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山本五十六 真珠湾攻撃の真実~組織人の悲哀、ギャンブルで国は救えず

九分九厘負けるとわかっていても...

戦わねばならないときがある。

それが、組織人であり、国に忠義を尽くす者だ。

敗色濃厚の死線に飛びこみ、ギャンブルで国を救おうとした男から

現代日本、ビジネスに通じる本質を学ぼう。

山本五十六。五十六って何て読むの??

いそろくだよ。
父が56歳の時に生まれたから、山本五十六と言う名前になったんだ。

たしか豊臣秀頼は、豊臣秀吉が57歳の時に生まれたんだよね。
ってことは、 豊臣五十七 って名前でもおかしくなかったのか…

いや、それは違うだろ。

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で、山本五十六さんはどんな人なの?

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第二次大戦中の海軍司令長官さ。
そして、真珠湾奇襲攻撃を立案した人さ。
俺は幼いころから、「信長の野望」というコーエーの戦略ゲームをプレイしてきたから、こと「戦略」に関しては人並み以上の視点を持っているさ。
だから今日は五十六さんについて解説するよ。

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うん、よろしく!
五十六さんは、海軍司令官ということは、ワンピースの大将たちみたいに真面目で怖そうな人なんだね?

いや、五十六さんは、生粋のギャンブラーでもあったんだ。
「俺は海軍を引退したらモナコでポーカーやって暮らすんだ」とよく言っていたほど。

ギャンブラーに司令官を任せていたの?


いや、五十六さんはただのギャンブラーじゃないよ。
頭が良くて、冷静に現状を分析して物事を長期スパンで考えていたんだ。
もともと五十六さんはアメリカとの戦争に反対だった。

どうして?

どうしてって、あんなジャイアンみたいな巨大国家・米国にドラえもんがいないのび太みたいな日本が勝てる訳ないじゃないか。戦力差は歴然。
五十六さんは、留学経験もあるから、それに早くから気が付いていたんだ。

けど、日独伊三国軍事同盟が締結されたんだから、米国との決戦は避けられなかったんだよね?

そうだよ。だから五十六さんはこう言っている。
「陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒もはなはだしい」
これは本当に本質的な言葉だよね。
他社との争いか、社内の派閥争いか、今の日本も同じだよ。

でも、五十六さんは第二次世界大戦時の日本海軍の司令官なんだよね?

そうだよ。
それに独ソ戦の開始、ハルノートの宣告など、日本は開戦に突き進まざるを得なかった。
五十六さんはギリギリまで日米開戦を回避しようとしたけど…だめだった。

でも、開戦するからには勝機はあったんだよね?

もちろん。
まともにやったら勝ち目はないから、五十六さんは短期決戦に持ち込もうと考えた。

短期決戦?

ヒット&アウェイさ。
開戦と同時にアメリカに圧倒的な損害を与えて、戦意を奪ってさっさと和平を結ぶって作戦…大艦巨砲主義に反して、先見性があった五十六さんは航空機を主力にした。そして…

もしかしてそれが…

そう。真珠湾奇襲作戦さ。
日本海軍至上最大の「ギャンブル」


どうしてギャンブルなの?

日本本土からはるか彼方のハワイに稼働可能な主力空母6隻を派遣したんだぞ。
その大機動部隊を密かにハワイに接近させるだけでも難事、もし大敗すれば戦力を大幅に失う。

それは大博打だね。
キングダム(ヤングジャンプ連載)で現在展開されている、趙国戦みたいだ。


五十六さんは真珠湾攻撃に日本の命運を賭けた。
機動戦士ガンダムでいうところの、コロニー落としさ。
戦力に劣る側が勝つには、初戦で大打撃を与えることが必要不可欠だから。


真珠湾攻撃…たしか大成功を収めたんだよね?

