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一流のブランド・・・エルメス

なぜエルメスが一流なのか、なぜ高価なのか?それをきちんと説明できる人は少ないと思う。

最初に伝えてしまうとエルメスは確かに高いです、でもそれを越える喜びと満足感を与えてくれます!それを少しでも多くの方に知ってもらいたく執筆していきたいと思いました。これは後のエルメスの株購入するきっかけにもなると思います。

エルメスというブランドは、創業者のティエリー・エルメスから5代目のジャン=ルイ・デュマまでエルメス一族によって経営が行われ、2006年からは、パトリック・トーマスが務めましたが、またジャン・ルイ・デュマの甥にあたるアクセル・デュマがCEOを務めています。。エルメスは160年以上も続いている老舗なのです。


初代エルメス逸話

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(出典:http://www.maisonhermes.jp/)

エルメスの始まりは1837年。
この時代は唯一の交通手段として馬が用いられていて、今の車のようなステータスシンボルとなっていた馬車なので、車輪の数や馬の数、それを装飾するための馬具というのが大変珍重されていました。

創業者のティエリー・エルメスは、馬の鞍とハーネス職人として、この時代の中でパリのランパール通りに工房をかまえ、エルメスというブランドがスタートしました。エルメスのブランドの根底は、やはりクオリティなのです・・・

ティエリーの作る馬具はとても機能性が高く、馬が痛がらないと有名でした。しかもオシャレで「エルメスの鞍をつける馬は持ち主よりもお洒落だ」と揶揄されるほど人気を博していったそうです。

ナポレオン3世の時代にはエルメスは皇帝御用達の馬具職人となり、また万国博覧会で出品した鞍が銀賞を獲得。ティエリーは銀賞では満足せず、その後優勝できるよう後世の職人育成に精を出したといいます。エルメスは最高峰の馬具を取り扱うブランドとして知名度を高めていきました。

二代目エルメス

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(出典:http://www.maisonhermes.jp/)

そして現在のエルメス本店があるフォーブル・サントレノ24番地に場所を移し、製造、卸から小売まで行う現在のブランドとしての体をなしていきました。この時どうしても資金が足りず、奥様が実家が残したお金を提供したことで実現したといいます。やはり昔から成功者を陰から支える妻というのはいたのです。

しかし、時代は流れ、自動車の登場でエルメスを苦境に追い詰めていきます。エルメスだけではなく、馬具工房そのものが存亡の危機に貧してしまったのです。。。

三代目エルメス

私はエルメス経営者の中でも3代目エミール・モーリス・エルメスを最も尊敬します。なぜなら経営手腕が素晴らしく、アイデアマンだったから。馬具製造で培ったエルメスのエスプリを残しながらも、大きくファション分野へとかじを切りました。国外のいまだ馬具の需要があるロシアや南米、日本などの国へフランスの最高級の馬具を輸出する一方で、フランス国内ではファッション分野への進出を開始したのです。

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(出典:http://www.maisonhermes.jp/)

現在ではエルメスの3本柱の一つとなっている革製品ですが、この時代にエルメスの最初のバッグである「サック・オータクロア」が発表されます。旅行で気軽に持って行けるというコンセプトだったそうで、皆さんがよく知るバーキンよりも歴史が長いのです。

馬具が主たる品だったエルメスがバッグを作ったというのは、斬新で反対の声があったに違いありません。

実は三代目の時、エルメスは兄弟経営でした。エミールがバッグを作ると言いいだした時、職人気質の兄は猛反対だったそう。結果店にあった商品を全て叩き売りし、資金を半分残し消えてしまったそうです。エミールは残った職人を集め新たなエルメスを出発。私が尊敬するところはその行動だ。時代に残るために常に変え続け、進化していかねばならない。経営者として最も大切なことを熟知していたのです。

エミールの手腕によりファッション業界への進出においても職人の高い技術による品質の高さや手作りによる希少性、そこから生み出される最高級のイメージは損なわないように、馬具特有の技術を使ってブランドを確立していく。まさに革新だと思います・・・

