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色んな「普通」を考える

松岡亮二さんの「教育格差」読了。思ったことを書いていきたい。

印象に残ったのは「『生まれ』により最終学歴に格差がある」ということ。
自分の「生まれ」を普段から意識している人はどれほどいるだろうか。

私が初めて意識したのは、大学1年の時だ。私の高校では、大学進学が8割を超えるが、専門学校へ進学したり就職したりする人もいる。学校で模試の日にSPI対策を受験する同級生もいた。つまり私の高校では、就職という選択肢が身近にあったのだ。これが私の「普通」だった。

しかし大学1年の春、同じ授業を受けていた先輩がこう言った。

「私の高校では4年制大学、予備校合わせて進学率100%だよ。」

予期せぬ言葉だった。そんな学校があるのかとさえ思った。
と同時に、「自分は同大学の学生から見て、『普通ではない高校』出身なのだと悟った。

彼らは多大なる「努力」をして大学に入学したと「自覚」していると思う。実際その努力は簡単にできるものではないし、否定するつもりもない。
しかしこの本では、その「努力」がどのような環境でなされるものなのか、データをもとに解説されている。

私はこの事実を知らない学生が多くいることを肌で感じることがある。
教職の授業で「勉強をしたいと思っている人に教えればいい」「意欲のない人は放っておこう」などと発言した人が複数いた。

残念ながら私には瞬時に言い返せるほどの言語力がなかったので、コメントシートに以下の文章を書いた。

発表や、私のグループの意見にもあったのですが、「高校は大学進学ための制度だ
」と言っていました。世間を知らなすぎると感じました。私は皆さんのように頭の良い高校出身ではありません。就職した友人もいれば、専門学校へ進学した友人もいます。発表内で「大学進学者と就職組の熱に差がある」ということを耳にして怒りさえ覚えました。就職希望者に熱がないと言いたいのでしょうか。世界は偏差値70以上の高校のみではありません。そのように頭がよく、SESの高い人が教師となっていくと思います。偏差値が低い学校で働くことになったとき、偏見をもつことなく働けますか?

ですって。よく言った私...笑 なんか若い。恥ずかしい...笑
先生が次の授業内でコメントをシェアしてくださったので、モヤモヤが少し静まったのを覚えています。先生はこの問題について理解しているのに、学生には行き届いてないんだなあ。

とはいえ、色んな「普通」があることは避けられないし、悪いことでもないと思っている。私は出身高校へ通っていたことを誇りに思うし、自分にも就職という選択肢が最後まで残されていたこと、多様な友達がいることは自分にとってプラスだった。
でも就職や専門学校という選択をしなかった理由が「生まれ」によるものかもしれないということから目を背けずに考えていきたい。

「世間を知らなさすぎる」とか何とか書いていましたが、今の大学に入れたことは運だと思っている自分もまた、教育意識/教育熱の高さに気が付いていない1人かもしれない。

色々勉強したいので、是非おすすめの本を併せて教えてください!🙏