掌編◆明日、元気に過ごせますように
夕食後、さてデザートを。
とスプーンを握ったとき、父から電話があった。
「母さんが倒れた」
呆然と電話を切ったあと、目に入ったのはテーブルにおいたままの、ヨーグルト。
「明日元気に過ごせるお守り」
いつかの母の声が蘇る。
◆
中学生のとき、部活のプレッシャーやクラスの人間関係、進路への不安が重なって、ふさぎ込んでいた時期がある。ついでに私はストレスがお腹にくるタイプで、そのことが悩みに追い討ちをかけた。
嫌なことがあるなら言いなさいって教師たちは詰め寄ったけど、言葉に出来るならこんなに不機嫌になっていない。だいたいいつもお腹が痛いんですなんて、中学生にもなって教師に気軽に言えるもんか。
そんなとき、母だけは何も聞かなかった。
ただ、ある日の夕食後から、ヨーグルトが食卓に並べられるようになった。
「何これ」
反抗期だった。
冷たく聞くと、母は「ヨーグルトよ」と当たり前のように答えた。
「いらない」
「お腹にいいっていうじゃない」
「うるさいなぁ」
気づかれていた気恥ずかしさから、口調は強くなる。それでも母は淡々としていた。
「母さん最近ヨーグルトにはまってるの。でも賞味期限内に1人じゃ食べきれないからさ、あんたも食べてよ」
そう言われたら食べるしかない。
渋々口にすると、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで、そっと母は呟いた。
「これはね、明日も元気に過ごせるお守りだよ」
その言葉は聞かなかったことにして、私は毎晩のように食卓に並ぶヨーグルトを食べ続けた。
不思議と次の日の朝は、ヨーグルトを食べたから大丈夫だって気持ちになれた。
お腹が痛いことが減ってくる。
それと同時に不思議と、抱えていた問題も、どうでもよくなったり、乗り越えられたりした。
元気に過ごせるお守り、そんなおまじないがきくなんて、大人に反抗していても、まだまだ子どもだったのかもしれない。
◆
翌日、休みを取って母が入院した地元の病院に向かった。
父と合流して医者から説明を受ける。母の病状は、幸い手術をすれば治る可能性が高いらしい。
「あ、ちょっと待って」
説明後、病室に急ぐ父を呼び止めて、売店に寄った。
向かった病室のすみで、母は所在なげにベッドに横になっていた。
「わざわざ休み取らなくても」
そう言いながらも、ほっとしたような表情になる。
母さん、これまで私のことたくさん見守ってくれたね。優しさを押し売りすることなく、そっと後押ししてくれたこと覚えてる。
気持ちが溢れてきたけど、そんなこと言えなかった。
だって言ってしまうともう終わりみたいだ。これからも言う機会はあるはず、そう思いたい。
「これ」
売店のビニール袋を差し出す。
「なあに」
不思議そうな母の顔から目をそむけて「ヨーグルト」と答える。
母は、自分が言った言葉を覚えているだろうか。
「ああ、ありがとう」
母の笑みを見て、伝わったことを確信した。
◆
家に帰るとどっと疲れが出て、食欲がわかなかった。
夕食は抜いてしまおう。だけど、これだけは。
冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。
「明日元気に過ごせるお守り」
そう、しっかり食べておこう。
ヨーグルトを口に運びながら、母と私の役割は段々交代していくのかもしれないとふと思う。
母がしてくれたように、今度は私が母を守る。
今はまだ、目をそらしてヨーグルトを渡すくらいしか出来ないけど。
明日もこれからも、私と家族が元気に過ごせますように。大切な人を守れますように。
そんな願いをこめて、今日もヨーグルトを食べておこう。
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