見出し画像

「岡本太郎」を受け取る

金澤 でも厳しいです。エネルギーが要りますね。私たちにそんな力はあるのでしょうか。 ーーー 岡本 あるとも! 誰だって生きるエネルギーを有り余るほど持っている! きれいに描こうなどという、どうでもいいことにエネルギーを使っているから足りなくなるんだ。

作品論から始まり、終盤は生きる姿勢みたいな話。

熊本市現代美術館で2003年に行われた展覧会「岡本太郎 絶対の孤独」。キュレーターは南嶌宏(当時学芸課長)、私はアシスタントキュレーターとして企画に携わった。この展覧会カタログでは、南嶌さんから当時の五人の学芸員に岡本太郎への架空インタビューを書くようにと指示があった。私たちは岡本太郎の書籍と関連書を片っ端から読み込み、岡本太郎を自分に憑依させてインタビューを書き上げた。故人の言葉を創作するわけだから、いわば大それた試みだったが、まだご存命だった岡本敏子さんがこの5本のインタビューを読んで、絶賛してくれたのだった。

それが嬉しかったのは、岡本太郎の伴侶がお墨付きをくれたから、ではなく、岡本太郎の著書はすべて敏子さんが聞き書きして著したものだったからだ。彼女も私たちも、同じ「岡本太郎」を書き残す作業に従事したわけだ。このこと自体、太郎・敏子という精神の寛容さと創造性を感じさせる。

2003年当時、私はこの3年前まで大学院でやっていた漫画研究を強く意識していた。社会にはまだ漫画の読者人口が多く、一方で美術館で漫画を取り上げる動きはごく一部にとどまっていた。一年で数十もの漫画関連展示がある2019年現在の状況からすると隔世の感がある。この変化を念頭に置いておいてほしい。

ーー

「岡本太郎」を受け取る

岡本太郎 聞き手:金澤韻

金澤 はじめまして。マンガの担当をしている金澤と申します。

岡本 へえ、マンガの担当かい。美術館でマンガとはめずらしいな。

金澤 はあ、まあそればかりやっているわけではないんですけどね。開館の時から、ここ、この場所、ホームギャラリーっていうんですけど、あそこ(書棚の一角)にマンガの小さな研究所を設立して(笑)、その展示スペースでミニ企画展を行っているんですよ。今回の岡本太郎展の期間中は、「ギャグマンガ特集」を組みます。ぜひご覧になっていってください。岡本さんは何か好きなマンガがありますか?

岡本 マンガは読まない。あんまり興味がない。べつに、否定しているわけでもなく、蔑視も区別もしていないが。

マンガ、岡本一平について

金澤 マンガに関する子供の頃の記憶というのはありますか。

岡本 親父がマンガを描いていたろう。今は考えられないかもしれないが、昔はマンガ家の社会的地位は低くてね、子供の頃僕はずいぶんまわりの子供から、からかわれたり、いじめられたりしたこともあったんだ。「珍助絵物語」っていう子供マンガを一平が描いて、その時も「ちんすけ、ちんすけ」ってあだ名をつけられて(笑)。まあ子供同士だからな、許してやろう。それにしても、最近の若い人たちはマンガをよく読むな。東大の都市工学で何年か教えたことがあるんだが、都市工学の学生がみんなマンガを読んでる。本当にマンガばっかり読んでるんだ。

金澤 岡本さん。『今日の芸術』で「近ごろの若い者は・・・」みたいな、そういう老人的発言をいましめていたじゃないですか。ほら、ここ・・・「自分では正直に良心的に、むしろきわめて好意的に判断しているつもりでも、新しくおこってきたものが危険に見えてしかたがないものです。ところで、それが問題です」って。「新しいものには、新しい価値基準があるのです」って、岡本さんご自身がおっしゃってますね(笑)。

岡本 ハハハ、そうか。

金澤 今はマンガって、小さな子供向けとか政治風刺のものだけじゃなくて幅広いんですよ。それこそ、「新しい価値基準」を持った新しい芸術で。海外でも、駅の売店で買えるんですよ。各国語に訳されていて。

