夢と現実、相いれない2人

夢を持つことは尊いことであると多くの人は言います。


献身的な夢を持ちその夢のために邁進する人々のことを多くの人は称賛し、そして称賛され成功をつかみ取ることは一種の優越感をその人物に与えます。


麻薬のような優越感を内包し次なる麻薬を求め体中が競争を求めていきます
降りられないゲームがスタートするのです。


自殺するくらいであればその物事を放棄しあきらめ新たな希望を手にする道に進むほうがずっと生存競争の面からすると賢いのではないでしょうか。
しかし、何かしらのつらいことから逃げ夢をあきらめ目標を投げ捨てることは今までそれを正解だと信じて時には無理をし、甘美な誘惑を拒絶し作り上げてきた自己像の『自殺』を意味します。


自分が正解だと思って努力してきたことがすべて無に帰すように感じてしまうし、実際その道でないと自分が努力してきたことが生かされないことが多く、また、ルールも知らずその価値観の部外者であることを恥じながら、自分が捨てた(捨てられた)集団に対する恥の意識および尊敬の念を持ちながら自分が属する集団に対して常に斜めに目線を向けて「こんなはずではなかった。」「世間が悪い」「親が悪い」などの言葉を投げかけながら心の奥底では自分自身の無力さに大いに恥の意識を持ち、力に対して圧倒的に尊敬の念を抱きながらそれを否定しようと試みます。


つまり、一言でいうと「苦しい」んですね。


先日ボランティアで小学生の宿泊体験学習のお手伝いに行きましたが、私の眼には何が正しくて何が間違っているのかよくわからないのですから怒りようがありませんし指導するべき項目もよくわかりませんでした。しかし、自分の学生時代を振り返るとよくもまぁ「調教」されてきたものだと感心してしまいます。


先生(権威)の言うことは正しく、世間(かつての青年)のいうことは何か得体のしれない含蓄を含んでいるのではないかという気分にさせられるのです。学校(世間)でよいといわれることで結果を出せばエサがもらえて、だめだと思われていることをすれば学校集団において私は大いにムチでたたかれました。そのうち私は世間(大衆と思われるもの)の言葉に出さない共通概念を会得したのでした。


いい大学に入ることが勉強の目的であり豊かになることが人生の目的でありましょうか?それは大いに想像力が欠如していると言わざるをえません。いい大学に入ったが故に「降りられないゲーム」がスタートし、豊かになったが故に「信じていたもの」に裏切られることもありうるのですから。

かといって、自分の信じるものを捨てることは身を焼く思いを長期間味わうことになります。あなたはかつて自分の中にきらめいて輝いていた自分を自分の手で絞殺したのちにその死体を捨てることは決してできないのです。故人は思い出の中に生きるといいますが、その通りあなたが生き続けている限りあなたの手の中には輝かしい自分がいた事実という名の死体がいつも存在します。

なんという悲劇でしょうか、かつて自分にこれほどまでの希望を与えてくれた自分が信じる「普通が」ある日突然―自分はそこまで悪人でもないのに、逃げていき、まるで悪霊かなにかがとりついているのではないかと思うほどの嫌なことが続いて遂には現実の自分が死ぬか理想の自分が死ぬかの選択肢を迫られる状況に陥ります。

一種の人間は現実の自分も理想の自分も助ける力を持ちます。しかし、それは大きく疑心を抱く降りられないゲームが続くことを意味しますが幸せに暮らします。
一種の人間は理想の自分を殺します。背を焼かれそうなほどの悔しさとあきらめや慢心が自分を支配し同胞を見つけては安心し、幸せに暮らします。
一種の人間は自分が死にます。理想の自分が死ぬことが耐えられなかったのでしょう。自分の命をなげうって他者を助けようとした人です。あの世があるのであればその人間は幸せでしょう。なぜなら自己犠牲とは尊い行為であるとされているからです。
そして、一種の人々は現状維持を望みます。行動を放棄することにより瀕死である理想の自分を生かさず殺さず腕に抱き続けようとするのです。その自己陶酔と言ったら海よりも深く山よりも高いのです。しかし彼らも幸せです。

つまり、理想の自分を殺さないように時間を浪費し理想の自分が死なないように現実の自分が死ぬ可能性があります。

理想の自分を持つということは自身の中に他者を育て上げるということなのです。
あなたはコウノトリ(世間)が運んできた卵を一生懸命温めております。あなたは卵を温めることが正しいと教えられ、やさしさが大事だと教えられ卵を一生懸命まごころで育てます。その幸せと言ったらえも言われません。
そのうちあなたはドジでとろまな仲間が卵を割ったことを知ります。あなたは表ではやさしさを発揮し仲間を励ましますが内心自分はそんなへまなどしないと高を括っております。
しかしある日、自分の力ではどうしようもできないことが起こり、あなたは卵を割ってしまったのです(もしくは胎児が卵の中で死んでしまったのです)。
しかし目下に殻は存在し続けあなたはかつての自分と卵の思い出を捨てることができません。
そのうちドジでとろまだった仲間が別の卵を温め始めたことを知ります。でも、あなたはあまりに誠実に卵を温めすぎてしまった。だから、新しい卵を育てるなんて方法も分からなければ今から温めてもすべてもう遅いように感じてしまうのです。

あなたは何を温めていたのでしょうか
「誰」の「夢あるいは確信」を温めていたのでしょうか?
今のあなたにとってその夢はあなたを殺しかねない殺人者として羽化しようとしていませんか?

今日はここまでにしたいと思います。
雑言にお付き合いいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?