何故パートナーを欲するのか

この時期になると恋バナが増える。新生活で浮ついた心がさらなる輝きを求めているのか、新たな生活と共に新たな出会いを期待し妄想が捗っている人が増えてくる時期だ。
しかし正直微塵も興味のない自分からすれば目に余る。一過性のものならまだしも頻繁に再熱しては、特に深堀られることもない聞いてるだけでむず痒い話題が続くからだ。
恋愛事は深堀りしてはいけない空気が漂っている辺り、比較的デリケートな話題として認識されていると思うがその割に耳にする回数が多い。デリケートだからこそ他人と共有することで得られる一種の安心感があることは重々承知だが、それを分かった上で目にするとどうしても傷のなめ合いのようにしか見えなくなりどうしても見苦しく感じる。所詮経験のない外野からの戯言であるため傷塗れの諸氏にはあまり気にしないで頂きたい。

そんな恋愛話、所謂恋バナをしたくなるの何故だろう?
一種の安心感があるとは上に書いたがそれだけでは合点がいかない。それほどに誘引力のある話題で流行などなくても会話のデッキが恋バナ一色の人間も見かける。一話題としては強すぎる。
理由は幾つか考えられるが第一に性欲がある。三大欲求の一つであり意識に対する影響も大きいはず。しかも他の三大欲求に関係する「眠い」と「腹減った」は会話のスターターセットとして多くの人に愛用されている。こう考えれば恋バナが話題として強すぎてもあまり不自然ではない。ただ人らしく振舞っているだけだ。
万人にとって共通の話題であるということも強い。趣味も大きく多様化し共通の話題を持つ人は限られてきた昨今、恋バナは大抵の人が食いつく話題で性質上盛り上げやすくデリケート故に適度に打ち切ることも容易。不特定多数の人が集まって話す話題としてはこれ以上ないほど扱いが便利。
最近思うのはアイデンティティの確立に使えるという事。まだキッチリとアイデンティが確立していない我々にとって自身の恋愛観を話すことは自分がどんな存在であるかを容易に周りに知らしめる方法の一つとしてその立場を確固たるものにしているような気がする。これはパートナーを欲しがる人が多いことにも繋がっていて自分自身の存在を余さず認識した上で肯定し認めてくれる人を皆心のどこかで求めているのだろうと思う。故にその存在に直接繋がる恋バナは盛り上がり存在に飢える人は定期的に嘆く。結局自分の精神状態の安定を図っていてエゴでしかない。もちろん恋バナする人間はエゴイストと批判している訳ではなく溜まったエゴを吐き出すことで得られる感情が何より強いことが理由と考えているだけだ。

以上に書き連ねたことは外から見た想像上の仮説でしかない事を改めて言っておく。とはいえ恋愛観を磨いておかないとそろそろ対人関係に影響が出そうに思えてきた。これが全くの見当違いな時は友人関係について改めて見直さないといけないかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?