耳から入って、頭をぐるっと10周して、口からこぼれ出る、体温36℃の「いただきます」
「いただきます」って誰に言ってる?
会社のメンバーと話しているとき、ほろっと誰かが投げたフレーズ。
2016年1月現在のいただきますってどんな意味があるんだろと思いながら家に帰りました。
食事をする時、食材や家族に感謝することはあっても、多くの場合、農家さんの顔を思い浮かべるまでは中々できないもの。スーパーで買っても誰が育てたのか情報は少ないし、もっと言うと身近ではないから。
じゃあ、生産者名 / 顔写真 / 生産地 / 農薬や遺伝子組換え有無などの「情報」があれば身近に感じるのか。と考えたけど、きっと身近にはならない。なんで腹落ちしないんだろ・・。
いただきます、それは食に関わる感謝のことば。
諸説ある「いただきます」の意味を一つ挙げると、
食事を開始する時、食事として身を捧げた動植物や食事を提供した人に対して発する感動詞
ということ。食に関わったものに感謝する挨拶。
今の時代、食材を育ててくれた農家さんに感謝するってどんな瞬間だろう。
僕は仕事の中で、自然に寄り添った農家さんの畑に足を運び、野菜の育ち具合や天気の話をしたり、畑で春菊を生かじりさせてもらったり、お家に上がって一緒にごはんを食べたりテレビを見たりします。そこには農家さんのご両親やお子さんがいたり、ご先祖様にお線香をあげさせていただくこともあります。
そんな暮らしを垣間見た人から、「村瀬くん、今年の初物だから食べてみてよ」ともらった大根を、家まで抱えて帰って、素材の味を消さないように出汁と醤油だけで煮て(いつもよりちょっと良い調味料を使う)、食卓の主役にもってきて、友人も呼んだりして、あーほんとおいしそうとかいって、よだれを垂らしながら、初めて「いただきます」をするときに、その農家さんの顔が浮かびます。
「ほんと⚫︎⚫︎さんの大根はうまいな」とか、「森のような畑にしたいって言っててさ」とか、
出てくるのは、すべて体温36℃の温度感ある言葉たち。
自分の耳から入って、頭をぐるっと10周して、口からこぼれ出る1次情報。
つくづく仕事で関わっている自分が、すごく贅沢な瞬間を体感していると思います。でも体感しなきゃ伝えられないことはきっとあって、誰かが何かの役割を担い伝え合うことが大切なんだと思っています。僕の場合、この感動をどうやったら伝えられるのか、流通者の役割ってなんだろとかよく考えます。
人がベースになる
話を戻すと、そんな食の中に感謝する農家さんが登場すると、今度おいしかったって言わなくちゃとか、次の秋はどんな野菜が食べられるのか聞かなきゃねとか、あの人風邪ひいてたけど良くなったかなと、人をベースにした話になります。
人がベースになると、⚫︎⚫︎さんが作った野菜、⚫︎⚫︎さんの野菜が買えるウェブストア、⚫︎⚫︎さんの野菜を食べる日など、食生活に36℃の血が通う心地良さがある気がします。
こんな「関係」を自分たちは欲しているのだと思うし、ミニマムでパーソナライズされた場や情報を志向する社会トレンドでもあると思います。また、「なつかしい未来」という言葉があるように、人間は今よりも心地良い暮らしを昔と比べながら進んでいきます。
いただきます、は関係作りから
この体験から考えると、いただきますを食材や家族だけでなく、農家さんにも言えるのはきっと関係を作るところから始まるのだと思います。
そして、その関係はきっと心地良い食を生む土壌となる。
そんな思いを頭の中でこねくり回して、2月は小さな試みに挑戦してみたいと思っています。
経験からしか出てこない自分の言葉を求めて、打席に立ち続けるのみ!
あと、おいしいもの食べる会やりたい(笑)
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