絶対に3人目は産まない

ふたりめを授かったと話すと、
まわりの先輩ママ(だいたい年上)は、

「おめでとう!
⠀ほら、言ったでしょ。
⠀『痛みは忘れる』って」

と、なぜか勝ち誇ったように言ってきた。

それがすごくいやだった。
あの痛みを忘れられるわけがないのに、
どうして
「また妊娠した=痛みを忘れたから」
となるのだろう。


私はひとりめを産んだとき、
痛みにパニックになって叫び暴れてしまった。

そのせいでお産がうまく進まなくて、
おなかの長男を苦しませてしまった。

どのくらい暴れたかというと、
クリニックの助産師さんに
「痛みに弱いんですか?」
とあとで旦那がこっそりきかれたほど。

私がパニックになりながら
ナースコールを押すと、
「やれやれまたか」
とあからさまに呆れた顔で入ってきて、
ちょっと下を触って、
「まだ開いてないね〜がんばって〜」
とすんなり去っていく助産師さんの背中が
ずっとずっと忘れられない。

陣痛のピークのときに、旦那に
「もう二度と産まない!」
と叫んだのは、心の底からの本音だった。


そんなことを話すと、私の母や先輩ママは
「大丈夫だよ〜痛みなんて忘れるから!」
とけらけら笑って答えるのだった。


「ふたりめ、そろそろがんばろうかな」
と思ったのは、痛みを忘れたからじゃない。

痛みなんて忘れられるわけがなくて、
できるならもう二度とごめんだと、
あんな情けない姿をまた晒すのはいやだと、
本当にずっと思っていたけれど、

「息子に兄弟をつくってあげたい」
という気持ちのほうが強くなったから、
怖いけど、がんばろうと思えただけ。


私には兄と弟がいて、
私たちは本当に仲がよいと思う。
兄弟がいてよかったとずっと感じている。

だから、一人っ子を否定するわけではなく、
単に自分に兄弟がいて幸せだったから、
息子にもそう思ってもらえたらいいな、
という願いからふたりめを決意した。


それを「痛みを忘れたから」と
まとめられるのはつらかった。

痛いだろうけど、がんばりたい。
次こそはもっとがんばって、
お腹の子を苦しめずに産んであげたい。

その思いで妊娠期間を過ごしていた。


結果から言うと、
お産自体は我ながらよくがんばったと思う。

分娩所要時間的にはひとりめより長く、
夜通しの陣痛だったけれど、
事前に調べた呼吸法や陣痛対策のおかげか、
分娩直前まで叫ばず暴れず、
落ち着いて過ごすことができた。

さあ出すぞ!というときは
気合いを入れる意味で
めちゃくちゃに叫んだけれど、それでも
「この子を苦しめるものか」
「一緒にがんばってるんだ」
と自分をはげましてふんばった。