日本時間1941年12月8日0240時(現地時間12月7日0752時)、アメリカ合衆国ハワイ準州の軍港、真珠湾上空に到達した日本海軍第1機動部隊・第1波攻撃隊指揮官機は短い暗号文『トラトラトラ』(ワレ奇襲ニ成功セリ)を打電。
同日0900時頃(同日12月7日1412時頃)、2波に渡る攻撃隊を収容した第1機動部隊は北北西に変針、日本への帰路につきます。


どうだろう?
ぼくは大成功とは思えないな。

どうして?

作戦の短期目標は果たせたかもしれない。
ただ、この作戦の長期目的は、「アメリカの戦意を叩いて、早期の戦争終結をはかる」ことだ。
だが、真珠湾攻撃には致命的な失敗があった。


1、米軍の空母は真珠湾に在泊しておらず、無傷。

空母って、航空機を乗せる船だよね?

そう。第二次世界大戦時は、航空機が戦いの主戦力になっていた。
その航空機を運ぶ空母は、戦争の肝だ。その空母を叩かないと意味がないんだよ。

だが真珠湾では、一番の目標にしていた空母「エンタープライズ」「レキシントン」を叩けていない。


2、ドックなどの港湾施設や燃料タンクを攻撃しなかった

これはどういうこと?

日本軍は敵基地の重要設備を攻撃せず、敵艦隊のみを攻撃した。
この時、アメリカ太平洋艦隊司令長官を務めたニミッツ提督は、その回顧録でこう語っている。「真珠湾の石油タンクを破壊されていたら、アメリカ艦隊は、半年は動けなかった」
でも日本軍は石油タンクを攻撃しなかった。
ま、第三次攻撃を行わなかったから仕方がないね。
南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。

なんか、戦火が不十分だね。真珠湾攻撃…
それで五十六さんは満足なの?

満足なはずがないよ。ただ、五十六さんは真珠湾攻撃の作戦立案は行ったけど、現場にはいなかった。
現場を任されていたのは、南雲忠一中将さ。

え、そうなの?

現代の会社で例えると、
五十六さんは会社でいうところの執行役員さ。
そして南雲中将は、現場を任された部長。
結局最後は、現場に任せるしかないんだよ。

南雲中将は、どうして第三次攻撃をしなかったの?
さらに攻撃すれば、石油施設などを破壊できたかもしれないんだよね?

一説によれば、自軍の戦力を温存したとも言われている。
敵空母の所在位置がわからないまま、その場にとどまることは不利であるとの状況判断に基づいたって言われてるんだけど…

たしか五十六さんは真珠湾攻撃に賭けたんだよね。

そうだよ。だから、味方空母、飛行機の半数を失う覚悟で臨んだ。

それにしては、南雲中将は消極的ともいえる決断じゃないか。
第三次攻撃をせずに、帰還したんだろ?

まあ、第3次攻撃が十分にできるだけの爆弾や魚雷は、もう残ってなかったとの声もある。
けど、南雲中将はたしかに五十六さんほど、真珠湾攻撃に賭けていなかったのかもしれない。

どうして?

南雲中将だって、中間管理職だ。
そもそも真珠湾攻撃は、日本国内でも反対派が多かった。
そんな無茶はせず、長期戦に備えて戦力温存をしろ、という発言も多かったからね。
南雲中将は、戦力温存を選んだ。
短期決戦に賭けるという五十六さんの考えは、日本軍全体に浸透していなかった。

「五十六さんと部下の南雲中将の間に真珠湾攻撃のミッションが共有されていなかったこと」これが一番の失敗さ。

五十六さんにとっての目的は空母を始めとする主力艦隊を徹底的にたたき、米軍の継戦意欲を失なわせること。
南雲中将はアジア南方地域で資源を確保するための補助作戦とみていた。
これじゃだめだ。


なんか、会社と似てるね。

そうだよ。一緒さ。
歴史を学んでも仕方がない、という人もいる。
けどぼくはそうは思わない。

歴史と現在はつながってる…

賢者は歴史に学ぶっていうだろ?
歴史を学べば、法則が見えてくる。

戦争も、会社経営も同じさ。
限られた資源をどこに投入するか。
開戦のタイミング、撤退のタイミング…

じゃあ、歴史を学べば経営もできるの?

