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なぜ日本人は「調和」を大事にするのか?

「調和」を壊したくない日本人 

前回、なぜ日本企業は「仕事」ではなく「人」で評価と給与を変えるのか?という問いに、それは調和を大切にしているからだ(だから人を見る職能等級が普及したのだ)と答えました。

今回は、なぜ日本人は調和を大事にするのか?を考えてみましょう。

日本人の特徴を示す面白い話があります。心理学者の河合隼雄が『ユング心理学と仏教(2010/1/16,岩波書店)』の中で書いた、日本人とアメリカ人のスピーチの違いです。

アメリカ人はスピーチをジョークからはじめるが、日本人はスピーチを弁解からはじめるというのです。「高いところから、失礼いたします」

日本人は何かで集まると、ある種の一体感を共有します。その中で誰かがスピーカーになると、その人は他の人々から区別されることについて弁解しなければなりません。誰であれ、他の人から離れて一人立ちしてはならないのです。

しかし西洋では、一堂に会していたとしても、それぞれが他とは異なる個人であることが前提です。従って何かジョークを言って笑いを共有することで一体感を得る必要があります。

このような異なる態度は、日本人と西洋人の自我意識の差を明らかにしています。西洋では、最初になすべきことは、他と分離した自我を確立することです。このような自我が所を得た後に、他との関係をはかろうとします。これに対して、日本人はまず一体感を確立し、その一体感を基にしながら、他との分離や区別をはかります。(『ユング心理学と仏教』p15)

その日本人の意識は、本人が自覚しているかいないかに関わらず、仏教に大きく影響されている、と河合隼雄は言います。

森林の思想「仏教」の影響

知の巨人、松岡正剛は『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義(2006/12/25,春秋社)』の中で、西洋と東洋の違いを「砂漠の思想」と「森林の思想」として説明しています。

西洋で発祥したユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教は、唯一絶対の神を信じる一神教です。これらが生まれたのはいずれも砂漠の風土でした。

過酷な砂漠の環境ではちょっとした判断ミスで命を落とします。西に行けばオアシスがあるが東へ行けば砂漠が続き、死が待っている。神もリーダーも1人でよく、大人数で迷っていては判断が狂います。二者択一の二分法合理的で明確な判断がその特徴です。

一方で仏教などの東洋の宗教は、インドや中国や日本の湿潤気候で生まれた森林の思想です。森林では判断を間違えてもすぐに死ぬことはありません。そして多様な情報が待ち構えています。東には川が、北には猛獣が、西にはキノコが、南には薬草がある。こういう風土ではじっくり思考し様々な選択肢に思いを巡らせることが大切です。

釈迦は座って瞑想することで悟りましたが、砂漠でこれをやっていたら乾いて死んでしまったことでしょう。森林の思考では、様々な専門知識を持った神や仏が互いに調和していく多神教(多神多仏)が生まれました。判断ではなく調和を大切にする文化はここからきていると思われます。

そろそろ「なぜ日本人は調和を大事にするのか?」という問いに答えましょう。それは森林の宗教、仏教の影響を知らず知らずに受けているから、です。

松岡正剛はレヴィ=ストロースの言葉を借りて「西洋の知、資本主義の視点だけで世界を見るな」「なぜなら西洋的な思考には修繕能力(ブリコラージュの能力、すなわち編集能力)がないからだ」と言い、仏教のような編集的な思考がこれから重要になると主張しています。

たしかに西洋の成功者の多くは仏教から影響を受けています。スティーブン・ジョブズは禅の瞑想を重んじました。マーケティングの大家フィリップ・コトラーは次のマーケティングは禅の円相であると言っています。U理論のオットー・シャーマーたちにも仏教の影響が色濃く見えます。

これから日本企業の特徴が活かせる時代がくるのかも知れません。


このnoteは拙著『人材マネジメントの壺 テーマ2.等級』から一部抜粋して再編集したものです。ぜひ本編もご覧ください(^^)b




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