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中学生の僕が「小さな島」へ移住した理由。

中学生になったとき。
親から、一通の手紙を渡された。

その手紙には「山村留学しよう」という文字が。
山村留学って何だろう。

好奇心が旺盛だったぼくは、
詳しく話をきいてみるために、
すぐに鹿児島の小さな離島を訪れた。

自宅から約1日かけて、
やっと島に着いた。

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そこでは、
沢山の人たちが出迎えてくれた。

学校に案内されたが、
昭和に建てられた年季が入った
校舎がたたずんでいた。

校長から、
山村留学の説明を受けた。

聞けば、山村留学とは、
かんたんに言うと「親元を離れて島で暮らし、島の学校に通うこと」らしい。

その頃、親との関係は最悪。
超絶、反抗期だったぼくは、
さっさと家を出たいという思いがあった。
だから、すぐに決断した。
「島に移り住みます。」とね。

幼い頃から、
農作業が好きだったし、
市村自然塾という、
農業を学ぶ塾にも通っていた経験があった。

また、自然も好きで、
自然の中で暮らしてみたいという
願望もあった。

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決断した1ヶ月後には、
島へ移住していた。

島は、人口80人弱の小さな村。
村は、みんな顔見知り。

困ったら頼れるお兄さん、
お姉さん、おじさん、おばさん。

血は繋がってないけれど、
島の人は、
ぼくを家族のように迎え入れてくれた。

島のライフは、最高だった!

授業も特殊で、中学2年生の頃は、
中学2年の代がぼく一人だったため、
ほとんどマンツーマン状態だった。

また、学校にプールがないため、
水泳の授業は海で行われる。

遠足も行く場所がないため、
「釣り遠足」&「船の遊覧」が
恒例行事になっていた。

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親元を離れての生活は、
意外にも快適だった。

まぁ、ときどき実家が恋しくなることはあるんだけれども...。

そんなときは、
年下の子とギターを持って、
島のヘリポートに向かい歌っていた。

今思えば、
それが学生時代の
一番の青春だったかもしれない。

そして、あっという間に2年間の島生活を終えた。

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英語大嫌いのぼくに、英検3級を取らせてくれた新任の先生。

ぼくが友達に、冗談で「死ね」と言ったら、泣きながら「そんなこと言わないでください」と叱ってくれた先生。

理科の実験で、使い方を誤って、実験器具を森の中に吹っ飛ばしてしまったのに、怒らずにいてくれた先生。

1時間を雑談で終えて「意味ある話だったから、いいよ」と言ってくれた先生。


ほんとうに良い先生だったな。
学校の仲間も、島の人も。
みんな仲間、楽しかった。

島にきて、よかった。
島のみんな、ありがとう。


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