億り人の最終学歴は偏差値50以下

億り人、個人の純金融資産で1億円を越えたけれども、そもそも1億円を目標にしたのは、やっぱり億万長者という言葉に憧れていたからだと思う

そして、それは実家が資産が1億円以上あるようなお金持ちの家の子どもか東大とか京大とかそれこそハーバードだケンブリッジだとか言うような大学に、こうぽーんと入っている人しかなれないと思っていた

バレンタインデーの本命チョコレートの渡す相手やチョコや手紙も全て母が取り仕切ることが当たり前の実家では、当然私に大学どころかそもそも義務教育後の進路の自由はない

母に言われるがままに進んだ先は、母方の祖母の母校であり、母の姉の母校であり、父方の大叔母の母校であり、父方の伯母である母校の甲南女子大学

絶対にそれ以外の選択肢は許されなかった

と言いますか、それが当然のつとめなわけでして

母の母校でないのは、母の大学進学ちょっと前にとんでもない借金を祖父が抱え込んだから

母は、それまで住んでいた家が競売にかけられ小さな家に引っ越し、ついでに姉の通った、自分の母(私の祖母)の通った大学へは通うことができず、働くことが当たり前だった

そんなわけで、時代は変わって姉の子どもも大学に行っていたので、もちろん自分の娘も…となった進学先は、母の通うことができなかった大学と決まっていた

昔は芦屋市に住んでいたけれど、借金後京都の親戚を頼りに引っ越してきたので、もちろん当時の私は京都在住

まさかの電車と徒歩やバスの時間をいれると、家から大学の校門まで往復4時間かかる通学時間となった

下宿は許されないので、通うしかない

そんな私にも希望はあった

高校二年生の時に、行きたい大学があった

京都大学に通いたいと思っていた

経済学部もあるし、国立で授業料も私立より安いし、何より摂津本山駅までの道のりを考えると近い

それに、今はなき吉田寮に下宿してみたい、それなら奨学金とアルバイトでなんとかなるかもしれない

そんな夢を見ていた

両親にバレないように赤本を買い、せっせと勉学にいそしんでいた時期もあったけれど

机の中をかき回す趣味の母に、小学生の頃のランドセルの中に隠していた赤本が見つかってしまった

微妙にリュックの紐の置き位置が、一昨日見たときと違ったらしい

ぶっちんと切れた母は、私を二階の窓から突き落とした

こう、窓まで責め立てられて、足をしゃがんでつかまれてガッと

頭から落下したものの、駐車場の屋根に腕がひっかかったおかげでぶらさがりに成功

そんな状態でも両親を説得したり、家出できる人もいると思う

頭の悪い私はできなかった

高校二年生頃から全国模試の成績が上がってきていたので、母がそもそも不信に思っていたらしい

大学に入学後も、編入方法を調べたり、受験のしなおしを検討したものの、俗に言うOB会と言うものの京都支部に祖母を含めた母校の親戚一同が集まって喜んでくれていた

母は、その会が終わるまでずっとホテルのロビーで待っていた

娘が死んでも辞めるなんて言わさない、という母の空気と目は伝わってきた

こうして私は、とってもねじまがった大学生になってしまった

頭の悪い女子大生が、「結婚するなら京大出身の人」と平気で思うようになってしまった

ようは、京大に行かなくても、そういった人と自分は対等に話せる人間なんですよー

と、周囲、特に母に言いたかったのだろう

…書きたくない

でも、これがそのまんまの私

で、結婚相手に出会うまでに何がなんでも、京大卒業したらもらえるはずだったお金を手にいれてやるー!

と、燃えた

つまり、私の目標はもちろんお金持ちへの憧れがあるのだけれども、強烈な学歴コンプレックスともし自分が京大を卒業していたら20代で1億円くらい稼いでいた人になっていたのかも

という、淀んだ醜い感情のかたまりでなんとかお金持ちになろうともがいていた

書いていて虚しくなるけれども、そのまんまの自分で話をするとこうなってしまう

今はこの恥を受け入れて、このなんでも親の言いなりになっていた自分から、好きなことをして、充実している人になってみたいと思う毎日




1億円の資産を持ったものの、特にしたいことや欲しいものももののみごとに消え去って、困りつつ焦りつつもがいている主婦でございます。