岡本 たしかに、今のマンガは違うようだな。

金澤 ええ、今、日本では現代文化の中でマンガは大きな存在になってきていますが、岡本さんが生きた時代はマンガに対する言説というのもまだそんなに成熟していなかったですね。ぜひ一度読んでくださいよ。『天才バカボン』とか。感想をうかがいたいものです。

岡本 でも見る時間がないからな。まあ、もう、「この頃の若い人はマンガばかり読んで・・・」と言うのはやめるよ。マンガ以外の読書は必要だと思うが。ところで、この美術館には岡本一平の本は入っているのかな。

金澤 一平全集の復刻版ですが。あります。岡本さんは一平さんのマンガから、芸術上の影響を受けたということはあるんでしょうか。

岡本 ないね。一平と僕とはそれぞれ別の人間であって、完全な他人なんだ。父だから影響を受けたということはまったくない。人はよく、親が絵を描いているから息子も絵の才能があるとか、くだらないことを言いはじめるが、そういう考え方をむしろ僕は軽蔑している。その人間がどんな仕事をするかは、そのとき、そのときの決意、覚悟の強さによるのであって、決して親から受け継いだ才能なんかじゃない。

金澤 確かに、岡本一平のあのよさは、マンガ家の中でさえ誰にも似ていないし誰にも受け継がれていないような気がします。作風に還元されない、真似できない魅力のような。

岡本 芸術ってのは、そうあるべきだろう。そういう意味では親父はなかなかいい仕事をしていると思う。

作品中のマンガ的な記号と「黒」

金澤 一平さんの影響、という話ではないのですが、岡本さんの絵画には、マンガのキャラクターのような造形が現れますよね。

岡本 それはどれを指して言ってる?

金澤 たとえば、《森の掟》の中には、真ん中の・・・これ、動物ですかね?背中にファスナーがありますけど・・・あと、ネコとか・・・。・・・というかですね、マンガ的な記号が出てくるんですよ、岡本さんの絵の中に。

岡本 マンガ的な記号ね。

金澤 あの、岡本さんの作品の中にはよく「顔」が表現されますね。その顔、もっと言えば目、鼻、口が非常にはっきりとした線で、迷いなく単純に描かれていて。これは笑っているとか怒っているとか読み取れる、記号としての目、鼻、口なんですよね。これをマンガ的と言っては失礼でしょうか。

岡本 と、いうより、マンガが僕のマネをしているんだな。昔、マンガを描いていた連中は自分たちの描いたマンガに猛烈にコンプレックスを持っていたんだ。社会的に、芸術として劣るものだとかいう意識があった。僕はそんなのはおかしいと思った。僕は僕の描きたいものをどんどん描いていったし、それが今まであった伝統的な、あるいは素晴らしいと思われた絵画と比べてどんなに異様であったとしても、そんなことはおかまいなしだ。マンガ家の連中も、途中でそれに気が付いたんだろう、「本画がなんだ、マンガも立派な芸術だ」って。

金澤 それでは岡本さんは、人間、描きたいものを描くと、マンガのような造形が現れるとお考えなのでしょうか。

岡本 いや、そういうことではないが、少なくとも、僕は「こういうもの」を表現したいと思ったときに、それを具体化しようとすると、あれらの造形が浮かんでくる。それだけだ。君もまさか僕が意識的にマンガをマネして絵を描いていたとは、思っていないんだろう。

金澤 はい。それは思っていないんですが、なぜだろうと思って。偶然の一致なんでしょうか。

岡本 僕の作品はね、作品であって作品ではないんだ。僕にとっては衝動を表現するということが問題なのであって、結果は僕の知ったことじゃない。芸術ってのはそこに見えるキャンバスの上の模様じゃなくて、つまりそういうエモーションの問題だけだと思う。だからあそこには、僕の美意識が反映されているというよりは、僕の生命を確かめるための僕自身の闘いの記録が刻まれている。君たちが僕の作品を見て感じるのは、「美」というよりもむしろ、人間が生きているというエネルギーなんだ。

