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就活を終えた大学生が突然Noteを始めた理由

自己紹介
 私は日本の大学四年生です。一般的な中上流日本人夫婦の間に生まれ、小学校はラチェット&クランクやマリオカートに明け暮れ、坂上がりは出来ないし、かけっこはいつもビリで、中学校は帰宅部同然の卓球部。学校のクラスに一人はいる属性の人間でした。基本的には興味のある事だけ熱中する人間でして、国語英語は大好きでしたが、数学は模試で偏差値30とかとるタイプでした。
 noteを始める理由は幾つかあるのですが、きっかけは今読んでいる山口周さんの書籍を読んだことです。他の理由として、単純に一度モノを書いてみたかったとか、自分の意見のアウトプットの練習とか、そういったこともあるのですが、本稿では山口周さんについてフォーカスしたいと思います。また本稿は二回に分け、今回はまず就職活動を通じて感じてきたことを記します。

就職活動の苦痛 
私は現在大学四年生で、先日就職活動を終えたばかりです。この就職活動が私にとって非常に矛盾に満ちたものであり、企業に採用してもらう過程は困難を極め、苦痛ですらありました。それは、私が「仕事とは人生の最高善を達成する為の手段にすぎない」という価値観を基盤として終始就職活動を行ったことが原因でした。
 
就活の失敗
 就職活動を始め、私は就活界隈で言われている「自分自身をそのまま出すことが採用される為に大事」という文言を信じ、実践しました。この文言を複数のOBOGからきき、なおかつ「君はコミュニケーション能力もあるし、そのままで面接に臨みなさい。」と助言を受けたのです。
 ところが、実際に半年間これまた定石通りに「自分が何をしたいのか?」をトコトン分析し、企業の志望理由に当てはめようとするとどうも当てはまらないのです。自分がしたいことをするにあたって、仕事そのものがどうしても必要になるとはどうしても考えられませんでした。とはいえ収入がなければ食っていけないというジレンマに陥ってしまったのです。加えて、そのままの自然体で面接に臨んだ結果、私の話す時の身振り手振りを、幾つかの企業の面接官は不快に捉えた様でした。
 
就活の終わりと反省
 仕事を通じてやりたい事を実現するのは可能だと考え、就活を続けた結果、運よく某社に採用して頂いたのですが、就活を終えた私の心には反省と疑問の念が渦巻いていました。私が素を出した結果、面接官に失礼と捉えられた点は、ビジネスマナーの研修などで改善可能なハズです。しかし、就職活動を企業のニーズと学生のニーズのマッチングと捉えるならば、自己分析を半年行い、その成果物を伝えたら、ほとんどの企業で渋い顔をされた事には納得がいきませんでした。というのも、私の周りの就職活動を上手い事やっている学生はどうもそこまで自己分析を深く行っている様には見えず、私がやりたい事というのも大半の企業の利益と調和的であり、なんら渋い顔をされるようなものではないと思われたからです。
 
就職活動の衝撃
 そこで、今一度就職活動を首尾よく終わらせた学生に話をきくと、志望理由を企業好みのものに合わせている、という点が共通している様に思われました。「自分自身をそのまま出すことが採用される為に大事」という文言を深く信じていた私は困惑しました。結局、企業は自分自身の企業にその個人がどれだけ貢献できそうか、という度合いを重視しているので、学生側としては自分自身をそのまま出すなんかより企業好みに全てをカスタマイズする事が求められるというわけです。
 考えてみれば当たり前なのですが、市場は働きたい人間以外には非常に排他的です。そして「仕事とは人生の最高善を達成する為の手段にすぎない」という価値観を持った私は、こんなにも素直に「働きたい」人間が多くいる事に衝撃を受けたのです。

未来への不安
働くことである程度やりたい事が満たされるとはいえ、私にとって仕事は生きていくための金銭を最低限確保する色合いが強いモノとなってしまいました。今となっては振り切ってとにかく年収を追求する様な就活をしているべきだったのかも知れないなあ、と思っている時に読んだのが、山口周さんの著作でした。

次回は山口周さんの著作から得た、働くことの位置づけに関する洞察について記したいと思います。

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