できるかはわからないけど、儲からない仕組みは理解できる。
会社でもよくあるだろ?
売り上げだけ上がって喜んでいることが。

あるね、あるある。

会社の目的は、利益を上げること。
だから利益率の高い製品を売ることが生存戦略になる。

でも、社員はなるべく売りやすい製品を売ろうとするんじゃないの?

そうさ。
インセンティブが少ない日本企業の場合、社員の一定数は「楽をしようとする」
人件費、テナント料などを鑑みて、粗利を残すために行動しないといけないのに。

業務時間だけ無駄に長くて、仕事をした気になっている社員が日本にどれほどいるんだろう?


OECDデータに基づく2018年の日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は、46.8ドル。OECD加盟36カ国中21位。


この国は変わっちゃいないのかな?

そうかもね。
いつまでたっても根性論で、本質を見ようとしない。
コロナだってそうだろ?
科学的な検証をしようとはしない。
縦割り、責任逃れ、先延ばし、雲隠れ…

本質が見えていなかったのかもね。

そうさ。
さて、真珠湾攻撃に話題を戻そう。
真珠湾奇襲攻撃は「一応」成功し、米太平洋艦隊を壊滅させた機動部隊は意気揚々と引き揚げた。

けど、大きなミスがあったんだよね?

そう、外交上の重大なミスさ。
ワシントン日本大使館からの通告が遅れて、日米交渉の打ち切りを伝える最後通牒が、攻撃開始に間に合わなかった。
アメリカがこの失態を見逃すはずもなく、真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」と喧伝された。

でも、おかしくない?
戦争にだまし討ちなんてないはずだよ。
アメリカも1898年の米西戦争では宣戦布告なしに戦争をした前歴がある。

まあそうだろうね。
アメリカだって、11月26日に「ハル・ノート」(日本軍の中国および仏領インドシナからの撤兵、中国における蒋介石政権以外の政権を認めないことなどを要求、日本側は事実上の最後通牒と受け取った)を日本に突きつけた時点で開戦を覚悟したはずだ。

ただ、真珠湾で攻撃を受けた米軍は対空砲火を行った。
戦争の準備ができていたからね。

じゃあどうして、アメリカでは、「真珠湾攻撃はだまし討ちだ」と言われるのさ?

世論操作だろうね。


え?

米軍としては、米国内の世論をひとつにまとめたかったんだ。
そのためには、「日本がだまし討ちをした。だから俺たちはやり返す」と宣伝したかったのさ。1枚上手だ。

「やられたらやり返す」半沢直樹イズムじゃないか。


そうさ。
宣戦布告が遅れたことにより、アメリカはやる気なくすどころか逆にやる気満々となった。

この時点で、真珠湾攻撃は…

真珠湾攻撃は…
作戦結果としては、「成功」だ。 
(米国艦隊の撃破)

戦争目的としては、「失敗」だ。 
(早期講和どころか、米国の戦意を燃え上がらせてしまった)


五十六さんは…ギャンブルに失敗したの?

ああ、実際は失敗かもしれない。
でも、そのあと、五十六さんは頑張った。
頑張ったという表現が正しいのかはわからないけれど、真珠湾攻撃から半年は、日本は優位を保った。

「アメリカとの戦争となれば、半年は暴れてご覧にいれますが、その後は……」その言葉通り、太平洋戦争開戦から約半年間『無敵の連合艦隊』を演出した。太平洋戦争前に宣言した通り約半年の間西太平洋を支配した。

けど、そのあとは劣勢になったんだよね?

そうだよ。まあ、けどそれは想定内さ。
そもそも国力が違いすぎるからね。
ただ、逆転の可能性はあった。

え?