金澤 岡本さんの表現を正面きって論じた文章が、これまで少なかったのは、岡本さんの作品に何が描かれているかが問題ではなくて、そこから見る者が受け取る感動のほうが大切であるからなんですね。

岡本 まあ、僕自身が描かれたものに意味はないと言ってきたので、誰もがそれをそのまま受け取って論じなかったんだろうな。

金澤 表現そのものより、表現を通して見える岡本さんの姿を見るというのは、岡本さんと同時代を生きた人にはわりと容易にできることだと思うんですが、私くらいの年代になると、自然と岡本さんにシンクロするっていうのはじつは難しいんです。そこにあるのは、作品だけですから。本を読むという手はありますが・・・。

岡本 僕にとっては、作品に描かれたものはあまり意味がないが、僕が闘った相手や闘った様子を想像する手がかりとしては役立つんじゃないか。

金澤 はい。そういう意味で、岡本さんの作品に使われた色や造形について、私は非常に興味があるんです。たとえば、油彩の常識としては、黒をそのまま使うのはよくないとされていますよね。

岡本 そうだ。油彩で黒を使ってはいけない理由というのは、何のことはない、生々しすぎて絵の中の雰囲気をぶち壊してしまうからだ。僕はかえってそんな雰囲気をぶち壊すために黒を多用した。黒というのは、強い強い色だ。どこまでも主張し、こちらへ張り出してくるかと思えば、それでいて、なにもない、虚無でもある。黒でモチーフの輪郭をハッキリと出し、空間を切り裂き、あの和やかな風景画にあるような雰囲気と決別しているんだ。

金澤 それは記号的な造形も、同じですね。

岡本 うん、つまりモチーフは、現実のものとして描かれてはならない。それは画面の中であくまで他と切り離された一個の存在として主張しなければならない。そうしたら、境界線はモチーフを完全に取り囲んで閉じることになるんだ。モチーフの、画面の中での調和、他との連続性を分断することこそ、僕が挑み続けた表現なのかもしれない。

金澤 それでいてモチーフそれぞれの描き込みが丁寧なんですよね。だからますます立体性と平面性の対立が深まっているようです。そこに描き出された空間は、一種異様な空間になっています。

岡本 僕はいつでも新しい空間を見てみたいと思うんだ。それは、ここでもない、そして僕の頭の中にある場所でもない、ずっと闘い続けてやっとたどりつけるような場所なんだ。

金澤 マンガの絵というのも、客観的に見ればかなりグロテスクで、岡本さんの言葉をお借りすれば「いやったらしい」ですが、岡本さんの絵画にある「いやったらしさ」も、はっきりと引かれた境界線が関係しているのかもしれませんね。

岡本 まあ、それは結果論だ。とにかく僕は効果を考えて絵を描いたことはないし、線なんか出てきてしまったものはしょうがないと思う。マンガに見えるというならそれはそれでいい。見る人の勝手なんだから。

岡本太郎を知らない世代のために

金澤 ただ、先ほどの話にも出ましたが、岡本さんをよく知らない私たち世代は、勝手に見ろと言われて作品を見るだけでは、何をどう見ていいのか、ほんとうに困ってしまうと思うんです。少なくとも、私はかなり戸惑いを感じてきました。中学生くらいの頃に、父にすすめられて『今日の芸術』を読んだのですが、やはりその印象は同じです。岡本さんは『今日の芸術』で「今日の芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」と言っていますよね。実は、私はこの言葉の意味がさっぱりわからなかったんです。もうほんとうに「ええっ」というかんじで。「じゃあ、いったい何を描けばいいの?」と。描くものがなくなっちゃうんじゃないかと。

岡本 いいところに気がついたな。そのとおりだ。『今日の芸術』にも書いていることだが、いざ、「自由に描いていいよ」と言われると、ふつうはぐっとつまってしまう。人によっては脂汗が出てきて、なんともいたたまれない時間が刻々と過ぎて・・・。