「がんばれ〜!」
とお腹の子へ叫んだのもいい思い出……。


おかげで息子はそんなに苦しまずに
元気に産声をあげてくれた。

私に似た前のめりっぷりで、
まだ完全に頭が外に出てくる前に
ほぎゃあ、と声を上げていたそう。


そんな彼は早産で小さく産まれたけれど、
今も日々成長してくれて、
いろんな器具が外れてきた。


だから、大満足だと思った。

胎盤を出す作業や、
麻酔の効かないところを縫われる痛みは
陣痛より100倍痛くて、
予想外すぎて叫んでしまったけれど、

とにかく陣痛を落ち着いて乗り切れたことに
心の底から安心して、
「今回はがんばれた、よいお産だった」
と家族に笑いながら話せることが幸せだった。



そんな幸せがあっけなく崩れてしまった。

出産から数日後、
とつぜん高熱におそわれた。

寒気がひどくて、
世間は猛暑で騒いでいるというのに
電気毛布がないと生きていけないほど。

熱は39度台までぐんぐんあがって、
1日で下がったけれど、
また翌々日には同じくらいの熱が出て、
今度はお腹の激痛までセットだった。

陣痛の終盤くらいの痛みが、
陣痛とはちがって区切りなく、
数時間ずっと私を苦しめた。

泣きたいわけじゃないのに
勝手に目から涙があふれて、
声を出す気力もなくて、つらかった。

原因を調べるために採血をたくさんされ、
何度も血を抜かれるのもつらかった。


でも、この際それはどうでもいい。

原因が子宮の感染症による
産褥熱だとわかって、
その感染症のきっかけについて、
なんと診察してくれた女医さんに

「お産のあとの残りを出すってときに、
あなたががんばれなかったからだよ」

と言われた。


そのときは、あーあのときですね、
とさらりと答えられたのだけど、

部屋に帰って、
ショックすぎて涙が止まらなかった。

もしかしたら聞きまちがいかもしれない。
けど、自分なりにがんばったお産を、
「がんばれてなかった」
と言われたことがあまりにつらかった。

高熱のしんどさより、
おなかの痛みなんかより、
自分のお産を否定されたことのほうが、
ずっとずっとつらかった。

そんなことない、私はがんばったと
思えたらよかったのだけど、
身体が物理的にかなりしんどいときに、
心を強く保つことはむずかしい。


今回はがんばれたな、という満足は、
あっという間に崩れ落ちて、
ひとりめのとき以上に
最悪のお産の思い出になってしまった。


そして完全に弱った私にとどめを刺したのは、
あろうことか旦那だった。


高熱と痛みがほんの少しだけ落ち着いて、
声をようやく出せるようになったとき、
旦那が面会にきてくれた。

あまりにショックなことだったから、
先生に言われたことを伝えたら、

「しょうがないよ、
⠀がんばった結果だから」
と言われた。

「がんばった結果、
⠀私は高熱と痛みに苦しんでるの?」
と少し引っかかったけど、
彼なりに励ましてくれてるのだと思って、
そこまではスルーできた。

だけど、そのあとに言われた一言が、
あまりにデリカシーがなさすぎて
雷が落ちたかのような衝撃だった。


すいのがんばりが足りなかっただけだよ


たしかに、分娩後も落ち着いていて、
残りをきれいに取り除けたなら、
感染症にはならなかったかもしれない。

だけど、それだって100%じゃない。
もともと出産前から破水して、
感染症のリスクが高い状態だった。

出産前に感染症にならなくてよかったね、
と看護師さんに言われるくらい
危険な綱渡り状態を過ごしていたのだ。


それを知ってるはずなのに、
陣痛を乗り越えて、息子を産む瞬間まで
となりでずっと見ていたはずなのに、

どうしてがんばりが足りなかった
なんて言えるんだろう。

事実だけを見るならそうかもしれないけど、
私の気持ちに1ミリも寄り添っていない。


励ましのつもりで言ったのだと思う。
けれど、受け止めきれなかった。

お医者さんに言われただけでも
そうとうショックだったのに、
それ以上に一番寄り添ってほしい人に、
一番言われたくない一言を言われて、
ショックにショックが重なって、

「もう帰って、今日は顔も見たくない」
と、旦那を追い出してしまった。


追い出したあと、わんわん泣いた。
泣きすぎて頭も痛くなって、
もう全身ボロボロだった。


旦那も仕事が忙しい時期なのに、
腰のリハビリに行ったり、
私の見舞いに来たり、
仕事あとにNICUに行ったり、
週末は私の実家に行って
息子の面倒を見たり、
かなり限界なのだと思う。

けれど、でも、
どうしても、旦那には言ってほしくなかった。

家族だけは
私のがんばりを認めてほしかった。


なにより、
どんなお産だって、
すべての妊婦は命をかけてがんばってる。
と私は思っている。

そのがんばりを否定してほしくなかった。



身体の不調は、点滴のおかげで
1日でよくなった。

ただ、高熱と腹痛とたたかって、
ショックなこともあって、
心と身体のつかれはすぐとれず、
そのあと2日は動く気力がなかった。

部屋から追い出したその夜、
旦那から謝罪の連絡があったけど、
長文を読む気力も返す気力もなく、
週末の面会でようやく話せた。


もともと他人への共感値が低いことに
悩んでいた旦那は、
仕事で消耗していることもあり、
心のケアが必要そうだった。

私の事情と旦那の事情と整理して、
この先どうしていくかの話もして、
ひとまず夫婦間での話し合いはできた。



だけど、言われたことは
残念ながら消えてくれない。

お産の前後にされたこと、言われたことは
一生残っていくのだと
だれかが言っていたけれど、
本当にそうだと思う。

旦那のことをもうきらいになったとか、
そういうことではないのだけど、
私はあのとき言われた一言を
たぶん一生忘れられないと思う。


そして、このお産を
「いいお産にできた」
と二度と思えなくなってしまった。



それでタイトルの話になるのだけど、

私はもう絶対に妊娠しない。
二度とお産をしない。

私は人に比べて痛みに弱い。
がんばってるつもりでも、
がんばれてないのだと
突きつけられてしまった。

それをはねのける気力も、もうない。


がんばれないのだから、
私はもう出産する権利なんてない。
いいお産ができないなら、
もう妊娠したいと思えない。


もともと子どもは2人かな、
と思っていたけれど、
女医さんと旦那の言葉で
固い決意に変わった。

もうじゅうぶんだ。
2人の息子が元気に育ってくれればいい。


今は心も身体も回復してきたので、
そこまで自虐したいわけでもないし、
絶望的なわけでもない。

私なりにはがんばったお産だったと思う。
すべて言われたことを丸呑みして
お産を自ら全否定するわけでもない。

けど、言われたことを
きれいに流し去ることもできない。


だからもういい。もういいんです。
私はもう二度と子どもを産まない。


たかが言われたことくらいで、
と思う人もいるかもしれないけれど、

産めない人もいるのに
そういうのはよくない、
と思う人もいるかもしれないけれど、

私は2人の息子を元気に育てて
幸せな家庭を築くことにします。



ああ、まとまらない。

本当は前回とはちがって
自分なりに納得できる、
いいお産ができたよ、なんて
いい報告をするつもりだった。

そのnoteの下書きもある。


ほんの数日でそれがひっくり返ったのだ。
そんな日もある。そんな人生もある。


モヤモヤする部分はあるけど、
ひとまず落ち着いているし、
ある意味満足もしている。


けど、心の乱れっぷりがすごかったので、
人さまに見せるものでもないけど、
ひとまずnoteに殴り書きさせてもらった。


文体も安定しなくてすみません。
また次からはいつも通り書くつもりです。


今は感染症の数値が下がって
退院できる日を
首を長くして待っています。

次男は元気にすくすく育っているので、
早くNICUから退院できそう。


これからの日々を楽しみに過ごします。

お読みいただきありがとうございました。 あなたすべてのアクションが私の血となり肉となります。大感謝!