ミッドウェー海戦さ。
アメリカの作家ハーマン・ウォークは『戦争と追憶』に「日本がミッドウェー海戦に勝ったらドローゲームになる可能性があった」と記している。具体的には…

だが悲しいかな。
ミッドウェー海戦で、日本は主力の4空母を全て失う大敗北を喫した。

五十六さんは、ミッドウェー海戦というギャンブルにも負けてしまったのさ。


ここまで記事を読んでくださり、ありがとうございました。

ここからは、以下の記事をまとめて、山本五十六の生涯をコンパクトに紹介します。


1884年4月4日、現在の新潟県長岡市で旧越後長岡藩士・高野家の六男として生まれ、その当時の父親の年から『五十六』と名付けられた男児は、負けず嫌いの男でした。

1905年・・・日本海海戦に参加(当時21歳)
日本海軍が圧倒的勝利を収め、NHKドラマ「坂の上の雲」でも有名になった日本海海戦ですが、実は山本五十六はこの海戦に参加していました。もっともこの時点では海軍に入って間もない時期であったため、一海兵としての参戦にとどまっています。

ただ、ここで重要なのはこの海戦に参加したことではなく、この次に参加した実戦がなんと太平洋戦争そのものだったことにあります。

日本の命運がかかった戦争の総司令官が、実は実戦経験がほとんどなかったという事実は、仕方無いこととはいえ結構ショッキング。

その後、1915年に旧長岡藩家老・山本家に養子縁組してこれを相続し、高野 五十六は『山本 五十六』と名を変えました。

1919年から1921年のアメリカ留学時には、海軍航空開発の第一人者と言われる上田 良武 大佐(当時・駐米武官)から受けた指導や大恐慌前のアメリカで日本とは比べ物にならない規模の工業地帯の活況を見て、その後の対米戦に強く関わる見聞を深めています。

1925~1927年にも今度は駐米武官としてアメリカに滞在していますが、その間に砲術から航空に転科して霞ヶ浦航空隊へ配属(1924年9月)、帰国後に空母『赤城』初代艦長(1928年)するなど、当時の日本海軍では少数派の「航空主兵論者」になっていきました。


将棋とギャンブルが大好き

五十六のエピソードで有名なのは将棋とギャンブルで、アメリカ留学時代に将棋自慢の一般留学生と100番勝負の予定で対局を始め、26時間連続で75番、体力の限界を感じるまで打ち続けたと言われます。

連合艦隊司令長官になってからも暇があれば参謀などを呼び止め「オイ、一局ささんか?」とやるのは定番だったそうです。


また、ギャンブル好きでも有名だった山本には嘘か誠か判断つきかねるギャンブル武勇伝が軍歴より多いのではないかというほどで、ラスベガスには五十六に一晩で潰されたカジノがある、モナコのカジノ協会から出入り禁止にされたなど多数。

*なかなかヤンチャだね!

なお、「引退(予備役編入)したらモナコでルーレットに通い、閑人から金を巻き上げて暮らしたい」「2年ほどヨーロッパで(ギャンブルで)遊べば戦艦の1、2隻作る金くらいできる」など、ほとんど冗談としてもギャンブルへの自信は相当なものでした。


もっとも、成功するギャンブラーは常にそうであるように、五十六も単に運任せのギャンブルをしていたわけではありません。

日本海軍史上最大のギャンブルと言われた真珠湾攻撃も、対米戦でアメリカ海軍とどう戦うか悩んでいた五十六が、ある演習で停泊していた旗艦『長門』が魚雷を積んだ飛行艇に奇襲攻撃を受けたあたりから着想が始まります。

この時の攻撃は、泊地の水深が浅いため「投下された魚雷は全て海底に着底無効」とされましたが、飛行艇による奇襲の鮮やかさから、「真珠湾を空母で攻撃できないか?」と考え出しました。

ハワイまでは民間船舶の少ない北太平洋を通れば見つからずに接近できるメドがたち、予想される対空砲火も猛訓練で超低空高速飛行を行えば、投弾前に撃墜される確率は低くなります。

最後に問題となったのはヒントとなった演習の泊地と同様、真珠湾の水深も浅いことで、これも九一式航空魚雷改2に『超低空ギリギリで投下すれば、着水後にあまり潜らない安定板』を装着したことで解決。

