見出し画像

ダフト・パンク年表【増補版】③:『Human After All』期 2005-2012

『Human After All』期:2005-2012

2005年

●3月14日 3rdアルバム『Human After All』リリース。緻密に作り込まれた『Discovery』とは対照的に、わずか2週間で録音。ロック志向のラフなサウンドが当初は賛否両論だったが、のちにエレクトロ勃興の火種をまいたとして再評価される(*注35)

●4月11日 「Robot Rock」のMV公開。2人が着ているレザー・スーツはエディ・スリマンがデザイン。以降、多くの衣装をエディが担当

●5月 「Technologic」がiPodのCMソングに起用(*注36)

●2000年代中盤〜後半 エレクトロのブームが全盛に。ジャスティス、デジタリズム、ボーイズ・ノイズなどが代表格。日本からはDEXPISTOLS、80KIDZ、THE LOWBROWSなどが登場。ブームの中核を担ったレーベル〈Ed Banger〉のペドロ・ウィンター、〈Kitsune〉のジルダとマサヤはダフト・パンクのクルーだった(*注37)

2006年

●3月29日 リミックス・アルバム『Human After All: Remixes』リリース

●4月4日 コンピレーション・アルバム『Musique Vol. 1 1993–2005』リリース(*注38)

●4月29日 コーチェラのダンス・テントにヘッドライナーとして出演。実に10年ぶりのライブ。過去三作の曲をマッシュアップした音楽表現、ピラミッド型ステージと膨大なLEDを駆使したビジュアル表現の融合で絶賛を浴びた。このライブがアメリカでEDM隆盛の引き金を引いたとも言われている(*注39)

●5月21日 ダフト・パンクが監督した映画『Electroma』がカンヌ国際映画祭で上映。人間になりたいと願うロボット2体が砂漠を旅するロード・ムービー。『イージーライダー』や『2001年宇宙の旅』に影響を受けたとされている(注40)

●2006年6月~2007年12月 ワールド・ツアー〈Alive 2006/2007〉開催

●8月12、13日 サマーソニックの〈Mountain stage〉にヘッドライナーとして出演。この年の〈Marine stage〉のヘッドライナーはメタリカとリンキン・パーク

●10月9日 Teriyaki Boyz「HeartBreaker」をプロデュース。「Human After All」のサンプルを自ら使用。Teriyaki BoyzはNIGO、VERBAL、ILMARI、RYO-Z、WISEから成るユニット

2007年

●7月31日 「Harder, Better, Faster, Stronger」をサンプリングしたカニエ・ウェスト「Stronger」リリース。MVにはダフト・パンクも出演(*注41)

●11月16日 ライブ・アルバム『Alive 2007』リリース。2007年6月14日に開催されたパリ公演を収録(注42)

●12月6,8,9日 来日公演〈dafunkfest〉が開催。会場は幕張メッセと神戸ワールド・メモリアル・ホール。セバスティアン、カヴィンスキー、カザルス、DEXPISTOLSなども出演

2008年

●2月10日 グラミー賞授賞式でカニエ・ウェスト「Stronger」のライブ・パフォーマンスにサプライズ出演。ダフト・パンクのライブ・パフォーマンスがTV中継されたのはこれが初

2010年

●7月 フランスの芸術文化勲章が授与される。2人とも称号はシュヴァリエ(騎士)(*注43)

●12月7日 SF映画『Tron』の続編となる『Tron: Legacy』のサウンドトラックを担当。ダフト・パンクが書いたスコアはジョセフ・トラパニーズによってアレンジされ、総勢85名のオーケストラでレコーディング。ダフト・パンクは映画にもDJ役でカメオ出演(*注44)

2011年

●4月5日 リミックス・アルバム『Tron: Legacy Reconfigured』リリース

2012年

●10月 エディ・スリマンが手掛ける〈サンローラン〉の2013年春夏のランウェイ・ショーの音楽を担当。ブルース・ミュージシャンのジュニア・キンブロウ「I Gotta Try You Girl」を約15分の長さにエディットしたもの



【注釈】

*注35 ロボット姿になってからのダフト・パンクは、常にテクノロジーと人間の関係に着目してきた。『Human After All』は、そのダークな側面にもっともフォーカスした作品。テクノロジーやメディアの発展が生み出しかねない全体主義の危険性に対する警告、ならびにプロパガンダ批判を展開したアルバムだった。そのため、ある意味「プロパガンダ」に繋がるプロモーション・インタビューには一切応じなかった。当時、ダフト・パンクが発表した唯一のメッセージは、「『Human After All』を聴けばわかると我々は信じている(We Believe that "HUMAN AFTER ALL" speaks for itself)」である。

*注36 当時は「iPodのCMソングに選ばれた曲はヒット確実」と言われていた。ちなみに、「Technologic」のミュージック・ビデオには、〈Alive 2006/2007〉で使われるピラミッド型ステージ・セットを彷彿とさせるオブジェが早くも登場する。

