1億円あっても空っぽな自分に焦ってあがく話

食べたいものや欲しいもの、行きたい場所も自分名義の資産が5000万円を超えた頃

そういった欲は消滅したと言うより、色あせてしまった

お金がないと笑っていた20代前半は、当時の恋人であり今の夫と食材になんのこだわりもない手作り弁当を、小さな公園で食べていてもおいしかった

2人で1万円を払って、ホテルのビュッフェや格安カニ旅館で国産でない安い冷凍カニをたくさん食べていた頃の方が、何が楽しかったのかいつも笑っていた気がする

最初は年齢のせいかと思ったけれど、1億円の資産を手にした時

9999万円までの感情とは大きく変わった自分がいることに気づいた

1億円あっても私は、そのお金を使って楽しもうとする心を完全になくしてしまったらしい

しまいには、健康はお金では買えないのだかえあと、厚生労働省のページを読み漁り1日1万歩を義務的に歩いたり、3メッツ以上の運動を週に2回30分以上しないといけないのかぁ…と苦痛を感じている

お金はあるのに、なぜか今度はお金で買えないものこそ本当に価値があるものだと必死にあがいているけれど、楽しくない

お金があることで、時間ができた私は子どもが小さかろうが本を読む時間を作ることができた

お金がなかった頃は、Amazonで本を買っていたのに近所の図書館で目についた本を読んでいって、興味のある分野や知りたい言葉がでてくるとまた図書館で予約というように

そんな中、自分は愛着障害というものを患っていることに気づいた

毒親という言葉が流行りだして、おそるおそる本を開いてみると、めまいがした

私はどうやら愛着障害を患い、両親から教育虐待を受けていた経験を持っている

そんな私は、思春期から20代前半に読みふけった世界中のお金持ちの人たちの本に影響を受けた

ビル・ゲイツ未来を語る、ラリーエリソン氏のカリスマ、ウォーレン・バフェット氏のインタビュー記事、そして堀江貴文氏の発言に私は当時までの価値観をすっぽり変えてもらった

お金持ちと呼ばれる人は、私にはとても幸福に見えた

頭も運動能力もない、芸術方面も何一つ秀でていない私でも、この人たちの助言をたくさん日常に取り入れたらフォーブスに載ることはなくても、お金持ちになれるかもしれない

偏差値47くらいの女子大生だった頃、投資をするための資金をアルバイトで稼いだ

ヤフーオークションで、たくさんの私物を売って資金の足しにした

ちょうどその頃、堀江さんがよくわからないけれど警察に捕まったと聞いて嵐山の吉兆のお弁当を買って新幹線に飛び乗った

無知すぎて嫌になるけれど、勿論関係者でない自分は警察服を身にまとった人に差し入れを許可されるはずもなく

勝手に虚しくなった私は、帰りの新幹線の中でひらめいた

1億円稼いで、イキイキ人生を送って、お金持ちのあの人たちの言葉のおかげでこうなれたんですって言おう、と

大きな誤算は、1億円の数字を見ても楽しいと思えることが減ってしまったこと

こんなことを楽しんでいいのかと、変なフィルターが入ってしまい何をしていても白けてしまう自分がいることに焦りを感じている

楽しいを感じれるように、今日もあがいてみよう

1億円の資産を持ったものの、特にしたいことや欲しいものももののみごとに消え去って、困りつつ焦りつつもがいている主婦でございます。