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キツネ目の男はどこに グリコ・森永事件から40年

こんにちは、ぶらっくまです。新聞社の編集局で勤務していると、「あれから何年」という報道の機会が多くあります。俗に「節目報道」「周年報道」などと呼ばれます。

「年中行事」などとされることもありますが、戦争や大事件・大事故、災害などについて、忘れている記憶を新たにして風化を防いだり、改めて検証・考察し対策を考えたりすることには意味があると考えています。

3月18日は「グリコ・森永(脅迫)事件」の発生から40年の節目でした。事件を知らない若い方も、犯人の一人とされる「キツネ目の男」の似顔絵=上の画像=は目にしたことがあるかもしれません。

製菓会社・江崎グリコの江崎勝久社長が兵庫県西宮市の自宅から誘拐され、犯人は金塊と現金10億円を要求。社長は監禁場所から自力脱出しましたが、犯人グループはグリコのほか森永製菓など食品会社を次々と脅迫、店頭に青酸入りの菓子を置く事件も起こしました。「かい人21面相」を名乗り「けいさつの あほども え」などと挑発する文書を報道機関にも送り付けるなどし、「劇場型犯罪」の言葉が生まれました。一連の事件は2000年2月までに時効が成立。未解決のままで、いまだ多くの謎を残しています。

浮かんでは消えた「キツネ目の男」/12万5千人が捜査対象に/グリコ・森永事件40年

グリコ・森永事件を報じる新聞記事のスクラップを手に当時を振り返る元捜査員=兵庫県内

 夕闇を待つ河川敷に、ひっそりと立つプレハブ小屋の周囲には、人家はおろか、人影一つなかった。ぐるりと見渡せば、広大な貨物ターミナルや下水処理場といった無機質な施設ばかり。小屋の扉を開ける。コンクリートの床に、つたがはっていた。しんと冷えた空気が出動服に容赦なく入り込み、体の芯まで染みてくる。「こんなとこに、ほんまに社長がおったんかいな」。捜査員は、戸惑いながら白手袋をはめた。

 40年前の1984年3月21日夕、大阪府茨木市。淀川水系の安威川左岸にあった水防倉庫で、兵庫県警の現場検証が始まった。日本を代表する菓子メーカー「江崎グリコ」の江崎勝久社長(82)が監禁されていた場所だ。

 捜査員が携わった検証は1週間ほど続いた。はしごが掛かった屋根裏のような2階の奥、大量のかます(わらむしろの袋)が積み上がった辺りに、閉じ込められていたことが確認された。

■10億円と金100キロ
 発端はその3日前、3月18日の夜だった。兵庫県西宮市の江崎社長宅に3人組が押し入り、連れ去られた。

 犯人は、脅迫状で「現金10億円 と 金100kg を よおい しろ」と要求。江崎社長は3月21日、監禁先の水防倉庫から自力で抜け出したが、これは終幕ではなく、一連の事件の始まりに過ぎなかった。

 世に言う「グリコ・森永事件」。またの名を「警察庁広域重要指定事件114号」。犯人グループは「かい人21面相」を名乗り、企業や警察、マスコミに次々と脅迫・挑戦状を送りつけた。

 標的は、森永製菓やハウス食品など計6社に拡大。その年の10月7日には、西宮市内のコンビニなどに青酸混入菓子がばらまかれ、小売店がこぞって店頭から商品を撤去する事態に発展する。

 市民や報道機関を巻き込んだ最初の「劇場型犯罪」は、高度成長期が終わり、安定成長期に入っていた日本をしんかんさせた。

■キツネ目、ビデオ…
 「入浴のタイミングまで把握しており、無駄がなく極めて緻密に計画された犯行」。兵庫県警、大阪府警などの合同捜査本部に加わった捜査員は、とば口となった江崎社長の誘拐事件をそう振り返る。

 犯人グループはまず、ガラス窓をバーナーなどで熱する「焼き切り」の手口で母屋に侵入。そして中にいた家族から合鍵を奪い、社長がいた邸宅に堂々と入ることで、警備システムをかいくぐっていた。

