行ってしまう。とか、不謹慎ながら、昨今の自然災害に遭って仕方なく行ってしまうとか、、、そういうことが起きないかと期待していたりもします。結局、自力への勇気がないだけです。

加えて、多少でも意味があるものとして終わるために、生贄が必要であれば積極的に参りましょう!川で溺れている子供がいれば飛び込みましょう!決してその子を助けたい一心ではなく、悪くない理由ができるからです。もちろん行動する限りその子が助かったほうがいいのは確かです。しかし、助からなくてもただ一人でそういう行動をするよりは、助けに行った人として行ったほうが良いでしょう。

どうしたものでしょうね、、、正直、特に辛くなんともありません。


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