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【1】「許す」ことと「諦める」ことは違う。

最近、自分の中で大変根深い問題だった、「母を許せない」という問題と、「夫を許せない」という問題が、それぞれ小さいことかも知れないけれど、ひとつずつ解けた。

まずは、「夫を許せない」問題についての、事の顛末。

私は結婚前に義母に初めて会った時、「ああ、この人とは決定的に合わない」ということを理解していたけど、紆余曲折あって結婚する少し前に私が折れる形で義実家に同居を始め、そのまま入籍した。

私は精神疾患持ちで、生まれつき身体が弱いところに乳がん患者として闘病していたこともあり、普通の30代女性と比べても、日常の最低限以下の生活を一生懸命することが、私の限界だった。

義母は、精神疾患を認めないタイプの人で、結婚前に主治医のところにわざわざ一緒に来て、病気の状態と「生活習慣病のように、長い目で付き合っていかなければならない」という説明を聞いた。

更に私に直接、私の病気がどういうものかということを聞いたにも拘らず、「あんたは笑ってるから病気じゃない」とか「あんたの病気のひとは家に閉じこもって、家事も何も出来ない」と、インターネットで拾ってきた浅ーい知識を、さも自分が体験したかのようにひけらかして、「がんばりが足りないから病気になった気持ちになってるだけだ」と言った。

……普通の人はどうなのか知らないけど、「嫁ぐ」ということは、それまで慈しんで育んでくれた両親や家族とは一線を画して、「○○(旧姓の本名)」という名前のひとりの人間の存在まで消して、「□□(婚家の姓の本名)」という人間として、新たに人生を創っていくものだと思っている。

だから、夫と結婚する時に「同居して欲しい」と言われて、同居1日目に義母に義実家で会った時、「私の帰る家は、今日からここ以外にありません」と言った。

「嫁ぐ」ということは、そういうことだと思っているから。

その時の義母の反応は、「そんな(嘲笑)」というものだった。

翌日から、壮絶な「嫁いびり」という名のモラハラが始まった。

毎日、針の筵に座って、でもいつだって逃げ出せたけど、夫の側に居たくて逃げ出さないでいた。

逃げだしたら、夫には二度と会えないことを知ってたから。

だから、自分に異常が出始めたことにも気付かず、知り合いが「それ幻聴だよ! 主治医に言わないとダメだよ!」と指摘してくれるまで、「寝る前に目を閉じると、耳元で義母と義姉が怒鳴っている声が聞こえる」という状態を、「幻聴」なんだとは、知らなかった。

その頃には、夫も自分の家族と私の間に立つことに疲れ切っていて、追い詰められていて、ある日、私を絶望に突き落とす「ある一言」を言った。

「私をこの地獄の底に置いておけるのか」と思った。

「私ひとりを針の筵に置いていけるのか」と思った。

それから、夫のことを信頼しきれなくなった。

夫のことが大好きで、夫の心をつまようじ一本分でも支えられるようになれたらいいと思って、結婚した。

私は、つまようじ一本にも満たなかったんだと、思った。

もう記憶も消してしまったくらいに辛かった時期なので、それからどのくらい経ってるのか、はっきりは分からない。

夫と私は、義母に追い出される形で義実家から離れ、挙式したその日から新居に引っ越し、今はふたりとインコちゃんとで暮らしている。

先日、夫が仕事に着圧ソックスを履いて行っているので、その穴をかがっていた。

その時にふと、「あの時の夫は、あの一言しか出て来ないくらいに追い詰められていたのではないか」「私のことを置いてとか、そういうことも考えられないくらいになっていたのではないか」と、妙に客観的に考えられるようになっていることに、気付いた。

そして、「絶対に許せない」と思っていたその夫の「あの一言」を、「許せる」と思った。

「許せる」と思った瞬間に、それまでガチガチに強張っていた身体が急に緩んだかのように、力が抜けたみたいになった。

私が、「許せないと思っている自分のことを許せない」と感じて、自分自身も辛かったことに、ようやく思い至った。

私がいる「スピリチュアル」界では、よく「許し」という言葉が出て来るけれど、その意味と絶大な効果を、身をもって感じることが出来た。

勿論、そのことを夫に伝えた。

夫がどう思ったのかは知らない。

ただ、私の中では「大好きだから許したいのに許せないのが辛い、苦しい」だったので、気持ちにふたをするのでなく、ゆっくりと時間をかけて段階を踏んで「許し」たことは、大きな意味があったと思う。

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