こうして生み出されたバッグや財布、ベルトなどの革製品はコットン主体だった女性のファッション文化に大きなイノベーションを起こしました・・・

実は現在当たり前に使わている「ファスナー」もエルメスが広めたもので、エミールが視察中に旅人の話を聞いて考案したもの。皆さん周知のボリードです。

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(出典:http://www.maisonhermes.jp/)

エミールの時代は非常に順調にエルメスというブランドの現代の基礎を築いていった。しかし、1929年の世界恐慌とその後に始まった第2次世界大戦でエルメスは経営の危機に直面します。この時、職人たちが自分達の給与カットを自ら提案し、経営陣も経営安定するまでは一切報酬を受け取らない体制をとりました・・・・まさに職人を大事にしてきたからこそと。さらに窮地においてもエミールは、今では3本柱のひとつとなっているスカーフと香水という新しい分野に参入することで乗り切っていきます。最高級というエルメスのイメージはそのままに手頃な価格で買うことの出来るスカーフや香水というのは不況を乗り切るためのマストアイテムとなりました。

現在、エルメスの顔となっているオレンジの包装紙、これはなんと余り物だったそう・・・当初はベージュの包装を使用していたそうです。

四代目エルメス

4代目のロベール・デュマ・エルメスの時代には、スカーフと香水という新規展開した分野を軌道に乗せるというところに軸足が置かれました。

たまたまリヨンの業者がシルクスクリーンプリントのスカーフ製造技術を売り込んできたのを機に、現在のエルメスらしいスカーフが生まれ、同じシルク素材のネクタイにも発展していきました。 名作香水である「カレーシュ」もこの頃に誕生したのです。

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五代目エルメス

エルメスを今の姿にした名経営者として有名なのが、5代目となるジャン・ルイ・デュマ・エルメスです。アルジェリア戦争に従軍したり、インドやアジアを放浪したりと自由奔放に生きていた彼は元々エルメスを継ぐ気などなかったみたいです。

実はデュマが就任するまでのエルメスというのは、どこか古い過去のブランドという印象を若者たちから抱かれており、日本においても今ほどの人気の欠片もない状態でした。

そんななかでデュマのやったことの大きくはブランドイメージの刷新でした。
元来エルメスのもつ高級感や質の高さなど残すべきイメージは残し、どこか古くさく思われているイメージを覆し、最先端のブランドとして定着させることに成功。

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その中で行った改革の一つが広告です。高級感は認められているが、古くさいと若者に見向きもされない状態に陥っていたエルメスを改革するために広告部門のトップにフランソワーズ・アロンを起用。彼女は、これまでの伝統を踏みにじるかのような広告戦略に出たのです。
第1作目の広告はジーンズのブルゾンを羽織った女性が無造作にスカーフを首に巻き付けるといった具合。 要するにインパクトを与えるような広告を打ち続けることで、若者の中に興味と関心を植え付けていったのです。当時、エルメスの中ではさぞ非難の嵐だったことでしょう・・・
しかしこの戦略は功を奏し、エルメスの注目度は飛躍的に高まりました。

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そして、もう一つの大きなポイントは新製品テーブルウェアの投入です。
比較的手頃な価格で敷居の高いエルメスに入りやすくするためのアイテムとして成功。エルメスの持つ高級感や品質の高さといったイメージは損なうことなく、親しみやすいブランドというところになりました。

こうしてエルメスというブランドは原点となるブランドイメージと高い独自性を保持しつつも、世界展開に大きく成功し、現在の格別のブランドとしての地位を確立したのです。

このように歴然の経営者、高い質をもつ職人によって維持されてきたエルメスというブランドはとても価値があり、だからこそ世界中のお金持ちに評価されています。。本当にクオリティが高く、満足させてくれる。なによりどんどんブランドの価値が上がる資産にもなります。

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