- 運営しているクリエイター
2019年7月の記事一覧
「君の名は。」と「天気の子」 共通点と進化したメッセージとは
「君の名は。」からもう3年も経つのか。ついに公開となった「天気の子」を見るに際し、そう思った。社会現象となったあの映画の衝撃を食らったのがまだつい最近のことのように思われるが、日本の映画史に数々の記録と、人々の記憶に残る伝説を生み出した同作品。公開初日に初めて見た時、ストーリーと深く共鳴した音楽の洪水によってか、流されるように溢れ出てきた涙に伴う感動。その涙の訳がわからず、色んな人と、当時は計5回
もっとみる失敗とは季節のようなもの
以下、
GLAYのリーダー TAKUROさんのインタビューより引用。
僕は,失敗というものはそもそも存在しない,と思ってるんですよ。
「ただそこにおのれの心,人の心があるだけ」だと思っているんです。
例えばスキーを始めて,うまくなりたいと思いながら滑ってみる,
そして転ぶ――
それを「失敗」とは言わないでしょう。
転ぶのは,いつかスキーがうまくなるための“プロセス”に過ぎない。
失敗というの
KPIとは「教育」そのものである
昨今、IT業界だけに限らず様々な業態の中で用いられているKPIというものについて考えを馳せてみる。
直近、このトピックスについて非常に痺れる結論に至ったので整理する。
ここ数年過ごしていて、その中でも特筆して個人的には衝撃だった。
組織の目標達成の度合いを定義する補助となる計量基準群である[1]。KPI はビジネスインテリジェンスにおいて、現在のビジネスの状態を示すものとして使われ、今後の対応策
いつまでも、夢見る少女じゃいられない。
4月5日、ある作家の方のトークショーに行った。いま私は超絶定時に帰りづらいブラックな職場にいる。あえて空気を読まずに定時に帰り続ける私に更に圧力をかけるための席替えをしたこの日、それでも地獄のような逃げ帰り方で、トークショーの定刻に間に合うように枚方市へ向かった。
小学生の頃から文章を書くことも読むことも好きで、漠然と文章を書いて生きていくんだと思っていた。小学生の頃、『西の魔女が死んだ』という
答えが決まっていない限り、間違いはない
答えが決まっていない限り、間違いはない意味:答えが決まっているから間違いがあるわけで、答えが決まっていなければ間違うことはない。
類義:答えがあるものには間違いはある
(例)いやぁ、今まで何度も間違えてきたと思って生きてきたよ。でも、学校のテストなら答えと違えば間違いになるけど、人生に答えがあるわけではないから、間違いだと思ってたことが間違いなんだなと思うよ。まさに「答えが決まっていない限り、
ドラマの様に勝てないが、ドラマの様に負けても死なない
ドラマやマンガがおもしろいのは、主人公が死ぬほどのピンチな場面を努力や気合いで乗りきり、そして、勝つからだと思う。
主人公には毎回、死ぬほどのピンチがきて、立ち向かい、そして勝ち続ける。
当然ながら、現実はそうはいかない。
勝つことも負けることもある。
そして、どちらかというとうまくいかないことの方が多い。
話は飛ぶが「能動的」と「受動的」という言葉がある。仕事を楽しんでる人をみてると、当た
ライバル他社はもはや脅威ではない。個がエンパワーメントすると「顧客自身が脅威」になる。
組織の内外から見える景色の違い様々な企業で経営会議のファシリテーションなどをすることが増えてきた。
この3年くらい、様々な大企業の苦しみとターンアラウンドを見聞きし、経営陣の苦しみに伴走してきたので、外部からの視座を提供することもできているかなと思う。偉そうだけど。
そこでわかるのは、外から見ると俯瞰して見えていることであっても、中から見るとほとんど見えていないという事。努力が足りないとかでは
「愛」に始まり「恩」で終わる日本語は美しや
「愛」に始まり「恩」で終わる日本語は美しや意味:日本語は、「あいうえお」で始まり、「わをん」で終わるので、「愛」で始まり「恩」で終わる素晴らしい言葉という意味。「をん」じゃね?という突っ込みは受け付けない。
類義:礼に始まり礼に終わる
(例)いやぁ、日本語ってさ、「あいうえお〜わをん」で終わるけど、「愛」に始まり「恩」で終わる日本語って、美しいよね。日本人でよかったなって思うよ。
「いやぁ、
入社3年目までにやっておいてよかったこと、やらなくてよかったこと
学生時代、社会人になった先輩に、「学生時代にやっておけばよかった」と思うようなことはありますか??と聞いた。
すると、
「英語、海外旅行、人脈」
この3つがすごく多かった。
僕はその時に感じた。もし自分がこれをやらずとして、そのまま大学生活を過ごしたら、先輩と同じように3つのことは確実に後悔するのだろう。と
そこで、とにかく上記3つに時間を費やした。
長期休みは海外に行き、英語の勉強は2年間毎朝
隣の人に「絆」は感じないの?
かつて「絆」という言葉が流行った。
それはまさに「流行る」という表現が似つかわしいほど繰り返され、
いまは一気に姿を消して、それこそ災害の場面でしか耳にしない。
私には不思議に思うことがある。
あれほど「絆」を連呼した現代人が、なぜすれ違う人に
平気でぶつかれるのか。
朝8時のJR山手線「渋谷」駅ホーム。
乗客の姿を見れば、明らかに身体を、人にぶつけながら
前に進んでいる。それは、ちょっと控え