*注37 ディストーション・ノイズと硬質なディスコ・ビートによってエレクトロのサウンドを定義したジャスティス「Waters of Nazareth」のフランス・オリジナル盤は、2005年9月14日リリース。2006年4月26日には、〈ワーナー〉傘下の〈ビコーズ・ミュージック〉からもライセンス販売された。日本では「エレクトロ御三家」とも呼ばれたジャスティス、デジタリズム、シミアン・モバイル・ディスコのデビュー・アルバムはどれも2007年リリース。〈キツネ〉の人気コンピレーション・シリーズ『Kitsuné Maison』の中でも特に影響力が強かったのは第4弾辺りまでだが、それらは2005年~2007年に発売。日本のエレクトロ・シーンを牽引した80KIDZのデビューEP『Disdrive EP』は2008年8月にリリースされた。これがエレクトロと呼ばれるムーブメントの大体のタイムラインだ。念のため補足しておくと、『Human After All』だけがエレクトロの源流というわけではない。2000年代前半からインディ・ロックとクラブ・ミュージックのクロスオーバーは脈々と続いており(ディスコ・パンク、エレクトロクラッシュ、2メニーDJsが流行させたマッシュアップなど)、それら全ての合流点としてエレクトロの隆盛がある。

*注38 2006年以降、ダフト・パンクはオリジナル・アルバムを1枚しか出していないので、本コンピのvol.2は出ていない。

*注39 ダフト・パンクが長らくライブを行っていなかったのは、これまでとは違う革新的なライブ体験をオーディエンスに提供するための技術が、世の中に普及していなかったから。しかし2006年には、テクノロジーや機材の進化によって、過去三作の曲をマッシュアップした音楽表現が可能になったと2人は各所で話している。また、これほど膨大なLEDを駆使したビジュアル表現も当時まだ新しいものだった。このド派手なステージ演出がEDMにも影響を与えているのは想像に難しくない。スクリレックスは2007年にカリフォルニアで体験したダフト・パンクのライブを、以下のように振り返っている。

おかげで世界が開け、僕の人生が変わったよ。音楽が大好きな2人があのピラミッドのステージで、あらゆる曲を取り混ぜて大迫力のライブを展開する。マッシュアップのライブ版を初めて体験したんだ。とにかく圧倒された。ライブの新たな可能性とレコードの良さを知って、僕は大きな衝撃を受けたんだ。

『ダフト・パンク ドキュメンタリー UNCHAINED』

*注40 映画に登場する2体のロボットはもちろんダフト・パンクだが、演じているのはトーマとギ=マニュエルではない。ダフト・パンクの映像制作部門〈ダフト・アーツ〉のアシスタントだったピーター・ハートゥとマイケル・ライヒである(2人ともプロの俳優ではない)。また、劇中で2人が着用しているのは、〈Alive 2006/2007〉のステージ上でダフト・パンクが着用しているのと同じ、エディ・スリマンがデザインしたレザー・スーツ。レプリカではなく本物だ。2人が乗っている車は1987年製のフェラーリ412型で、ナンバー・プレートにはHUMANと記載されている。(出典:『Electroma』パンフレットのプロダクション・ノート)

*注41 前年のTERIYAKI BOYZ「HeartBreaker」、そしてこのカニエ・ウェスト「Stronger」以外にも、ダフト・パンクの曲をサンプリングしたヒットは多い。有名なのは、ブラック・アイド・ピーズ「Boom Boom Pow」、ワイリー「Summertime」、ドレイク&21サヴェージ「Circo Loco」など。だが、ダフト・パンクが積極的に協力したサンプリング・ヒットはTERIYAKI BOYZとカニエだけだろう。

*注42 『Alive 2007』は初回盤のみ2枚組。ディスク2にはアンコールで披露された「Human After All」~「Together」~「One More Time(Reprise)」~「Music Sounds Better With You」のマッシュアップを収録。また、エンハンスド・ビデオで「Harder Better Faster Stronger」のライブ映像が収められている。

*注43 ちなみに、松本零士も2012年にシュヴァリエを受賞している。胸元につけている緑の勲章がシュヴァリエ。ダフト・パンクが勲章を授与されている様子は見当たらないので、トーマとギ=マニュエルが受賞の式典に出席したかは不明。

*注44 ダフト・パンクがゲスト・ヴォーカル以外の外部ミュージシャンとコラボレートしたのは、『Tron: Legacy』がほぼ初だろう。実際このときの体験は、生バンドを大々的にフィーチャーした『Random Access Memories』の方向性にも影響を与えている。トーマは、『Random Access Memories』リリース時に『Wax Poetics Japan』誌でこのように話している。

私たちの最初の2枚のアルバムは、私が幼少の頃から暮らしてきた実家の寝室で作ったんだ。(略)しかし、ちゃんとしたスタジオに入ってクインシー・ジョーンズのようにレコーディングできたら最高だな、とも話していた。昔からそれが夢だったんだ。私たちが2010年に映画『Tron: Legacy』の音楽をやったとき、初めてオーケストラと一緒に仕事をした。それと同じことを自分たちの音楽でもできたら最高だな、と考えるようになったんだ。

『Wax Poetics Japan』AUG/SEPT 2013




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?