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中国人のホスピタリティに触れた

「ホスピタリティ」という言葉を聴いて,あなたなら何を思い浮かべるでしょうか?

僕は,「日本」を思い浮かべていました。おもてなしなら日本は負けないぞ,って。

ですが,2011年に仕事で繋がった中国の弁護士の方を訪ねて,会社の先輩と北京に旅行した時、確信揺らぎました。

その弁護士の方は,とても仕事が忙しくて睡眠も十分に取れていない状況なのにも関わらず,僕らの滞在期間中,ほぼ付きっきりで案内をしてくれました。

空港への送迎に始まり,観光地の紹介,タクシーとの交渉,お土産選び等,勝手の分からない僕らを本当に丁寧に扱ってくださり,不自由なく北京での滞在を楽しむことができました。

最後の夜,火鍋の美味しいお店に連れていってくれたのですが,鍋を囲んで談笑しながらの食事が,もっとも温かい時間でした。

11月の北京は少し寒いので,暖かな火鍋が本当に心に沁みたことを覚えています。

2011年といえば,尖閣諸島問題で両国の緊張が若干高まっていた時期です。

そんな中で,あの温かい火鍋で締めくくられた一連のホスピタリティに触れた僕は,「同じことが日本人にできるか?」と疑問に思いました。

日本人が来客をもてなす場合,機械的になってはいないでしょうか。ホスピタリティが当然になりすぎて,作業のように対応しているような印象があります。

北京で触れたホスピタリティは,決して作業ではなく,人と人との関係に目を向けた,いわば血の通ったものだったような気がしています。

ホスピタリティという言葉の意味を再定義して,血の通ったおもてなしを心掛けたいものです。

※写真は当時の火鍋です。

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