小説「施設からの風」(9)

 大山さん(架空の人物、(1)を参照)の日記の公開です。認知症に関する書籍を読まれ、読後の感想などを書かれたようです。

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2024年2月29日

 今日は2月29日。そうか、今年はうるう年だったか。それでも2月はやはり短い月だ。明日からはもう3月かと思うと、月日の経つことの早さを感じる。それどころか、自分の人生八十余年ですらあっという間だったかもしれないと思うこともある。一方で、施設の一日一日の時間がゆっくりと過ぎていく感じはなんなのだろうか。時間というものの不思議さを感じる。

 さて、人間の脳はその人そのものであり、その人の人格、さらには人生にも大きく関わってくる、そんな思いでここ何回か日記を書いてきた。正直、いろいろな思いがめぐってきた。それでも、やはり脳の働きを抜きには語れないのは間違いないところだと思う。
 そして、その脳の機能に大きく影響するのが認知症である。認知症によって、自分が、人格が変わってしまうかもしれないわけで、それで認知症のことをもっと知りたいと思ってきた。そして関連する書籍を探し、ひととおり読み終えたところだ。
 著者は長谷川和夫先生という認知症の専門医、というかいわゆる第一人者の方のようだ。2017年に自らが認知症であることを公表された。1929年のお生まれのようなので、88歳の時ということになる。そして「認知症でも心は豊かに生きている」「ボクはやっと認知症のことがわかった」の著作を発表され、2021年に92歳で亡くなられている。
 ご自身が認知症になられてから発表された本である。本を出されるにあたってまわりの支援は相当あったとは思う。それでも、認知症であるご自身がご自身の言葉で書かれていることは極めて説得力が高い。そして、著書でも書かれているが、調子の波があるようである。ある程度認知症が進んでも、普通の状態とかわらないような時もあるとのこと。ひょっとしたら、そういう普通の状態の時に集中して仕事をされたのかもしれない。

 著書に「認知症でも心は豊かに生きている」と題名がつけられているが、著者の思いが伝わってくるようである。著書の中に、認知症が進行しても別人になってしまうわけではない、人間の生は連続している、私は私のままであり続ける、人は連続した人格を保っている、というような言葉が出てくる。これは心強いかぎりである。
 それから、右脳の働きが相対的に高まり、感性の働きは健在であり、絵画や音楽といった芸術が心を落ち着かせてくれる、というようなことも書いている。認知症は左脳の方の機能が低下し、日常生活などの障害が出てくるが、一方で右脳により芸術的なものにより心から感動できるようになるのだろうか。
 あと、認知症になると時間の感覚がなくなるとのことだ。そして、さらには場所の感覚が無くなっていくようだ。時間の感覚がなくなるというのはなかなか理解しにくいが、過去の記憶がなくなるため、その時その時の今だけを見て生きていくことになるようだ。正直そういう感覚は実際に自分でなってみないとわからないかもしれない。とはいえ過去の記憶が完全に無くなるわけではないし、それなりに残った記憶とまさに現在の記憶とを重ねて「今、ここ」を生きるようになっていくと書かれている。
 一方で、認知症によって失うものにも触れられている。医師としてみられていた患者さんのひとりがピアノとかの演奏や音楽の創作的な仕事に関わられていたのだが、メロディーがない、メロディーがごっちゃになる、和音がない、と相当苦悩されていたということを後でご家族から知らされたそうだ。もっとも、この方は若年性アルツハイマーの方で、まだまだ仕事バリバリの年齢でこういう状況になられたので、すでに老齢の私とはだいぶ状況が異なるのだが、いずれにしても、高度の脳の機能はやはり失われてしまうし、それはやむを得ないようだ。

 書籍の内容をまとめるとだいたいこんなところだろうか。歳を重ね、自分として生きつづけ、そして自分の生を終える、それは、仮に認知症になっても変わらないということなのだろうか。少なくともこの先生はそういうメッセージを残され、亡くなられたと思う。
 また日をあらためて読み返し、思索にふけってみようと思う。今日は、これで休むことにする。

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