金澤 そうなんですよ。

岡本 子供は無邪気なようでいて、中には猛烈に敏感な子供もいる。そんな子供はなにより大人がどう思うかを先に考えてしまうんだ。これはなにも、子供だけの話じゃない。大人の方が、よっぽど他人の目を気にしてなんにもできなくなってしまっているからね。でも実は、この他人の目というのは、ほんとうは他人の目ではなくて、自分の目なんだ。誰も見ちゃいないのに、気にしてしまう。それは長い間、いろいろな絵画作品なんかを見て、自分の心の中に知らず知らずのうちに「美」という概念ができあがってしまっているから、その概念に照らし合わせてしまうんだ。僕は、その概念と断固闘うべきだと思う。

金澤 闘う、とは具体的にはどういうことでしょう。

岡本 芸術というのは、自分が思っているとおりのものに仕上げるものではない。自分が思ってもみなかったものを作り出すのが芸術なんだ。誰もが知っているような「美しさ」を描いても、それは芸術とはいえない。「自分が表現したいものは何だ」と自分自身に問いかけながら、いいとも思えない自分の絵と格闘して、何かをつかみとっていく。そうやって闘うことが重要であって、絵がまずいかまずくないかはとにかく絶対にどうでもいいことなんだ。

金澤 でも厳しいです。エネルギーが要りますね。私たちにそんな力はあるのでしょうか。

岡本 あるとも! 誰だって生きるエネルギーを有り余るほど持っている! きれいに描こうなどという、どうでもいいことにエネルギーを使っているから足りなくなるんだ。むしろ嫌われるような絵を描くべきなんだ。それがさっきの「今日の芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」の意味だ。

金澤 なるほど。逆説的な言葉だったのですね。説明していただいてやっと合点がゆきました。

岡本 説明なんて必要なく、わかってくれると思っていたんだがなあ。

金澤 いや、私のものごころついた時にはすでに、岡本さんは芸術家として権威があったんですよ。いろんな大人が「岡本太郎はすごい」とほめていて。でも私は岡本さんと時代を共有していなかったので、まるでなぞときのようでした。この絵のどこがいいのか? と。わからなければ自分は見る目がないのかと思って、すごく困りました。

岡本 そんなんじゃだめだ。だいたい、大人の言うことなんか聞くやつがあるか。絵を見て、嫌いだと思ったらとことん嫌わないとだめだ。他人がいいって言ってるから、いいのかもしれないと思うだなんて、本当にばかげているし、自分自身に対して無責任だ。

金澤 じゃあ、岡本さんはご自分の作品が誤解を受けたまま、嫌われてしまってもなんとも思わない。

岡本 なんとも思わないね。最初から嫌われるようにやっているからな。自分の作品が好かれるかどうかを気にしはじめたら、それは芸術家として終わりなんだ。

金澤 そんな中で岡本さんの作品を好きという人々の存在は、岡本さんにとって何なのでしょう。救いですか?

岡本 一瞬うれしいが、やっぱり意味がないね。好かれようが好かれまいが、僕は僕のやりたいことをやるだけだ。とにかく、僕が言いたいのは、やりたいことをつきとおせ、好きなことをつきとおせ、嫌いな芸術家は嫌いだとつきとおせ。その態度をもってしか、本当のことはわからない。本当に生きたとは言えないんだ。

金澤 岡本さんは、ご自分の身をもって、周囲にはっきりとした態度を迫ったんですね。

岡本 厳しいぶつかりあいこそが、つまらない世の中を変えるんだ。君も僕がさびしいんじゃないかとか、そんな余計なことを心配していないで、自分のことを頑張るんだな。世界中にマンガのファンをもっと増やすんだろう?(笑)

金澤 はい。ありがとうございます(笑)。頑張ります。


(初出:「岡本太郎 絶対の孤独」熊本市現代美術館、2003年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?