ライオット ガール 序章

もしあなたが、旅先で合宿中の実業団ランナーに出会い。しかもそれが、練習中であり。山や海に見とれているあなたの意識の間隙をついて、貴方の脇を一瞬を通り過ぎた場合、全力疾走してると思うことだろう。

もちろん、それは全力疾走などではない。彼らにとっては恒常的に行われる40km走の一場面に過ぎないのだけど、あなたにとっては一瞬の出来事であり40km走を走っている事などは認識できず、彼らの速さは全力疾走にしか見えないはずだ。

彼らは、猛者である。エリートである。箱根駅伝や全日本選手権などに何度も出場した強者たちである。もちろん、そこらの素人ランナーと比べれば天と地ほどの実力差がある。

彼らは青春全て、いや。人生のすべてをかけて走ることに取り組んだ。修行僧のような存在である。そして、社会から隔絶されたような生活をしている。そう、そしてある意味では社会不適合者だ。

もし、箱根駅伝とともに競技を引退し、社会人として歩み始めれば、問題なく新卒の体育会系社会人として大いに期待される存在になったであろう。

しかし、彼らの多くは実業団とは名ばかりでほとんど全ての時間を走ることに費やしている。仕事をさせられるとしても、ごく簡単な作業を数時間だけ作業するような毎日である。

そんな中で10年以上も誰かと競って走り続けていくと人間性を失い始めていく。速さだけがすべての世界で自分の人生のすべてを捧げてしまうと社会との大きな隔たりができてしまうのだ。

労働者ではなく、闘争者になってしまうのだ。そして、いつしか人生の逃走者になってしまう。

彼らの走る速さは常軌を逸している。そして長く険しい、息がまともにできないほど苦しい。酸欠になって目の前が白黒になる。脚の健という健がいつもこわばって張り裂けそうだ。肩が痛い、喉が渇く、割れた爪間から血がにじむ。

そんな彼らの一人である。大日自動車の村岡幸也は今年で31歳だった。箱根駅伝ファンならだれもが知っている名選手だが5年前の膝の手術以降、昔のような走りはできず、大きな大会にもほとんど出場できておらず、いつ引退勧告をうけるのか不安でたまらなかった。

顔は痩せこけており、肌は昔から弱くガサガサしていて、髪もだいぶ薄くなってきていた。彼の顔はまるでナチの強制収容所の囚人だった。

結婚もしていない、友達もいない、次に就職する当てもない。

給料は最盛期には1200万ほど年収で貰っていたが、派手な生活のなかで徐々に貯金を使い果たし、今は400万ほどまで下がってしまっていたが。それでも生活のレベルを落とせずにいた。

彼は、寡黙な男であり、孤独な男だった。陸上競技を始めた頃は夢に満ちていた。希望にあふれていた。どんなに苦しい練習も大きな目標のために頑張ることができた。

しかし、彼が今走る理由は

自分を守るためただそれだけだった。

実業団ランナーとしての自分を失って、社会に放り投げられるのがただ、怖かったのだ。

彼が、必死に何かにしがみつくように野尻湖での40km走を終えて汗にまみれながら水分補給をしているとき。冷たい目をした監督が彼にこうささやいた。

「村岡、もう引退を考えろよ。」

彼のしがみついた現実の前に、当たり前の日常が迫ってきた。

頭のどこかで誰かの声が響いてた。それが何かわからなかった。



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MK

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