 内部犯行説、総会屋や外国人、暴力団の関与説、株価操作で利益を得ようとした仕手筋犯行説-。捜査線上にはさまざまな犯人像が浮かび、その全てが決め手を欠いた。

 現金の受け渡しは、大阪や滋賀で繰り返し設定されたが、犯人グループは姿を現さなかった。捜査本部は、丸大食品とハウス食品の二つの脅迫事件に現れた「キツネ目の男」の似顔絵を公開。青酸入りドロップが置かれた西宮市内のコンビニで不審な動きをする「ビデオの男」の防犯カメラ映像を公開して情報を募った。

 捜査本部には、不審車両や遺留物など、幾つかの「物証」に特化した捜査班が編成された。その一つが、脅迫状だった。

■タイプライター
 日本タイプライター社製の「パンライター」-。

 捜査本部は、犯人グループが送りつけてきた脅迫状を分析。文字盤と組み合わせて印字するタイプライターが使われており、メーカーと製品も特定された。

 日本タイプライターから提出を受けた納品リストによれば、その数は数千台。警察庁と連携し、各都道府県警の捜査員が1台ずつ販路を確認する地道な作業が続いた。

 兵庫県警西宮署の捜査拠点には、その報告が全国から集まってきたという。タイプライターの写真と、文字を打ち出した紙、所有者の聞き取り内容…。最終的に、捜査本部は7割以上の所有者を特定したとされるが、犯人グループにはたどり着かなかった。

 ただ、その後の捜査につながる重要な成果もあったとされる。

 集約したタイプライターの報告は、兵庫県警の情報管理部門と共有し、コンピューターでリスト化した。犯人グループに直結する物証だっただけに、ささいなヒントでも漏らさず関連を検索できるようにするためのアイデアだったという。

 ある捜査幹部が、強調する。

 「それまでの事件の捜査では、人の記憶と書類の手繰りでしか情報を突き合わせられなかった。グリコ・森永事件のタイプライターの追跡は、現在のIT化にまでつながる大きな転換になった」

■終結宣言
 「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」

 かい人21面相を名乗る犯人グループは、翌85年8月12日に突如として終結宣言を出した。

 乗客、乗員合わせて520人が亡くなった日航機墜落事故が発生した日のことだ。宣言文にも、やはりタイプライターが使われていた。

 犯人グループの動きはぴたりとやみ、捜査は停滞する。人々の関心も、バブル期の狂乱とともに薄れていき、2000年2月13日、一連の事件の時効が全て成立した。捜査対象に浮かんだのは、現職の警察官や著名な作家らも含め、約12万5千人に上ったとされる。

 「浮かんでは消え、消えては浮かぶ。かい人21面相の追跡は、この繰り返しだった」。西宮署の捜査拠点に詰めた捜査1課のベテラン刑事がこの年、神戸新聞の取材にそう答えた記録が残る。

 江崎社長の誘拐事件から18日で丸40年。鑑識課や捜査1課で事件に携わった捜査員は節目を前に、悔恨の言葉を口にした。

 「取れる証拠は収集し、精いっぱいの捜査をしたと思っている。技術が進歩してより科学的なアプローチができていれば、結果は違っていたかもしれない」

 1964年に運用が始まった「警察庁広域重要指定事件」のうち、未解決となったのは2件のみ。グリコ・森永事件の114号と、同じく西宮市内で発生した87年の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」をはじめとする一連の「赤報隊事件」の116号だけだ。

2024年3月17日 神戸新聞NEXT配信記事

先述の通り、2000年2月には一連の事件が全て時効を迎えました。

2000年2月13日付 神戸新聞朝刊紙面より
2000年2月13日付 神戸新聞朝刊紙面より

その謎の多さから、グリコ・森永事件を題材にした多くのフィクション・ノンフィクション本も刊行されています。その一つ、2016年に山田風太郎賞を受け、映画化もされた小説「罪の声」は、元神戸新聞記者の作家、塩田武士さんの作品です。最後に、17年の塩田さんのインタビュー記事をお届けします。

作家 塩田武士さんに聞く/なぜ今、グリコ・森永事件ですか?/劇場型犯罪に救い探して/拝金主義の時代、卑劣さ痛感

塩田武士さん(2017年2月撮影)

 1984年3月18日、江崎グリコ社長(当時)が、西宮市の自宅から誘拐された。「グリコ・森永事件」の始まりだった。その年、テレビは事件に関する脅迫テープを何度も流した。あの声の子どもは、今も息を潜め暮らしているのではないか―。そんな着想から事件の闇に迫った小説「罪の声」(講談社)が、2016年、山田風太郎賞に輝いた。なぜ今、「グリ森事件」なのか。作者の塩田武士さんに聞いた。

