​ 「覚えている」って、むずかしい





「Yonda?」などのコピーで有名な、コピーライター谷山雅計さんの本で、こんな文章を読んだことがあります。


「昔の自分が感じた気持ちを、きちんと覚えておくこともとても大切です。

ほかの人の気持をわかってあげるのと同じように、昔の自分の気持ちを覚えておくことで、本当にたくさんの気持ちを自分のものにすることができます。

(略)たとえば、ぼくは独身時代、『子どもが大嫌い』でした。その気持ちは、その後、結婚して子どもができると、当たり前のように『子どもはかわいい』に変わってしまったのですが、ただ、そのときに『子どもが大嫌いだったという気持ちを一生忘れないようにしよう』と強く思ったんです。」

(「広告コピーってこう書くんだ!読本」 谷山雅計)


人は、忘れる生き物です。「忘れる」というのは、一種の生存本能である気もするのだけど、(嫌なことや辛かったことを、いつまでも克明に覚えていたら、ずいぶんと生きづらい気がする)それにしても、それ故に?「覚えている」というのは、本当に難しいことだと思います。

誰かを好きになると、恋心の切なさを知る代わりに、ひとり生きていた頃の自由な気持ちを忘れてしまう。

両想いになると、相思相愛の喜びを知る代わりに、せっかく知った片思いの切なさを忘れてしまう。

結婚すると独身の頃の気持ちを忘れ、子供ができると親になる前の気持ちを忘れる。

大人になれば子供の頃の気持ちを忘れる。老人になれば若者の気持ちを忘れてしまう……。

谷山さんも書いているけれど、私も子供ができる前は、たとえば会社で上司が「いかにうちの娘がかわいいか」という話を振ってきても、内心(子供いないし、よくわかんないなあ)などと思って聞いていました。それなのに、いざ子供ができると、息子がかわいいよ!という話を、したくてしたくてしょうがない自分がいます。どう考えても、興味関心もないだろう若者たちに向かって。やれやれですね。

説教する大人なんか大嫌いだったのに、話を聞いてくれる後輩が増えてくると、お酒の席でつい「なんか良いこと」言おうとしている自分に気づいたりすることもあります。穴があったら入りたい気持ちになりますね。

10代の頃を思い出して「あの頃はよかったな、仕事もなくて好きな音楽ばっかり聴いてさ」なんて懐かしむことも増えてきました。けれど、よくよく思い出してみると、学校が終わり塾へ向かう道々、「くそ、こんな制服はやく脱ぎ捨てたい」と、不自由を嘆いたり…も、してたよなあ?なんて我に返ったりするのです。


「思い出が美しいのは過去だから どうぞよろしくお願いします」

という短歌がありましたが(加藤千恵さんのだったと記憶しています。下の句は「付け句」というやつで固定だった)過去というのは基本的に、どんどん美化されていくものなのかもしれません。「美化する」も、「忘れる」と同様に生存本能なのかもしれないけれど。思い当たること、ありませんか?私はあります。昔つきあっていた人のことなんか、もはや別れた理由を忘れるくらい美化され続けていますしね……。


変わる前の自分の気持ちを、少しでも覚えていられたら。


自分はいつまでも自分であって、他人に成り代わることはできないけれど、過去の自分を「別人」として、ストックしておくことはできる。そうすれば、たくさんの人の気持ちを想像できるようになる気がします。「他人の気持ちはわからない、他人は苦手」でも、自分の気持ちや、感じたことなら、まだ信じられますよね。それが何に役立つか?というと難しいんだけど、まず広告とかマーケティングには役立つんでしょうね、谷山さんの文章の趣旨もそこにありました。自分とは全く異なる人に、物を売るのが商売の基本ですから。あとはやっぱり、自分とは立場が異なる・意見が異なる人の気持ちを、想像しやすくなるんじゃないでしょうか。不必要なケンカも防げそうだし、他の人をあったかい目で見られるかもしれません。気持ちのストックが増えると、ずいぶんと生きやすくなるような気がします。


そういえば、小さい頃に、知らない大人がやってきて「わぁーー!ずいぶん大きくなったね!」とかなんとか言うのって、別に嬉しくもなんともなかった。

だって本人としては、そんな急激に大きくなった自覚はないですからね。それに、「大きくなった」は、「かわいい」とか「かしこい」とかに比べて、大して嬉しい誉め言葉でもない気がするし。あえて知らされて嬉しいニュースでもない。「こないだはまだ赤ちゃんだったのに。おばちゃんのこと、覚えてる?」に至っては、「赤ちゃんなんだから、覚えてるわけないだろ!」なんて思っていた気がします。
それなのに、それなのに!やっぱり言ってしまうんですよ、今の私は。久しぶりにあった知り合いの子が、すごくでっかくなっていた時に「大きくなったねーーー!」。あの頃、どうしておばちゃんたちが「大きくなったね!」と言ってくるのか、30年以上たってようやく理解しました。理解できる自分に、変わったわけです。いや、君たち自覚ないかもしれないけど、驚かずにはいられないスピードででかくなってるからさあ。


小さい頃の私だったら、なんと言われたら嬉しいんだっけな。次は、ちょっと考えてから、子供たちに声をかけてみたいなと思います。



*

 

(以前ブログ用に書いて、とっておいた記事を投稿してみました。)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?