見出し画像

あなたの研究、役に立つの?

半年前に下書きだけして途中で辞めていた記事を、あることをきっかけに書き終わりたいと思った。

彼女の母親に初めて会った時のことだ。

中学校の教師をしている彼女の母親に、少しだけ緊張していた僕はこう聞かれた。

『あなたの研究、どう世の中の役に立つの?』

どのような分野であれ、おそらく研究者や研究者を志すものなら、必ず一度は誰かからこの質問を喰らったことがあるはずだ。

留学しているとよくあることだと思うのだが、自己紹介をする時に、お互いの専攻を添えることが多い。当時、修士課程を初めて1年経ったくらいの頃、初対面の人には、自分は心理学の研究をしている、と話すことが多かった。

あれからもう3年近く経ち、現在、僕は米国の博士課程に進んで、研究者としての本格的な道を歩み始めようとしている。そして、少しだけ研究・学術業界に携わってきた経験から、次第に次のような確信を持ち始めるようになった。

『それって役に立つの?』的なマインドセットは、科学界だけでなく幅広い範囲において、日本を停滞させている悪しき習慣だ。

そしてこの思いを、もっとセンセーショナルな形で世間により多く広めてくれたのが、オートファジーの研究でノーベル賞を受賞した東京工業大学の大隅良典教授だ。

「役に立つかどうかで科学を捉えると社会はダメになる」(大隈栄誉教授)
「科学は人類の長い営みの上に成り立つもの。私も一人の研究者として、この歴史的な活動を少し嵩上げできればいいと思っています。今は研究が『すぐに役に立つか』という基準で語られることが多い。社会や若い人もそうですね。オートファジーがきちんと解明されるまでには、あと50年はかかるかもしれません。でも私自身はもう研究をやめていいなという気にはなりません」(大隅栄誉教授)

彼のインタビューを見れば、僕が書こうとしていることは一発で表現されている。

『あなたの研究、役に立つの?』という素朴な疑問は、研究という行為についての根本的な誤解から来るように思う。研究者というと、1日中実験室に篭り、普通の人なら興味のないような事柄について、実験や失敗を繰り返す〜という姿を想像するだろう。

彼女の母親にとっては、大事な娘の結婚相手になるかもしれない相手がこのような一般社会から受け入れられないような事を社会人にもなってまでやっているというのは、不安が募るのも当然だろう。

しかし、物事や知識が役に立つかどうかなんて、すぐに分かるものでもないし、自分の知り得ない経路で実は役に立っているなんてことも良くある。ましてや専門知識のない人にとって、小難しい内容の研究の意義などはすぐには到底分からないだろう。

もちろん、研究者として自分の研究を世間にわかりやすい形で広めなければいけないのだが、日本社会では研究の意義があまりにも認知されてなさすぎるし、研究者に対してあまりにも寛容でないように思える。

ジェレッド・ダイアモンドが、有名なベストセラー「文庫 銃・病原菌・鉄」の中でも指摘している通り、エジソンが発明した蓄音機などの歴史上の革命的な発明は実は「純粋な知的好奇心・探究心」から生まれたものであり、発明する前に使用意図が事前に明確であったものはほとんどないと言う。物事の本当の価値は、生み出されてから後付けで加えられることが多いのだ。そしてこのような人類の文明を変えてきたような発明の多くは西洋で見られ、日本を含めた東洋ではあまり見られないと彼は指摘している。

これからの日本も、目先の利益や世間の意義などは考えず、目の前にある問題について追求する事を応援してくれる社会になって欲しいと思う。

それから間もなく、その彼女と別れてしまったことは言うまでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?