つまり、ギャンブルをやるにしても勝てる可能性をギリギリまで高める努力を怠らなかった、その意味で五十六はまさに『真のギャンブラー』でした。

しかし、開戦前に近衛首相(当時)に約束した「対米開戦すれば半年は暴れますが、2年、3年までは見通せません」という言葉が、山本のギャンブラーとしての本音であり、限界だったとも言えます。

実際、太平洋戦争開戦から半年、1942年5月までは連戦連勝で「無敵艦隊」を演じられたものの、ギャンブル的作戦はどれだけ完璧な仕込みをしても、いつか負ける時もあれば、それが致命的な負けということもありえるのです。

ギャンブルの相手は資金力(経済力や工業力)にモノを言わせたアメリカ。どれだけ勝っても相手の底が見えないうちは、本当の意味で勝ったとは言えません。


ミッドウェー海戦はまさにその意味で最悪の負けを喫したギャンブルで、それまでの勝ち分をほとんど失った上に、その後の勝運まで全てアメリカに持って行かれた、最悪の敗北でした。


ミッドウェー海戦後の山本は、海軍中央や陸軍からギャンブラーとしての信頼を失い、参謀など部下からもギャンブル的な作戦(自ら旗艦『大和』を指揮してのガダルカナル突入など)は控えてくれと懇願されるような有様で、もはやギャンブラーとは言えなくなっていました。

引き続き連合艦隊司令長官には留まりましたが、その作戦はよく言えば堅実、悪く言えば消耗を恐れた消極的なものとなり、1942年8月から始まったガダルカナル戦以降はもっとも不得意な消耗戦に引きずられていきます。

今持っている賭け金を全て失っても背後に札束の山が控えたアメリカを前に、失うわけにはいかない賭け金を、消極的な手で少し増やしては、アメリカの大胆な攻め手で大きく減らすという有様で、『伝説のギャンブラー』の神通力は完全に失われていたのです。

それでも戦いの指揮をとり続けた山本に対し、アメリカはついに「山本の前線視察予定を暗号解読で完全把握」という、山本排除の大チャンスを手に入れました。

⇒日本軍は暗号を解読されていました。戦力で圧倒的に劣るだけでなく、情報戦でも大敗していたのです。


アメリカ側も山本の衰えを把握していたものの、排除による日本軍の士気の低下、あるいは山本を排除した後でより有能な指揮官が後任とならないかを計算した上で、陸軍の双発長距離戦闘機P-38に出撃を命じます。

1943年4月18日、わずか6機の零戦を護衛に連れた、山本はじめ連合艦隊首脳部を乗せた2機の一式陸上攻撃機がブーゲンビル島上空に差し掛かると、P-38は(暗号解読の事実を伏せるため)偶然を装い一気に襲い掛かりました。

⇒当時の日本軍は、暗号が解読されているとは気づいていませんでした。米軍は暗号解読を気付かせないために、「偶然」を装っています。


乗機の撃墜され、五十六は戦死します。

死後『元帥』の称号を贈られ山本元帥となり、遺骨は戦艦『武蔵』で内地に帰還、盛大な国葬が執り行われました。

全盛期以降も賭け金不足に悩みつつ、底無しの富裕家・アメリカ相手に勝負を挑み続けて敗れた、帝国海軍最大のギャンブラー・山本 五十六。

国葬後に多磨霊園に埋葬されて後、現在は新潟県長岡市の長興寺に眠っています。


五十六はギャンブルに勝つ秘訣についてこう言っていたそうです。

「私欲を挟まない。
科学的数学的でなければならない。
冷静に観察し、計測すれば必ず勝つ機会が判る」


ギャンブルに限らず、日ごろから物事を冷静かつ客観的に評価しようとする五十六。

しかし、そんな彼も、米国との決戦という日本の命運を賭けた勝負には勝つことができませんでした。

先見性はあったものの、
組織の意向には逆らえなかった中間管理職
山本五十六。


最後に、現代の人々にも生きる彼の言葉を届けましょう。


やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
人は神ではない。
誤りをするというところに人間味がある。


五十六さん…
俺は、あなたの言葉を胸に戦いますよ。

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