 ―着想はいつから。
 「実は15年前から温めていたアイデア。大学生のとき、食堂で関連本を読み、脅迫テープに子どもの声が使われていたと知った。鑑定では未就学児ら3人。ということは、一番下の男の子は僕とほぼ同じ年齢。場所も関西。ならば、遠足や買い物ですれ違ったかもしれない。そうひらめいた瞬間、イメージが広がり、鳥肌が立った」

 ―なぜ今、小説に。
 「誰もが知っている昭和の大事件、デビューから9作目になる。少しずつ人間の書き方が分かってきた。筆力が伴うか自信はなかったが、背伸びをして挑戦しよう、と」

 ―元神戸新聞記者。警察回りや文化、芸能を担当した10年の記者経験は。
 「もちろん生きている。事件を追いかける主役の一人はさえない文化部記者。まるで当時の僕のような…。『どくいりきけん たべたらしぬで』『けいさつのあほどもえ』など、人を食ったような脅迫状や挑戦状をマスコミに送り続け、劇場型犯罪と呼ばれた。実際に取材した先輩記者から〝武勇伝〟を聞かされた。小説では「ギンまん事件」と名付けたが、時系列や事実はすべて当時をなぞった」

 ―事実と虚構が溶け合い、境界が見えなくなる。
 「それを狙った。グリ森は2000年2月、時効を迎え、未解決事件になった。だが、それでいいのか。警察をあざ笑うダークヒーローのように社会に受け止められているが、調べるうち、本質は金のために幼い子を巻き込んだ、単に卑劣な事件だと痛感した」

 ―実際の事件では「きょうとへむかって、いちごうせんを…」と、金の受け渡し場所のメッセージに子どもの声を使った。
 「僕には今、3歳、11カ月の2人の娘がいる。もし僕がグリ森事件の実行犯だとして、娘の声を利用できるだろうか。絶対にできないと思った」
 「警察が総力を挙げても解けなかった謎の断片をフィクションでつなぎ、事件に利用された子どもの〝今〟を小説の力で浮き彫りにしたかった」

 ―事件のあった1984、85年の新聞を隅々まで読んだ。
 「サラリーマン金融の広告が多く、事件や自殺の背景も多くが金。まさに拝金主義の時代だった」
 「地域のつながりが薄まり、科学捜査も未発達なエアポケットのような時期でもあった。今なら、聞き込みで成果が上がらなくても、衛星利用測位システム(GPS)や防犯カメラがあり、すぐに捕まったのではないか」

 ―小説では事件が〝解決〟する。ある意味でハッピーエンド。
 「その過程はグロテスクそのもの。犯罪とはそういうものだと思う」

 ―小説のラストでは、時効になった実際の事件の「現実」を動かしてしまいそうな迫力がある。
 「そう願っている。警察の捜査は終わったが、今も事件を調べ続けるベテラン記者もいる。事件を背負い続けているだろう3人の子どもに重荷を下ろしてほしい」

 ―脅迫テープに利用された3人は、生きていれば30~40代。社会の中軸を担う世代だ。今、何をしているだろう。
 「それは分からない。ただ、非常に不利な環境で育っただろう。幸せになっている確率は普通の人より低いだろう。だからこそ、救いを書きたかった」

 ―もし会えれば、何と声を掛ける。
 「あなたは本物ですか。そして今、幸せですか、と。ついでにインタビューを申し込みたい。僕の独占で」

 塩田武士(しおた・たけし) 1979年、尼崎市生まれ。関西学院大卒。神戸新聞在職中の2010年、「盤上のアルファ」で作家デビュー。

2017年3月5日付 神戸新聞朝刊記事より

〈ぶらっくま〉
1999年入社、神戸出身。私は塩田武士さんより少し上の世代で、子ども心に、得体の知れない犯人に恐怖を感じた覚えがあります。新聞記者となって以降は、先輩や捜査員が「グリ森」「114(警察庁広域重要指定事件の指定番号)」について話すのを何度か聞きました。この事件以降、警察の広域捜査や企業の危機管理などは一定強化されましたが、社会の弱点を突く犯罪は今も後を絶ちません。そして、それはより複雑、巧妙化しています。犯罪は時代や社会を映す鏡である―との思いを強くしています。